第15話 そんなことを言われても
ちょっと
(まったくどこのバカですか、宮中で不躾な!)
と思うと同時に、野次馬的好奇心も刺激されてワクワクしてしまいます。それで人垣を掻き分けて近くへ見に行ったら、
「テレーゼ、三度は言わぬ! 私はおまえとの婚約を破棄する!」
「何度言われようと納得できませんわ!? なぜですの、王太子殿下!」
通路のど真ん中で痴話喧嘩を繰り広げているのは
◆
私、アントン子爵家のハンナが
王国有数の大貴族の家で
そんな
いやしかし、他人事なら大好物のスキャンダルですが関係者となるととても困ります。私のポジションはテレーゼ様の右斜め後ろなので、利き手側だから癇癪を起こされたら被害が出ます。ワインでも投げ捨てられた日には、右横担当のベーレン伯爵家のメリノ様と私は一張羅が台無しになります。
……あっ。みんな驚いた振りをして、さり気に距離取ってるわ。
目立たないうちに合流しないと……と私が慌てている間に、王太子様がまた口を開きました。
「テレーゼ、私はもうおまえの傲岸不遜な性格には我慢がならんのだ!」
そうでしょうとも。
ショックを受けているテレーゼ様も叫び返されます。
「そんな……不当なお言葉ですわ!」
いえ、全然。
「そのような誹り、誰にも言われた事はございませんわ!」
あんたに誰が言えると思ってんのかい。
「はっ、おまえの周りはよほどにボンクラが揃っていると見えるな!」
それが不当評価ってヤツ!
見ていてちょっと気になったのですけど、この騒ぎの中でなぜか王太子様の真横にお供が一人います。あの人なんなのでしょう?
おろおろはしているけど驚いていないから、この事態を予想していたみたいですけど……王太子様のいつもの取り巻きとは別よね?
と、舌戦に飽きたか王太子様が言い争いを打ち切り、いきなり隣のお供を抱きしめて叫ばれました。
「いい加減にしろ、テレーゼ! 私はこの者と真実の愛を見つけたのだ! もうおまえ如きに構っている暇は無い!」
……。
何も考えられない数秒間が過ぎて私が我に返った時、我らがテレーゼ様と
宣言するなりイチャイチャし始めた二人に、何とか言葉を思い出したテレーゼ様が回らぬ口で問いかけられました。
「あの……えーと? なに、が……?」
テレーゼ様、言語中枢はまだ回復していないらしいです。そうでしょうね。免疫のある私でも一瞬意識が飛んだのだもの。
ウルヒト殿下がテレーゼ様を小ばかにするように、蔑んだ目で鼻を鳴らされました。
「ハッ! 人を見下してばかりのおまえには、包み込むような愛などわかるまいな!」
殿下はうっとりと相方の胸に縋り付き、頬ずりされています。その様はまるで恋する乙女のよう。ふむ、殿下の方が
やっと自分を取り戻したテレーゼ様が絶叫なさりました。
「どういうことですの殿下!? 真実の愛って……その男と!?」
まあ、そこに行きつきますよね。
殿下が真実の愛を発見した運命の人は、当人より頭半分高いガチムチ系でした。
割と美麗系の王太子様が、角刈りの大男の厚い胸板に縋り付いている様子は思ったよりも絵になります。ただ相手は髭の剃り跡も青々していて顔が濃いタイプですから、そっちの趣味の貴腐人でも好みは分かれると思われますね。
「冗談じゃありませんわ!? 不潔ですわ! 離れなさい!」
うん。鑑賞に堪えるかどうかは置いておいて、寝取られた本人は収まらないですよね。
テレーゼ様がキイキイ言うのを鬱陶しそうに一瞥した殿下が、“最愛の人”に指示を出しました。
「ジョルジュ、あの女におまえの魅力を見せつけてやれ」
「御意でございます」
“ジョルジュ様”はテレーゼ様の方へ一歩踏み出すと……突如両手でシャツの前をはだけました。そしてシャツの前を全開のまま、ご立派な体格に似合わぬ妙に女性的なしぐさで色気たっぷりにウインク一発。
「君の瞳に、ギャランドゥ!」
…………。
ああ、うん……見事な胸毛ですね。
ジョルジュ氏は男性ホルモン旺盛な体質のようです。ある特定層にはフェロモンも濃すぎて目に毒かも知れません。
「ああっ! ジョルジュぅ! 君はなんて眩しすぎるんだっ!」
ですので“ある特定層”でいらっしゃる性癖バッチリな殿下があんなに近くにいれば、被弾するのも当然と言えば当然でしょうか。
顔を押さえたウルヒト殿下は卒倒しそうなぐらいに弓なりになって、おまけにビクンビクンされています。最愛の人のセクシーポーズに感極まっていらっしゃる。
「こうしてはいられない! 今すぐ戻ろう、私たちの愛の巣へ!」
「承知でございます」
色々我慢し切れなくなったようで、ハアハア言っている殿下はジョルジュ氏にお姫様抱っこされて退場なされました。彫像の群れになった観衆を置いて。
殿下、もう許嫁のテレーゼ様のことも眼中にないですね。笑っちゃう。
殿下が居なくなった後の現場には、ただ無言の空間が広がっています。
我々のグループ以外にも野次馬がたくさんいたけれど、誰もが呆気に取られて今起きた事件を消化し切れていない様子でした。
こんな時、どうしたらいいか?
