第五話 実技試験②
「どうしよどうしよ! もう完全に遅刻よ〜!」
「まぁ落ち着くんだ、フリル。ちゃんと説明をすれば大丈夫だって」
「全然大丈夫じゃないわよ! 今日は防衛隊の入隊式で時間厳守って注意書きされていたのよ⁉︎ それで早速新人が2時間も遅刻とか印象最悪よ〜!」
頭を抱え深刻そうに悩むフリル。
いま俺達は水戸駅発の特急を使って東京駅、新宿駅へと乗り継ぎ、目的地である防衛塔に向かっている最中だ。
「大体、真瀬が全然起きないのが悪いのよ⁉︎」
「ええっ⁉︎ 俺のせいなのか⁉︎ 庭に生えている雑草を取っていたのが原因だと思うんだけど」
「はうぅ! だって、食費の足しにしたかったんだもん……」
指をもじもじと合わせ恥ずかしそうにする。
「でも、まさかフリルにあんな能力があるなんて思わなかったな」
それは家を出る数時間前の話。
午前8時前。俺が布団から目を覚まして体を起こすと、庭で雑草を大量に取っているフリルの姿があった。
俺はあいさつのついでに、玄関で靴を履いたあとフリルのもとへ向かう。
「おはよう、フリル。朝から雑草取りなんて偉いな」
「あ、おはよう真瀬」
「確か、今日でこの家ともお別れなんだよな。もしかして、お世話になったお礼に?」
「まぁそうだね。その意味を込めてっていうのもあるけど、一番の理由は食費の足しにするためかな」
「……え? いま、食費の足しにするって言った?」
「うん。言った」
「…………フリルは雑草なんて食べるんだな」
「ちょっ、誤解しないで!! 雑草は食べないわよ! これをいまから私の魔術で『ニラ』に変えるんですぅ!」
「ん? 雑草をニラに?」
見せたほうが早いと思ったのか、フリルが地面に置いてあった杖を持ち始め、雑草に杖の先端を向ける。
「しっかり見ていてくださいよー? 【
フリルがそう唱えると、杖の先端から神々しい光がニラに向かって放たれる。すると、雑草はみるみるうちにニラへと姿を変えていった。
「すごい! 雑草がニラに変化した!?」
「えへへ、すごいでしょー! この魔術は特殊でね。私が似ているなーとか、イメージがつきやすいものであればなんでも違うものに変えちゃうことができるのよー!」
「へー! これは面白いな」
言われてみれば雑草とニラは似ている部分がある。対象のものを見比べ、頭の中ではっきりとイメージができれば変換が可能になるということか。
「他にもこんなことが出来ますよ。【
フリルが垂直に立てたニラに再び神々しい光を放つ。すると、今度はしなっていたニラがまるで生き返ったかのようにピーンと硬くなった。
「うわっ、ニラが剣のように硬い!」
試しに硬くなったニラを手にしてみると、それは剣のように硬く、人を刺せるほどの重量感だった。
フリルの許可をもらい、試しに両手で半分に折ろうとしたが、剣のように硬くなったニラはびくともしない。
「これは対象の性質を逆転させる魔術です。ニラは柔らかい性質を持ちますから、今回はその反対の性質である硬さを再現出来たわけです」
フリルいわく、この魔術を利用すれば水を熱湯に変えたり、氷を水に変えたりすることも可能だという。この魔術のおかげで大分節約ができたのだとか。
フリルは硬くなったニラを今度は【
「でも、イメージできないものに関してはいくらやっても魔術が反映されないから、使える場面は限られてしまいますけどね……」
「そうなのか」
確かに使用できれば色々な場面で凄まじい効果を発揮するのだろうが、変換できるどうかは全て術者のイメージ力に委ねられるのでなんとも言えないのが現状だろう。
例えばこの魔術を戦闘中に使えるかといえばグレーだ。
相手はどんな魔術を披露してくるのか分からないし、例え分かったとしても瞬時に性質を理解し、その反対の性質を鮮明に思い浮かべないといけない。
戦闘スキルとして使うには大分癖が強そうだ。
「でも、俺はいいと思うぞ」
俺は腰を下ろし、雑草取りを手伝う。
「魔術は、そうやって楽しむことに意味があるんだと思う」
「……真瀬」
俺達神々にとって魔術は因縁の相手を滅ぼすためのただの道具でしかなかった。
いまのフリルのように、魔術を心から楽しむことなんて誰ひとりとしていなかった。
ただ相手を殺すための道具として各々が鍛錬に励む日々。そして殺してしまうのだ。
俺は未だに分からないでいる。魔術は一体なんのためにあるのか。セラフィーの想いを、この先どう叶えていけばいいのか。
俺ひとりでは皆目検討もつかない。––––––でも、フリルの楽しそうに魔術を使う姿を見ていると、そのヒントが見つかりそうな気がする。
「フリル」
「はい?」
「俺は君と出会えて良かったよ」
「……え? ど、どうしたんですか急に!?」
「なんでもないよ。さ、雑草取りの続きだ」
「……変なの」
こうして俺達は会話を交えながら楽しく雑草取りをおこない、見事に遅刻するのであった。
★
防衛隊の入隊試験。その実技試験が開始してから1時間が経過した頃。
視界いっぱいに広がる森の中を、ふたりの姉妹が大木を避けながら突っ走っていた。
「そろそろ到着してもいい頃だと思うんだけどなぁ」
「そうだね〜。でも、迂回しないでずっと中央へ真っ直ぐ進んでいるから着実に進んでいると思うよ?」
「アクアがそう言うんだから大丈夫だな。アタシ方向音痴だからひとりだったらテキトーに進んでいたわ。こうしてアクアと合流できて助かったよ」
入隊試験のくじ引きでフリーズは6番、アクアは5番のゲートからスタート。6番と5番の横の距離はおよそ3km。魔法教育機関の卒業生であれば大した距離ではない。アクアは真っ先にフリーズと合流し、いまに至っている。
