12月25日 午後11時48分 ひまわりマート駅前店


「ホント、冗談じゃないよ。もうクリスマス終わるじゃん」



 ケーキの店外販売、ノルマはあと三個。


 ――誰が買うんだっての。


 麻衣は何度目かわからない白いため息を思いっきり吐いた。


 日も変わろうとしている深夜の駅前。娯楽も何もないつまらない町の玄関は、眠りに帰るだけの人々がうつむきながら散っていく。


 それもまばらになって来た。


 当然、コンビニのクリスマスケーキになど目もくれない。


 テーブルの端に置いたスマートホンの液晶が光った。

 

 すぐさま友人からのイルミネーションの写真が映し出される。


 ――はいはい。彼氏とラブラブで良かったね。


 麻衣はもう一度ため息を吐いた。


 どうせ何の予定もないのだから、バイト代を思いっきり稼いでやろうとシフトを入れたのは自分だが、急に休んだ同僚のせいで、残業をするはめになった。しかも、よりによって、クリスマスケーキの店外販売だ。


 二十歳になれば、自然と恋人ができて、クリスマスは楽しく過ごせると思い込んでいた自分が馬鹿らしい。


 何となく、自分はこのままダラダラと年をとっていくような気がした。


 恋愛って、どうやるの?

 好きになるって何?



 ――どうでもいいけど、寒い。



「あの」



 突然声をかけられ、麻衣は身体をびくつかせた。


 いつの間にか、客が来ていたようだ。


 黒いコートに身を包んだ前髪の長い男が、テーブルのそばに佇んでいる。


 チラリと見えるあご先は細くて異様に白い。


 ――。


 麻衣はこの男に見覚えがあった。

 朝の時間帯、時々やって来る客だ。


 先日辞めていったスタッフの女が、毎朝キャーキャー言っていたのもついでに思い出した。


 この怪しげな男のどこがカッコいいのか麻衣にはサッパリわからない。


「い、いらっしゃいませ」


 自分で言いながら、このセリフに麻衣は戸惑った。すでに時間はクリスマス終結のカウントダウンが始まろうとしている頃だ。


 ――値引きされるのを待ってるのかも。


 しかし、男は財布を取り出しながら(なぜか小さく頭を垂れて)ためらいがちに、


「三つ、下さい」


 そう言った。


「は?」


「三つ……全部欲しいんですけど……あ、いや、予約しないとダメでしたか?」


 男の顔は見えないが、困惑したように首を傾げた。


 麻衣は、積み上がったケーキの箱と男を交互に見つめ、じわじわ溢れる喜びに飛び上がりそうになる。


「だ、大丈夫です!三つですね、ありがとうございます!」


 ――やった、ノルマ達成!


 しかし、麻衣は釣銭を用意しながら、すぐに疑問に感じた。


 ――こんなに食べるの?



 男はビニール袋に入れられたケーキの箱を二つ、それぞれ細い腕に引っ掛け、一つは難儀そうに抱えた。どう見ても、ホールのケーキをたいらげるような体型ではない。


 ――ま、どうでも良いや。


 すると、男は少し何か考えるようにうつむいて、小さく息を吐いた。


「あの……こちらのお店に川島さんという女性がいらっしゃったと思うんですが」


「へ?」


「朝の時間帯……今も働いていらっしゃいますか」


 辞めた同僚の女子スタッフのことを突然聞かれて、麻衣は一気に警戒した。


――え、超怪しいんだけど。まさかストーカー?


 麻衣が返答に窮していると、男は小さくうなずいた。


「……辞めてしまったんですね」


「……」


「返事を渡そうと思っていたんですけど……」


「は?」


 ――返事?


 男はにわかに動揺した。


「はあ……。川島さんから手紙をいただいて、返事を渡そうとしたんですが、最近は仕事の関係でなかなかこちらに立ち寄れなかったんです」


 仕方ないですね、男はそう言い残して立ち去ろうとした。


「あ、待ってください!」


 ――あの子、まさかこの人に告白してたの?