それはもちろん、三十六計逃げるに如かず。こんな状態で取り残されて針の筵になるのはごめん被りたいです。
私も燃え尽きて灰になったようなテレーゼ様の手を引いて、周囲の人が我に返って大騒ぎになる前に逃走する事にしました。
◆
もう何杯目か判らないワインを飲み干し、テレーゼ様はグラスを卓に叩きつけました。
「なぜ? なぜなの殿下……!」
殿下が“真実の愛”を見つけてしまったことに納得がいかないらしい。でしょうね。
テレーゼ様がキッと私を睨みつけます。
「ねえハンナ! 殿下は私の何がダメだって言うの!?」
「そうですねえ……まず性別?」
「冗談じゃないわよ!?」
またぐちぐち自問自答を始めるお嬢様に、私も内心ため息をつきました。
噂が広がる前になんとか車寄せにたどり着き、私はテレーゼ様を馬車に押し込んで侯爵邸まで逃げてきました。
その前に取り巻き筆頭のピレナ伯爵家のマリー様が「どうしたらいいのよ!?」とか動転しながら聞いてきたので、宮中に残って噂が広がるのを揉み消すように頼んでおきました。彼女にできると思えなかったけど、仕事を与えておけば気がまぎれるでしょう。
虎の威を借る狐に普段の意趣返し、だなんて思っていないですよ? 淑女がそんなはしたないことは考えたりしません。でもパニックの現場に取り残されて愕然とした彼女の顔は面白かったです。
それはいいけど、二人で逃げてきちゃったので必然的に愚痴の相手を一人でしなくてはならないのは想定外でした。ついでにメリノ様の手も引いて来ればよかったです。
ワインを一本半も一人で空けたテレーゼ様は、据わった眼で私を見ました。これ、良くない兆候ですね。
「こうなったら……ハンナ、殿下とあの男をどんな手を使ってでも別れさせなさい!」
「はっ!?」
突然の命令に、私は勝手にお相伴に与かっていたワインを噴きそうになりました。
「私がでございますか!?」
「あなたしか今ここにいないでしょう!? なんとかしなさい! ……殿下とあの男が別れれば、きっと殿下のお心は戻ってくるわ!」
そもそも、元々殿下のお心がテレーゼ様にあったのかどうかは議論の余地がありますが。
ていうかテレーゼ様、男に走った元カレを今さら取り戻したいですか?
「私にそのような大任が務まりますでしょうか……?」
言葉の下に無理という含みを込めて、おそるおそる上司に反論してみます。王太子殿下の性癖を曲げろって、いくら何でもたかが子爵家令嬢に無茶ぶり過ぎじゃないでしょうか?