「えっへへ〜♡ お姉ちゃんに褒められてアクア嬉しい〜! やっぱりお姉ちゃんと真っ先に合流して良かったぁ〜! どんどん頼ってくれていいからね?」
フリーズにお褒めの言葉をもらい、嬉しさのあまり抱きつくアクア。
試験の最中であるにも関わらず、全く緊張の様子が感じられない姉妹だった。
「分かった分かった。––––––おっと……。それじゃあ早速、あの悪魔を蹴散らすのを手伝ってくれるか?」
フリーズが顎を使って進行方向の先を見るよう促す。
そこには黒の装束に白い仮面を身に付けた試験専用の悪魔が一体、待ち伏せていたかのように立っていた。
「……あーあれね。んもぉ〜。せっかくお姉ちゃんとふたりきりの時間なのに……。じゃあ、とっととやっちゃおうか☆」
姉妹は杖を片手に構える。
「よしっ、行くぞアクア!」
「オッケー! 【
アクアが杖の後端を地面に刺す。すると、広範囲の地面に水溜まりを出現させる。
「【
すかさずアクアに続き、今度はフリーズが杖の後端を地面に刺す。すると、水溜りが一気に氷へと変わった。
足ごと氷漬けにされた悪魔は身動きが取れないでいる。
「とどめだ! 【
フリーズが地面に刺した杖を引き抜き、そのまま杖の先端を悪魔に向け魔術を発動。悪魔の頭上には3本の氷柱が出現し、そのまま勢いよく落下。
悪魔は成す術なく、氷の串刺しとなった。
殺された試験専用の悪魔は人間と違って出血などはせず、塵となって消滅していく。
「やったね! お姉ちゃん!」
「ああ。かれこれ10体ほど殺してきたが、私らの前に敵なしだな。このまま突き進んで、とっとと合格しちまおうぜ」
「うんっ☆」
★
「あの姉妹、中々のコンビネーションだね」
「そうですね。あそこまで相性の良いコンビはそういないかと」
防衛塔内にある控え室のモニターにて、実技試験を監視している男女がふたり。
「僕もさっき実技試験の説明をしたときに死人が出ている話をしたんだけどさ。ほとんどの人が萎縮しているなか、あの姉妹は全く動じなかったんだよね。防衛隊に入る動機も素晴らしかった」
「リフレクト様がそこまで称賛されるということは、よほどの逸材なのですね」
「魔術師としての実力はまだまだだけど、実戦を重ねていけばいずれA5にはなれそうだね」
「リフレクト様は見ただけで相手の実力を測れるのですから尊敬致します。私にはそのような見る目はございませんので」
「そんな大層なことじゃないよ。僕の見る目が養えられたのは数多くの実戦を交えてきたからだ。才能でもなんでもない」
「ですが、あれほど細かくランク付けできるのですからさすがとしか言いようがありません」
「いや、別にたいしたことではないよ」
リフレクトは二つの軸をもとに魔術師の実力をランク付けしている。
動き、反応、体術のキレなどの身体的・精神的レベル評価をA〜Cの三段階。
魔術の威力、コントロールのレベル評価を5〜1の五段階。
これらの総合評価のもと、魔術師として目指すべき最高ランクがA5となり、逆に魔術師として最低ランクがC1となる。
リフレクトはこれらの総合評価を、実技試験を通じてひとりひとりを精査している。
そしてなによりすごいのが、その評価が見事に的中しているということ。
「少なくとも、A5狩りをしてきた君なら見る目は養っているはずだ」
「いえ、とんでもございません。私はまだまだです」
ミラは少しだけ気まずそうに問う。
「……あの、リフレクト様。そのことについてですけど」
「そういえば一つ、気になることがあったな」
「……気になること?」
「昨日、千波湖に出現した悪魔がなにものかによって殺された」
「え? 確かその地点には防衛隊が出動したはずです。ですので、防衛隊の方々がやったのでは?」
「いや、話を聞いたところ目的地に着いたときには戦闘の跡だけが残っていて、その場には誰もいなかったらしい」
「……」
「この日本において悪魔を倒せるのは防衛隊だけだ。ただの一般人では太刀打ちできない。となると、不思議だと思わないか?」
「……つまり『防衛隊ではない誰か』が倒した、ということですか?」
「あくまでも仮説だけどね。だが、そう考えるのが妥当だろう」
リフレクトは顎に手を添えて考える素振りを見せる。
「念のため君にも情報を共有しておく。もしなにか手掛かりが見つかれば僕に報告してくれ」
「かしこまりました」
コンコン。
控え室の扉がノックされ、振り返るふたり。
「入っていいぞ」
入室の許可を貰うと、入室して来たのはひとりの警備員。
「お仕事の最中、失礼いたします! ただいま玄関前に本日入隊試験を受けるはずの国家試験合格者が一名お越しになられたのですが、いかがなさいましょうか?」
「ああ……確か一名だけ来ていない人がいたな。分かった。そこから先は僕が対応しよう」
「はっ!」
それだけ伝えると、警備員の人は頭を下げ即座に退室した。
「よいのですか? よろしければ私が代わりにご対応いたしますが」
「ありがとう。でも大丈夫だ。試験時間はまだあるしな。ひとまず僕が戻ってくるまでの間は代わりに君が監視していてくれ。数分で戻ってくる」
「かしこまりました」
リフレクトは控え室を出て、一階フロアの玄関前へと向かった。
★
「わぁ! パンフレットで見るよりずっと大きいわね〜!」
高くそびえ立つ巨大な塔。そこは防衛隊の人達が活動の拠点とし、住処となる場所。
高さはスカイツリーを越える1371mで、横の大きさはビッグサイト2個分にも及ぶという。
初めて生で見る人はその異次元離れした巨大な迫力さに言葉を失うほど。世界で一位の高さを誇る防衛塔は国内だけではなく、外国人観光客からも絶大な人気を誇っている。いまとなっては日本オススメ観光スポット一位を数十年維持し続けているほどだ。