 麻衣は男を見つめた。


「その返事のお手紙、ずっと持ち歩いているんですか?」


「はあ。そうです」


 男の白い顔が少しだけ赤くなった気がした。


 つい、麻衣は踏み入った質問を投げかけてしまった。


「それって、オッケーの返事ですか」


 しかし、男はわずかにうなだれた。


「いえ……やはり、ちょっと難しいです。自分とは、年齢差もありますし、それと……僕はあまりこういうのは……いや、今は仕事が忙しくて」


 ありきたりで予想通りな答えだが、麻衣は不思議な気持ちで男を見つめた。


「無視して良かったんじゃないですか?手紙とかもらって、キモいとか思わなかったんですか?」


 男は、ケーキの箱を持ち直すと、小さく首を横に振った。


「最初は驚きました。でも、内容を読んだら、彼女がすごく勇気を出したんだということがわかりましたから。このネット中心の時代に、きちんと手書きで……僕なんかに、申し訳ないくらい、気持ちをいただきました」


 男の言葉に、麻衣は少しだけ胸元が温かくなった。


 ――変わった人。


 でも、何だろう。


 辞めた女子スタッフの子が、少し羨ましくなった。


「もらった手紙にアドレスはなかったんですか?」


「書いてありましたけど、僕だけメールというのは、失礼かと思いまして……。ああ、でも辞めてしまったなら、そちらに返信します。確かここに」


 そう言って、男は鞄の中を探り始めた。


 そして、ファイルの中で可愛らしい便箋がのぞいているのを麻衣は見つけた。


 なぜか、急に胸が苦しくなった。


 ――カワシマちゃん、あんた幸せ者だぞ。


「あの、私が代わりに川島さんに渡しておきましょうか?」


「え?」


「ケーキ、買ってくれたお礼です。彼女とは連絡取れるので……」


 男は戸惑いつつも、麻衣に礼を言うと、ケーキの箱をテーブルに置いて鞄から手紙を取り出した。


 その時、ふいに長い前髪からのぞいた切れ長の瞳と目が合った。


「助かります。よろしくお願いします」


 その静かな湖面のような瞳が、優しく笑った。



 ――ああ、これか。



 すぐに男の顔は見えなくなったが、なぜか、とても大切なもののように、その笑顔は麻衣の胸の奥の方へとしまわれた。


「えっと……何て言って渡せば良いですか」


 どうしてだろう。急に、男を直視することが出来なくなった。


 そんな変化に気づくはずもなく、男はケーキの箱を持ち上げながら言った。


「伝えたいことは書いてありますので……白井から預かったとだけで大丈夫です」



 ――白井さん。



「あの、今日はケーキを買ってくれてありがとうございました」


「いえ、そんな。こちらこそ遅くまでスミマセン」


 ――別に、それはアンタのせいじゃないでしょうよ!


 麻衣はおかしくなって笑った。


 そして、立ち去ろうとする男に、今度は急に寂しさを覚えた。


「よ、良かったら、また缶コーヒーを買いに来てくださいね。白井さん」


 すると、男が驚いたように麻衣を振り返った。麻衣も慌てて口を押さえる。



 ――何だ。

 ――私だって、あの子と同じで、ずっと見ていたんじゃないか。



 男は首をかしげながらも、低く穏やかな声で言った。


「……そうですね。年明けからはこちらにも立ち寄れそうです」


 さらに、何か思いついたように、


「あの、こんな時間ですので……帰りは気をつけてください」


 そう言って頭を下げつつ、白井はタクシー乗り場へ向かった。


 ――。


 麻衣は、預かった手紙と、遠ざかるその背中をいつまでも見つめ続けていた。


「ごめん、カワシマちゃん。代わりに私が色々もらっちゃったよ」




 そして――今年のクリスマスが終わる。


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