12月26日 午前0時20分 パブ・ホルン


 ――終わるな、クリスマス!



 リナと仲間のホステスたちは、数名の客も混ぜて、騒ぎに騒いだ。


 この夜が終わってしまったら一気に年末モード、そして新年が来てしまう。


 クリスマスに独り身なのは、それほど寂しいことではない。

 本当に寂しいのは、新年を独りで迎える時だとリナは思う。


 ――お正月はどうしても家族のイメージがあるんだもん。


 バツイチのリナは、家族を作り損ねたという負い目があった。


 離婚を後悔しているわけではないが、年賀状や年始回りといったイベントを疎ましく思うようになったのは確かだ。


 クリスマスが楽しいのは、家族以外と一緒に過ごすことを許されるからに違いない。


 ――このオバサンたち、大好きだあ。


 自分も、三十半ばのオバサンかもしれないけど。



 その時、同僚のホステスから悲鳴が上がった。


「んきゃあああ!白井くんよおぉ!」


「どうしたの?一人で来るなんて、どうしちゃったの?」


 店の入り口付近に黒い影が棒立ちになっている。


 何やら大量の箱を持って店内を見渡すと、何かの当てが外れたのか首をかしげた。


 しかし、すぐにリナに気づくと、小さく頭を垂れながら近づいてきた。


「こ、こんばんは……」


「シロップくん?どうしたのよ、珍しい……」


 この黒づくめの男――白井は、以前、リナの同僚ホステスがトラブルに遭った時に、色々と協力してくれた土地家屋調査士だ。


 そうはいっても、ほとんど誰かの言いなりになっているような大人しい人物である。


「リナさん、ウサさんは来てませんか?」


 ウサさんというのは、白井の仲間である弁護士宇佐見のことだ。白井とは逆の、こういった夜の店で飲むのを日課にしているような女好きの人間で、白井とは同級生だと前に聞いたことがあった。


「宇佐見さんなら、さっきまで飲んでいたけど、一時間くらい前に帰っちゃったわよ」


 リナの言葉に、白井が首をかしげてつぶやいた。


「あれ、時間……間違えたかな……」


「待ち合わせしていたの?」


「クリスマスケーキを買ってきて欲しいって頼まれたんです。あまりに急で、どこも店はしまっていて、かろうじてコンビニの前で買えたんですけど……」


 白井はケーキの箱を見つめた。


「てっきり、ここで皆で食べるんだとばかり思っていました。それにしても、ウサさんどうしたんだろう」


 確かに、あの宇佐見が日の変わる前に帰るなんてありえない。


 ――あんな遊び人にも、クリスマスは特別な誰かがいるのかしら。


 すでに、日付は十二月二十六日となっているけれど。


 ――でも、きっとそうだ。


「高いシャンパンを二本持ってきていたの。一本はここで皆で飲んだけど、もう一本はそのまま持って帰ったもん。誰かと飲むのよ、きっと」


 リナが言い終えるより前に、白井は携帯で宇佐見に連絡をしていた。すぐにメールの返信があると、白面の男はまるで弾かれたように顔を上げた。


「こ、これ。よければ皆さんでどうぞ。あの、少ないですけど……」


 白井はケーキの箱を一つ差し出した。


「わ、ありがとう。じゃあ、シロップくんも一緒に食べようよ」


「はあ、いや。僕も行かなきゃいけないので」


 すると、ふいに白井がリナを見つめた。


「大丈夫ですか?何か、体調が悪そうですけど」


「え?」


 そんな顔をしていたのだろうか。


 ――。


「大丈夫よ。もうこんな時間だし疲れちゃっただけ」


「はあ。大変ですね」


 その落ち着いた低い声には、いつも癒される。


 なぜか少し悔しくなって、リナは意地悪い笑みを浮かべた。


「ねえねえ、せっかくのクリスマスなのに、シロップくんは彼女とかと過ごさなかったの?」


「はあ、そうですね。独り身なので」


「私も独り身よ」


「そうでしたっけ」


「今晩、一緒に楽しまない?それとも、年上は嫌いだっけ?」


 そっと腕に手をかけると、目に見えて白井の身体が硬直するのがわかった。


 しかし、すぐにその緊張は解け、白井はうつむくようにリナを見つめ返した。


「……皆さんが、待ってますよ」


「え?」


「体調が悪くないなら……お仕事ですから……」


「……」


 リナは白井の言わんとしていることを瞬時に解した。


 ――甘えるなってことだよね。


「うん、ごめんね。シロップくん」


「いえ、その」


 白井は言葉を濁した。


「リナさん、僕は」


「わかってる」


 ――もういいよ。ごめんね。


「僕は……自分はさびしい人間なんだって素直に受け入れてしまうから、多分ダメなんです。独りでも平気なんです」


「……え?」


「でも、誰かと一緒にいて、その人がさびしい思いをするのは、耐えられません。だから」


 独りで良いんです――白井は言い聞かせるようにつぶやいた。


「リナさん、お身体を大切になさって下さい。また皆で飲みに来ます」


 ――相変わらず気遣い屋だなあ。


 リナは小指を差し出した。


「言ったな?絶対だからね。約束!」


 なぜか、そこで白井は顔を紅潮させ、恐る恐る細い小指を絡めてきた。

 

「それじゃ、失礼します」


 そして、小さくため息を吐く。


 前髪の隙間から、苦しそうな瞳がのぞいた。


「ウサさん……らしくないな」


 騒々しいフロアにもう一度頭を下げると、黒服の男は静かに店を出て行った。


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