「これが防衛塔か……」
「私、今日からここに住むなんて未だに信じられない……。場所間違えてないわよね?」
何度もスマホでウーグルマップを確認するフリルだが、音声からは『目的地にたどり着きました』の一点張りであるため、場所は間違っていないことは確かなようだ。
それを確認後、玄関入り口で立っている警備員に遅れた事情を説明すると、少々お待ちいただくよう言われた。
数分後、警備員が戻ってきたかと思えば、後ろにひとりの男性が追加でこちらに向かってくる。
白いマントを羽織り、腰には二本の剣を備えている。見た目も爽やかでイケメンの青年で、漫画の主人公みたいな姿だった。
青年が玄関を開け、ようやく対面。リフレクトは一瞬だけ俺のほうを見たあと、すぐにフリルへと視線を移す。
「はじめまして。君が本日入隊希望のかたかな?」
「は、はい! 綾瀬フリルと申します! 本日は遅れてしまい申し訳ありませんでした‼︎」
深々と頭を下げるフリル。初めて憧れのエンペラーシックスの一人と対面できたことに喜びと感動で満ち溢れるはずが、遅刻したことによる謝罪によってそのような甘い気持ちを味わう余裕はなくなっている。
「ううん、そこまで謝らなくても大丈夫だよ。でも二時間以上も遅れるなんて、なにかトラブルにでも巻き込まれたのかい?」
「え⁉︎ あ、いやっ、そのぉ〜……」
「?」
恥ずかしそうに身をもじもじさせるフリル。その様子を見てリフレクトの頭には疑問符が浮かぶ。
「彼女が遅れてしまったのは全て俺の責任です」
「えっと、君は……?」
「ちょ、真瀬⁉︎」
「彼女は先日、俺が悪魔に襲われているところに身を呈して守ってくれました。なんとかその悪魔を倒す事ができたのですが、俺が途中で気を失ってしまい、彼女は自分の家で俺のことを看病してくれたんです。遅れてしまったのはそれが原因です。申し訳ございませんでした!」
「真瀬……」
少々嘘も混じっているが、あながち嘘ではない部分を言うことで信憑性を持たせる。フリルは正直に雑草取りをしていたら遅くなったことを言おうとしたのだろうが……。
「そうだったんだ。それなら遅れてしまっても仕方がないね」
リフレクトは遅れたことを責めるどころか、むしろよく戦ってくれたとお褒めの言葉を授けた。
思わぬ言葉に顔を真っ赤にして照れてしまうフリル。いまは暗い気持ちはなくなっている。
「ちなみに、君はどこで悪魔に襲われたんだい?」
「水戸市の千波湖です」
「……千波湖か。そうか」
ひとりでうなずきながら納得し始めるリフレクト。
「教えてくれてありがとう。––––––じゃあここから先は国家試験合格者のみの入室になるんだけど、君は違うんだよね?」
「はい。俺は違います。彼女だけです」
「そうか。分かった。じゃあ後は僕のほうで引き取るよ。わざわざここまで足を運んでくれてありがとう」
「いえ、とんでもないです。では、俺はこれで失礼いたします」
「あっ……」
この場から速やかに去っていく俺の背中にフリルがなにか声を掛けようとした。だが俺は聞こえないフリをして、振り返らずに人混みのなかへと消えて行った。
★
「……あれ? お姉ちゃん、お姉ちゃん! あれってもしかしてゴールの扉じゃない?」
アクアがフリーズの肩をちょいちょいと叩き、指を向けて見るよう促す。
その先にはリフレクトがフロアで見せた同じ扉が。
「どうやらそうみてぇだな。かなりの距離を歩いて来たし、そろそろゴールに辿り着いてもおかしくはねぇだろ」
これまでルートを妨害してくるものとして悪魔の出現は多々あった。
しかし、落とし穴などのブービートラップは一度もなかったので、この扉も罠ではないと考えるのが妥当だ。
運よくトラップに出くわさなかった線も考えられるが、いまはそんなことを考えても仕方がない。
「よし、開けるぞ」
ここに来て扉を開けないという選択肢はない。罠かどうかも開けて見なければ分からない。
恐る恐る扉を開ける姉妹。扉の先はフロアのときと同じように不気味な混沌の世界が広がっている。
周りにトラップが発動していないかを確認したあと、ふたりは手を繋いでゆっくりと中へ進んで行く。
「……おっ?」
数秒後、森の空間から一変。視界に映ったのは最初に集まっていたフロアだった。
「……私達、戻って来たんだね」
「どうやらそうみてぇだな。これってつまり……」
姉妹は見つめ合う。
「「合格ってこと⁉︎」」
ふたりが両手を繋ぎ盛り上がっていると、階段の上から拍手の音が聞こえてくる。
そこには毛先にウェーブのかかった金色のロングヘアに、モデルのようにスタイルがよい聖母感溢れる大人の女性が微笑みながら立っていた。
「おめでとう! あなた達はこの実技試験を突破した最初の合格者よ」
試験開始から1時間12分。このフロアには姉妹以外に誰もいない。それは他の魔術師はまだ試験の真っ最中ということ。
どうやらゴールの扉を進めばこのフロアに戻ってくる仕様になっているらしい。
「やったやったぁ! 私達合格だってよお姉ちゃん!」
「んま! 当然っちゃ当然だな。なんたってこれはふたりで力を合わせた結果なんだからな」
「お、おねえちゃん……っ!」
アクアがフリーズに勢いよく抱きつく。それを優しく受け止め頭を撫でるフリーズ。まるで日常のように慣れた手つきだった。
ふたりの絆愛とも呼べる光景を見届けたミラは、タイミングを見計らって話しかける。
「ふたりとも、本当におめでとう。––––––私の名前はミラ。今回の実技試験で試験監督を任されているひとりなの。明日からふたりは正式に防衛隊の一員になるから、分からないことがあればなんでも聞いてね」
「「はい!」」
ミラの自己紹介を聞いて、姉妹ふたりは本当に合格したことを改めて実感している。
「さ、ふたりはこれにて実技試験は終わりよ。後は他の人が終わるまでフロア内で休んでいてもいいし、外出してもかまわないわ。でも、17時までにはこのフロアに戻ってくるようにね」
「「はーい!」」
息ピッタリの動きで手を上げて返事をする姉妹。
(ふふっ。可愛い姉妹だこと。本当に仲が良いのね)
ミラが自身の腕時計に目を向ける。
(約1時間を残しての合格。リフレクト様の言う通り、ふたりのポテンシャルが高いことは確かのようね。試験では個々の力というより、協力による戦闘スタイルが目立っていたけど)
本来この試験は個々の力を試すことを目的とした内容になっている。だが、誰かと協力して試験に臨むことが禁止されているわけではない。事前に協力して試験に臨むことを打ち合わせをたり、試験中に鉢合わせしたもの同士で力を合わせてゴールを目指しても違反ではない。
この試験の本質は個々の実力を試すのと同時に、ポテンシャルの高さを測る目的でもあった。
大前提として、実力もポテンシャルも低いものはこの試験を合格することはできない作りになっている。それは過去の数十年に渡るデータからもそう証明されている。
戦うことに恐怖を感じて逃げる選択肢しか取らないもの。体術や魔術のスキルが低すぎて戦闘にならないもの。死ぬ覚悟ができずギブアップを宣言するもの。
この実技試験で不合格になる要素として、このような例が毎年多く当てはまっている。
そしてこのような不合格になるものは、防衛隊として活躍したい動機が弱いという特徴もある。
リフレクトが数名に防衛隊に入ろうと思った理由を尋ねたとき、あるふたりはこう言っていた。
『給料が高いから』
『ヒーローみたいでかっこいいから』、と。
リフレクトはこのとき悟った。このふたりは不合格になると。
防衛隊は悪魔を殲滅させる組織。動機のなかに悪魔を殲滅させる気持ちがなければ防衛隊として続けることは難しい。遅かれ早かれ、悪魔に殺される運命だとリフレクトは経験則から知っているのだ。
もちろん悪魔を殲滅させるという強い意志を持った実力者でも、戦死したものは多々いる。しかし、先ほどのように動機が弱いものは真っ先に死ぬのだ。この試験中に死者が毎年出ているというのは、そういうことなのだ。
ミラもそのことをよく理解している。
A5の素質があるものは、そういう動機がブレないということを。
リフレクトが姉妹ふたりを高く評価しているのは芯がブレない強い動機を持っていると直感したから。
ポテンシャルの高い姉妹ふたりは、鍛錬を積んでいけばいずれA5ランクに到達することは間違いない。
『A5狩りをしてきた君なら少なくとも見る目は養っているはずだ』
だからこそ、ミラの表情は一段と暗くなる。
(……このままじゃいけない。本当になんとかしなければ……!)
★
「ちょっとどういうことなのよ〜〜〜‼︎」
森の中をがむしゃらに走りながら嘆きの声を叫ぶのは、唯一の遅刻者フリルだ。
「実技試験があるなんて聞いてないし!」
さらに進んでいくとその先には悪魔が立っていた。
「キャー‼︎ 悪魔アアアァァァァァー‼︎」
不運。目をつけられてしまったフリルは悪魔に追われる立場へと変わる。
(は、早く逃げないと、死ぬ‼︎)
スタートからゴールへと一直線に向かっていたルートは諦め、横道に逸れてさらにがむしゃらに逃げ回る。
(ここは森の中だから、上手く茂みを利用すれば逃げきれるはず!)
後ろを振り返り、悪魔との距離を確認する。悪魔との距離はざっと70メートルほど。
「よしっ、これならいける!」
だが、後ろに気を取られ前方不注意となっていたフリルは、なにかとゴツンと頭をぶつけてしまう。
「イッッダァ⁉︎」
「いたあああいッッッ‼︎」
ぶつかったのは悲鳴からして誰かの頭。そして女の子。
ぶつかったふたりは尻餅をつきながら倒れ、あまりの痛さに涙が浮かび上がるほど悶絶している。
「〜〜〜ッ‼︎ ちょっと、どこ見て歩いてんのよ⁉︎」
「ご、ごめん! いま、悪魔に追われていて……ってあれ? あなたも試験に参加している人?」
フリルがぶつかった相手は、小学生と見間違えてしまうほどの小柄で、赤髪のツインテールをしている少女だった。
「そうよ! もしかして、あんたも?」
「うん! あーよかったぁ! 仲間と巡り会えて! こんな薄暗い森の中でひとりだと寂しかったんだよね」
「……ふ、ふん! 情けないわね。この程度で寂しがっているようじゃ防衛隊なんて務まらないわよ!」
「なんでそんなに偉そうなの……? まぁいいや。私は綾瀬フリル。フリルって呼んで。あなたは?」
「わたしは下澤エルルゥ。特別にエルルゥって呼ばせてあげるわ」
「だからなんでそんなに偉そうなの––––––ってわぁ⁉︎」
突如、後ろから爆発の攻撃を足元付近に放たれ、爆風で吹き飛んでしまうふたり。
運よく敵の攻撃をダイレクトにくらうことは避けられたが、ふたりは不覚にも爆風による軽症を足首に負ってしまう。傷を負った足首部分からは少量の血が浮かびあがり、赤く腫れ上がっている。
「だ、大丈夫⁉︎ エルルゥちゃん!」
「うっ……うぇ〜ん‼︎ イタイよぉ〜‼︎」
「え」
子供のようにわんわんと泣き叫ぶエルルゥ。先ほどの偉そうな態度からは考えられないほどに別人だ。
「エルルゥちゃん落ち着いて! いまは泣いている場合じゃ––––––きゃあ⁉︎」
容赦なく爆発の攻撃を放ってくる悪魔。じっとしていたら今度こそ爆発を喰らいかねない。この状況……不安と焦りがフリルを襲う。
(このままじゃヤバイ……。ふたりともやられてしまう!)
フリルはこの試験の突破口として、できるだけ悪魔と戦わずに逃げ回りながらゴールに到着する作戦で行動していた。
その理由は制限時間にある。フリルは遅刻したペナルティを受け、本来なら2時間ある制限時間を1時間とされているのだ。
そのため戦う時間は無駄だと判断し、これまでに遭遇してきた悪魔からは意図的に避けてきた。
(とにかく、いまは逃げなきゃ!)
フリルは動けないでいるエルルゥを抱き抱え、逃げる選択肢を取り続けることに。
「なっ⁉︎」
しかし、逃げた先は断崖絶壁だった。
見下ろすと地面や岩が限りなく小さく見える。まるでバンジージャンプに立たされているかのようだ。
そんな高いこの位置から落下すれば、致命傷は避けられない。
下には川が長く続いているが、そこに着地したとしても浅瀬だった場合には、最低でも骨の何本かは覚悟しといたほうがいいだろう。場合によっては一生付き合うことになる傷を負うことになるかもしれない。
(こ、こんなの……落ちたら絶対に死ぬやつじゃん!)
そうこうしているうちに、増援のように二体目の悪魔が現れ、フリル達を包囲し始めていた。
逃げ場を完全に失ったフリル達。残された選択肢は戦う、もしくは……。
(この状況で戦っても絶対に勝てない!)
だからといって、逃げることもできない。ゆっくり考える時間もなく、焦りに追われ冷静さを失ったフリルが最終的に取った行動は––––––
「エルルゥちゃん! しっかり掴まっていて!」
「ふぇ?」
崖から飛び降りることだった。
「キャアアアアアアアアアッッッ‼︎ なにやってんのよあんた‼︎ 死ぬつもり⁉︎ いくら川に飛び込んだって浅かったら意味ないわよ!?」
「少し黙ってて‼︎」
「ッ⁉︎」
フリルは崖から飛び降りながらも、杖をしっかりと握り、流れている川をじっと観察していた。
(飛び降り……水……そこから連想されるのは……)
フリルが杖の先端を川に向ける。
「【
杖の先端から神々しい光が出現し、川に向かって当てられる。しかし、川の見た目はなに一つと変化しない。
「死ッ––––––!!」
死を予言したエルルゥは反射的に目をギュッと瞑る。先ほど悪魔に負わされた傷の痛みなんか比じゃないことも覚悟した。
だが実際は、想像していた痛みとは違った。水に打ち付けられた痛み。ただそれだけ。どことなく、水の深い部分に沈み込んだかのような感覚も。
その摩訶不思議な現象に、エルルゥは瞑っていた目をゆっくりと開く。
(……え⁉︎ な、なによこれ⁉︎)
そこは深くて清らかな水の中。深いと言っても底部分には足が着けられるコンクリートのような造りがあり、側面の一部には地上に登るためのはしごまで取り付けられている。
(ちょ、これは一体どういうこと⁉︎ まるでプールじゃない!)
エルルゥが驚いている間に、フリルはエルルゥをおんぶしたままはしごを使って陸まで上がっていった。
「ゲホッゲホッ……! た、助かったぁ〜〜……」
ひとまず無事に悪魔から逃れることに成功。安堵の気持ちでいっぱいのフリルは魔力を使い果たしたかのように疲れ果て、地面の上に仰向けで寝っ転がる。
エルルゥはすでに悪魔に追われていたことを忘れており、いまはこの摩訶不思議な現象について頭がいっぱいだった。
「ちょっと! これはどういうこと⁉︎ なんで川があんなに深いのよ⁉︎ しかも川の中がプールみたいな作りになっていた気がするんだけど⁉︎」
もう一度確かめようと川の中を覗こうとするエルルゥ。しかし、川はすでにあるべき姿の浅瀬に戻っていた。
「あれは私の魔術によるものよ」
「え?」
「私の魔術【
「じゃ、じゃあ! さっき川が深かったのは……」
「そう。私は高いところから水に落ちるのをプールの『飛び込み』だとイメージしたからなの」
「……そっか! それで川の中がプールの作りになっていたのね!」
「そういうこと」
ぱぁっとお花が咲いたように表情を明るくし、「すごい!」と言いたげそうなエルルゥ。目もキラキラと光っていた。
「でも、エルルゥちゃんには怖い思いをさせちゃったね。ごめんね? しかも服まで濡らしちゃって……」
「ううん。わたしのほうこそごめんなさい……。なにも出来なくて……ッ」
膝を抱え、その間に顔をうずめるようにしてひどく落ち込んでしまうエルルゥ。
両手はギュッと握られ、いますぐにでも泣いてしまいそうだ。それを察したフリルはなんとか気分を紛らわせようと必死に考え始める。
「…………あ、私なんかちょっと寒いナ〜! これは温まらないと風邪引いちゃうかもナ〜! そうだ! エルルゥちゃん、一緒に枝とか葉っぱを集めて焚き火なんかどう⁉︎」
相手を気遣い過ぎてわざとらしい口調になってしまう。フリルはこのとき、自分は演劇の才能がないことを悟った。
「焚き火? ……あ! それならわたしに任せて!」
エルルゥが元気を取り戻したかのように勢いよく立ち上がる。表情は大船に乗ったかのような自信で満ち溢れていた。
アウトドア系に詳しいのかな? と思ったフリルだったがあえて質問はしない。いまはエルルゥの元気を損なわないようにと、彼女の意思に任せる。
ふたりは川辺周辺に落ちている枝や落ち葉を両手いっぱいにかき集めて、戻ってくることにした。
数十分後。
二人は集めてきた枝や落ち葉を一箇所にまとめ、焚き火の準備を終える。するとエルルゥが杖を取り、先端を枝や落ち葉のほうへと向けた。
「【
そう唱えると、杖の先端から小さな火の玉が一つ出現。
そのまま火を付けられた枝や落ち葉はみるみるうちに燃え盛っていく。
火は一瞬にして勢いを増していき、焚き火はすぐにできあがった。周りに串を刺した鮎などを焼けば絵になること間違いなし!
「すごーい! 焚き火がこんなに早くできるなんて思わなかったわ!」
落ちていた枝や葉っぱは湿っているものしかなかったため、正直火が付くのか心配をしていた。
だが、エルルゥの前でそんな心配はご無用らしい。
「ふふ〜ん、このぐらい当然よ! 私に付けられない火なんてないわ!」
元気を取り戻したエルルゥは、先ほどまで落ち込んでいた自分などとっくに忘れていた。
「エルルゥちゃんは火を操る魔術師なんだね」
「正確には炎よ。わたしは炎を自由自在に操ることができるの。卒業式でも『紅炎の魔術師』という称号も与えられたんだから!」
魔法教育機関では卒業時に、その魔術師の特性に相応しい称号を与えられる。
バッジなどの現物が与えられるわけではない。あくまでも称号の名に誇りと自覚を持ち、通り名として覚えられる意味を込めてのものだ。
この世に同じ人間がふたりといないように、魔術師にも同じ特性を持つものはいない。
この世でたったひとりの魔術師として、その名に恥じぬ生き様を示すという願いも込められている。
「フリルはなんの魔術師なの? 見た感じ、なんの魔術師か予想すら分からないんだけど」
「私は一応、『逆転の魔術師』という称号を与えられたよ」
「逆転⁉︎ なんかすごそう! それってピンチに追い詰められたヒーローが、最後は逆転して敵に勝つ的な⁉︎」
「う〜ん、多分そういう逆転劇を果たすとかじゃないと思うよ? 例えばさっきみたいに浅い川を深くしたり、雑草をニラに変えたりする発想の逆転的な? 感じだと思う」
「え? 雑草をニラ?」
「あ、ううん! なんでもないなんでもない!」
思わず口が滑ってしまったフリル。
貧乏でお金がなかったとはいえ、節約のために雑草をニラにして食べていたなんて人には言いづらい部分がある。唯一この事情を知っているのは真瀬だけ。あまりベラベラと話す内容ではないため、口を硬く閉じる。
ガサガサ。
「え⁉︎ なに⁉ なんの音⁉︎」
後方から草をかきわけているような音が聞こえ始める。
耳の神経を研ぎ澄まし、警戒心を高めるふたり。
音も徐々にこちらへと近くなっていくことから、なにものかがこちらに向かって来ていることだけは明白。
万が一に備え、杖を構える。そこに現れたのは……。
「やぁ」
エンペラーシックスの一人、リフレクトだった。
「…………え、えええええぇぇ⁉︎ リフレクト様⁉︎ ど、どうしてここに⁉︎」
「試験終了の時間を伝えに来た」
「––––––え」
「本来は僕がこうして迎えに行くことはないのだけど、ついでにね」
「…………え、うそでしょ? 時間切れ? わたしたち、不合格ってこと?」
エルルゥがこの世の終わりみたいに顔を青ざめる。
「残念ながらね。まぁ、正確に言えば––––––」
「エルルゥちゃん! 騙されないで! きっとこの人はリフレクト様に化けた悪魔だよ!」
「えっ?」
「いや、僕は本物なんだが……」
「騙されません! そうやって私達を動揺させて、確実に攻撃をくらわせる算段なんでしょ⁉︎」
「いや、本当に本物なんだが……」
「エルルゥちゃん、構えて! ふたりでこの悪魔を倒すわよ!」
「え? あ、う、うん……!」
フリルとエルルゥは隣り合わせに立ち、リフレクトに対して杖を向ける。想定外の光景にリフレクトは苦笑するしかない。
(なんか意地でも不合格を認めたくないって感じだな。……まぁいいや。せっかくの機会だ。どれほどの実力か見させてもらおう)
大方そんなところだろうと察したリフレクトは、ふたりの小芝居にあえて乗っかることにした。
「監視カメラで君の魔術を見させてもらったけど、中々興味深い魔術を使うね。綾瀬フリル」
「!」
「さ、君達の実力を見せてもらおうか」
(来る!)
リフレクトがわずかに軸足に力を入れる。それに気づいたフリルは先手を打ってくることに警戒。しかし、そんなものは無意味だった。
気付けばリフレクトの姿は視界から消え、一瞬にして背後を取られてしまう。
(うそ、はや––––––)
反射的に杖でガードをしようとするも、その腕をリフレクトに掴まれ防がれてしまう。
「この時点で君の負けだ」
「くっ! まだ、負けていない!」
ガードを封じられたのなら攻撃するしかない。フリルはフリーになっている軸足に力を入れ、リフレクトの脇腹を目掛けて蹴りを入れようとする。だがリフレクトは一切動じることなく、掴んでいたフリルの腕をぱっと離して後方へとあっさりとかわす。
「なるほど。体術はそこまで得意じゃなさそうだね」
涼しげな顔を一切崩さないリフレクト。まるで子供と遊んでいるかのように余裕の表情だ。
「女の子だからって甘くみないで!」
「甘くなんてみてないよ。むしろ僕は君に興味津々だ」
「ふぇ!?」
憧れの人物に興味津々と告げられ思わず腑抜けた声を出してしまう。相手がリフレクトに化けた悪魔だと認識しているとはいえ、そんな勘違いしてしまうようなセリフを言われると心が揺さぶられてしまうのは、そういうお年頃だからか。
フリルは相手の言葉に踊らされ、いまは相手が悪魔だということを忘れてしまっている。目の前にいるのは本人なのだと、無意識に認識がすり替えられてしまっていた。
もちろん目の前にいるリフレクトは正真正銘の本物。本人もそういう意味で興味があると言ったのではなく、純粋にフリルの魔術に興味があるだけだった。
リフレクトは顔が火照っているフリルをさておき、話を続けることに。
「君の魔術は未知数で無限の可能性を秘めていると僕は直感した。不合格にするには勿体ない。だから君にはぜひ、うちの防衛隊としてその秘めた可能性を発揮して欲しいと思っている」
「…………そ、それって」
「ああ。今回は僕の推薦で君を特別採用してあげる。この実技試験も僕の権限で合格扱いにしよう」
「ほ、ほんとですかっ?」
「ああ。本当だ」
心が打たれたように呆けてしまうフリル。表情には満面の笑みが浮かび上がり、飛び跳ねながら大喜びをし始める。
「やったやったー‼︎ 合格だあああーーー‼︎」
(フッ。さっきまで人を悪魔だと決めつけていたのに。全く面白い子だ)
それだけ防衛隊に所属したいという強い気持ちがあるのだろうと感じたリフレクトは半分呆れ、半分満足気だ。
「やったね、エルルゥちゃん! 私達合格だってよ⁉︎」
フリルはエルルゥの手を握り、上下にブンブンと振って喜びを共有しようとする。だが、エルルゥの顔は雲行きが怪しいまま。
「エルルゥちゃん?」
合格なのに一切嬉しそうにしないエルルゥを不思議に思うフリル。リフレクトはわざとらしく小さなため息をついたあと、申し訳なさそうに話し出す。
「フリル、君は一つ勘違いをしている」
「え?」
「合格にするのはフリル、君だけだ。残念ながら、エルルゥは不合格だよ」
「––––––え?」
「念の為に言っておくが、僕はなにも君だけをひいきしているわけではない。君の魔術に興味があるのは確かだ。それに、合格の要素は他にもある」
「よ、要素?」
「それは、君の勇気ある行動だ」
「!」
「君とエルルゥが悪魔に襲われ、崖っぷちまで追い込まれた状況のことを思い出して欲しい。逃げ場を失い、勝利の見込みも薄い状況の絶体絶命のなか、君は自分だけじゃなくエルルゥのことまで救おうとし、最終的に崖から飛び降りるという選択を取った」
「……」
「初めは無謀かと思ったけど、君は見事に魔術を駆使して難から逃れることに成功した」
エルルゥが下唇をわずかに噛み締める。
「いま君達がこうして生きているのはフリルの勇気ある行動を取った結果だ。もしあそこでただ悪魔に怯え、なにも行動を起こさずにいたら君達は死んでいただろうね」
もしそうしていた場合のことを想像してみる。確かに、どうシミュレーションしてもリフレクトの言う通り、死の結果しか見当たらない。あのとき選択を誤っていたらと思うと……思わず背筋が凍りついてしまう。
「つまりこの結果はフリル、君ひとりの行動で生み出したことによるものなんだ」
「……」
リフレクトはきっと気遣っている。話の対象をフリルだけに留め、エルルゥについて全く触れないのはこれ以上プライドを傷つけないようにするため。
そしてエルルゥはとっくに理解していた。『自分はなにもしていない』と。ただ泣きじゃくるだけで、フリルに頼りっぱなしであったことを。
なにも反論出来ないのがその証拠で、受け入れたくない事実だ。
エルルゥはそんな現実を突きつけられ、心に傷を負い、涙が溢れるのを必死に堪えていた。
リフレクトの正論にエルルゥの悲しき現実。この状況にフリルは。
「ねぇエルルゥちゃん。エルルゥちゃんって年齢はいくつかな?」
「ふぇ……? きゅ、9歳」
「なるほどなるほど〜。あ、ちなみに私は13歳!」
「?」
フリルがなにを言いたいのか全く理解できずにいるふたりは呆然としている。
「リフレクト様、この世界において上の人が下の人を守るのは当たり前ですよね?」
「ああ、もちろん」
先輩が後輩を、上司が部下を、政府が国民を、親が子供を守る立場にあるのは至極当たり前のこと。
「でしたら、私がエルルゥちゃんを守ろうとしたことは当たり前の行動になります」
フリルがエルルゥを守るのは年上として当たり前のこと。それは家族構成においても兄姉が弟妹を守るのと同じ。フリルはエルルゥのあまりの小さな体型にまるで妹のように感じていた。実際の年齢を聞いてからはその感覚がより鮮明となった。いまは自分が妹を守る姉の立ち位置であるかのように感じている。
「私が勇気ある行動を起こせたのはエルルゥちゃんの存在があってこそなんです。私ひとりだったら、あのような行動を起こせたのか分かりません」
エルルゥを守るという強い意志があったからこそ、勇気ある行動に繋がった。
「私は臆病だから……ひとりだと、なにもできずにいたと思います」
それは謙遜などではなく、事実を告げていた。
「だからエルルゥちゃんが不合格なら、私も不合格にしてくださいっ‼︎」
「!」
「ちょ、ちょっとなに言ってんのよあんたッ‼︎」
エルルゥがフリルの袖をグイっと強く引っ張る。
「あんたは合格なのよ⁉︎ わたしなんかのために同情なんてしなくていいから‼︎」
「同情なんかじゃない! それに私なんかなんて言わないで! 私はエルルゥちゃんが本当にすごいって思っているんだから!」
「どこがよ⁉︎ わたしなんて、ただ泣いているだけでなにもできなかったじゃん‼︎」
「それが普通なんだよッ‼︎」
「ッ⁉︎」
「はぁ……はぁ……。それが普通なんだよ、エルルゥちゃん」
フリルは叫んだ手前、一度乱れた息を整える。
「私も9歳のとき、なにもできなかった……」
「え?」
「ママが悪魔に襲われたとき、私はただ怯えるだけで戦おうとすらしなかった。できなかった。怖くて怖くて、泣くことしかできなかったの……ッ」
悲劇を想起させるセリフに驚きの顔を見せるエルルゥ。リフレクトは表情を変えずとも、フリルの話に真剣に耳を傾けている。
そして昔の記憶が蘇ってきたのか、フリルはとても悔しそうに歯を食いしばっていた。
それも束の間、込み上がってくる感情を理性で無理やり抑え込んで気持ちを落ち着かせる。
「だから、エルルゥちゃんはすごいよ。だってその歳でもう戦おうとしているんだもん。当時の私だったら防衛隊なんて怖くて絶対に入ろうとは思わなかったな」
それはお世辞ではなく、本心からのセリフ。
まだ身も心も未成熟な9歳の女の子が、命を懸けて悪魔と戦う防衛隊の道を選ぶということが、どれほどの勇気と覚悟が必要なことか。
「下澤エルルゥ。君は確か飛び級の子だったね」
「は、はいっ!」
これまでの歴史上、防衛隊に入隊してきた最年少は14歳。それは魔術師の養成施設『魔法教育機関』の入学条件が小学校を卒業する11歳からとなっているためだ。
魔法教育機関は留年や停学など個人の諸事情がなければ3年間で卒業できる。
だが下澤エルルゥは違った。
エルルゥは幼児期から多くの参考書を読破してきた。国語、算数、英語、理科、社会。読んだだけで書いてある内容を理解できてしまうその天才児は、小学校に入学する前の時点で頭脳レベルはもはや中学校卒業レベルまでに達していた。
それを魔法教育機関に認められたエルルゥは、小学校を卒業せずに入学が認められ、現在に至っている。
エルルゥは紛れもなく、天才の頭脳の持ち主だった。
「僕は正直、その人が飛び級だろうと特別扱いをする気はなかった。防衛隊で重要なことは戦えるかどうかだからね。その点だけを踏まえれば、エルルゥ、君はやはり不合格だ」
「ッ!」
「……まぁでも、フリルのセリフを聞いてハッとさせられたよ。君はまだ幼い年齢なのに、すでに防衛隊への道に一歩踏み出そうとしている。その強い覚悟をたったいま再認識することができた。この実技試験に参加しているのがなによりの証拠だね」
リフレクトは薄く笑みを浮かべ、エルルゥに手を伸ばす。
「その度胸に免じて、君も合格にしてあげよう」
「……い、いいんですかっ?」
「ああ。君が良ければね」
「……あ、ありがとうございます‼︎ ありがとうございますっ‼︎」
エルルゥは差し出された手を両手で包み込むように握る。強く握られたその小柄な手には、嬉しさ、喜び、そして感謝の思いが強く込められていた。
「礼を言うなら、僕じゃなくて彼女にだよ」
リフレクトがエルルゥを合格にしたのは、フリルの言葉に納得させられたことによるもの。
そのことは、エルルゥ自身が一番分かっていた。
「フリル、ありがどうぉぉぉおおおお‼︎」
「うんうん! よしよし」
エルルゥがフリルの胸にとびこむ。エルルゥはすでに弱りきったように泣きじゃくっており、その頭を撫でてあやす。
(か、かわいい……!)
妹のように可愛がるフリルの心は、エルルゥの小柄な可愛さによって母性本能がくすぐられていた。
そんなとき、この場にひとりの女性が現れる。
すぐに片膝を地面に着き、忠誠心を誓うような態度はリフレクトがエンペラーシックスという絶対の立場にいるからか。
「リフレクト様、受験生全員の安全確保が終わりました」
試験監督のひとり、ミラだ。
「あっ!」
フリルはミラを見て反射的に反応してしまう。つい先日、自分の家に訪れて来て少しだけ話をしたばかり。まさかこの場で出会うなんて思ってもいなかった。
ミラもフリルの存在に気づくと、顔を合わせるだけで無反応。まるで初めて会ったかのようだった。
(あれ? 無視?)
「リフレクト様、こちらのおふたりは?」
「ああ、ふたりは合格者だ。ちょっと立ち話をしていてね」
「状況からして、おふたりは制限時間に間に合わなかったものと見受けられますが……」
「色々あってね。ふたりは僕の権限で合格にすることにした。これから防衛隊として活躍の見込みがあると判断したからね」
「そうでしたか。リフレクト様がそうご判断したのであれば、私からはなにも言うことはございません。疑うような言動をどうかお許しください」
「いや、全然気にしていないから大丈夫だよ。それにいつも言っているが、そんなかしこまった態度は取らなくてもいいよ? もっと気軽に接してくれれば」
「いえ、私はまだエンペラーシックスの方々と同じ地位にはおりませんので。それに、上の方々に敬意を払うのは当然のことかと」
「はぁ……」
大きくため息をつくリフレクト。それは何度お願いしても言うことを聞いてもらえない呆れのようなものだった。
「でもま、ちょうどよかった。これから僕は別の仕事があるからさ。ふたりのことを任せてもいいかな?」
「かしこまりました。おふたりを一階フロアまでお連れ致します」
「うん、頼んだ」
それだけ頼むとリフレクトはこの場から姿を消す。その後、残されたフリルとエルルゥはミラの後に続いてゴールまで進み、一階フロアへと戻った。
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