「あなたならできるわ! 卑怯で汚いのはあなたの十八番じゃない!」
このアマもいつかきっと泣かせてやろうと、私はひそかに心に決めました。
◆
王太子殿下への取次ぎは意外と簡単に叶いました。
テレーゼ様からの使者というのが良かったかも知れないです。向こうも本人が怒鳴り込んで来るより相手が楽なのでしょう。
執務室に入って頭を下げると、机の向こうからキラキラ王子様が睨んで来ました。
「形式ばった挨拶などよい。それで? テレーゼの用は何だ」
「はい、こちらをご覧いただきたいのですが……」
話が早くて助かります。
私はお側に近寄り、ポケットから出した水晶のペンダントを目の前で揺らして見せました……。
◆
一週間前のアレの件もあってか、テレーゼ様は緊張気味で何度も私に尋ねて来ます。
「大丈夫でしょうね? 本当にあの男と別れたのね?」
だからそもそも無茶ぶりだっての……と思っていることはおくびにも出さず、私は
「はい、それは殿下の周りに確認済みです。今日連れてきているということはありません」
「絶対よ!? 今日は一番大事な舞踏会なんだから!」
せっかく盛装しているのにイライラしながら爪を噛むテレーゼ様。はしたないですよ? それにしてもテレーゼ様に付け爪を食べる嗜好があるとは知らなかったです。
今にも喚き散らしそうなお嬢様を取り巻き皆でなだめていると、ついに王家の入場がアナウンスされました。王太子殿下が最初に一曲踊る時は当然許嫁のテレーゼ様の手を取ることになるので、一同玉座の近くへ急ぎます。
列席者が一斉に頭を下げる中、陛下たちが御入場。
御一家が定位置に着くと同時に、儀典官が一堂に頭を上げるように指示をするのですけど……なぜか今日は声が上ずっていますね。
「い、一同、面を上げよ!」
怪訝に思いつつも顔を上げると、正面に呆けて口を開けたまま無表情になっている王様と王妃様。そしてその横で……。
小太りの冴えないおっさんとイチャイチャしている
なるほど、こう来ましたか。
停まった時間が流れを戻すと同時に、テレーゼ様が鬼の形相でなぜか私を怒鳴りつけて来ました。
「ハンナ! これはどういうことなの!?」
そんなん私に言われても。本人に聞けや、でしょうか。
そんな気持ちで私が肩を竦めるのを見て、話にならないと悟ったのかテレーゼ様が王太子殿下に向けて叫ばれました。普段マナーを気にするテレーゼ様ですけど、今は臣下の方から声をかける不敬さえ頭からすっ飛んだらしいです。
「殿下、その者はっ……!? 一体どういうことですの!?」
言われた方も愛情表現に忙しくて、許嫁が不躾な真似をするのもどうでもいいようです。
「私はとうとう真実の愛を見つけたのだ!」
たぶん列席者のほとんどが理解できないことをのたまいながら、殿下はうっとりと新しい愛人の腹を撫でまわしています。
「ああ、いい……このしまりのないタプンタプンの腹が何とも言えぬ!」
「いやあ、照れますなあ」
オッサンといちゃつく息子を目にして、
侍従たちが慌てて駆け付ける玉座の惨状を横目に、テレーゼ様が歯ぎしりしながらなぜか私の胸倉を掴んできました。テレーゼ様、ちょっとお下品ですわよ?
「何をどう説得したらこんな惨劇になるのよ!?」
「それを言われましても」
私もこうなるとは思っていなかったのです。
「あの男はダメだ、他に真実の愛がある……そう訴えかけましたら、何故かこの状態に」
「あなたは大事な時に役に立ちませんわね!?」
ちぇっ、上司ってのはいつもコレですよ。毎日忠勤に励んだって一度の失敗だけで評価をつけるんだから、やんなっちゃう。
夢見心地の殿下はオッサンの下っ腹をすくい上げるように揉みしだき始め……ほう? 昨日今日デブ専を始めたにしては、デブの愛で方を知っているじゃないですか。やりますね。
「真に愛するべきは何か、己を見つめ直して私は悟ったのだ……逞しさより包容力ではないかと!」
肉体の好みを言っているのなら、なかなか珍しい表現の仕方です。
「この高反発、いくら攻めても底知れぬこの弾力……たまらん!」
「いやあ、照れますな」
殿下、まさかここでおっぱじめないですよね?
「忠告感謝するぞ、ハンナ嬢!」
殿下が余計な一言を言ったせいで、
せっかく顔だけは良いのに、その唯一の美点を思いっきり歪めてテレーゼ様が詰め寄ってきます。あ、ダメ、あんまりその顔を寄せないで……緊迫の場面なのに笑っちゃう。
「あなたのせいでより悪化したじゃないですの!」
精一杯頑張ったのになあ。
「まあ……ちょっと、趣味がスライドしましたかね?」
「絵面はより一層酷くなりましたわ! 美少年ならまだしも、なんで変なオヤジばかりなんですの!?」
それはまあ、殿下が老け専なんじゃないですかね。
あと、相手が美少年でもあなたにとっての状況は変わりません。
などと色々考えていたら、テレーゼ様に激しく揺さぶられました。
「ちょっと! ハンナ、何とか言ったらどうなんですの!」
「えーと、ですねえ……」
私もちょっと自分の思うところを述べてみました。
「確かに殿下と美少年なら絵になる。それならば許せるというお気持ちも判ります。しかし不肖私めが思いまするに
「誰がそんな話をしていますの!?」
話が長かったせいか、テレーゼ様がキレちゃいましたわね。まったく気が短いんですから。
テレーゼ様が私をより激しく揺さぶって来られます。
「私は殿下のお心を私に取り戻したいと言いましたのよ!?」
えぇ~……。
「そんな特殊性癖を望まれましても」
「そ・れ・は・どういう意味ですの!?」
やべえ、つい本音が。
なんか限界点を突破しちゃったのか、テレーゼ様が私の首を絞めてきました。
「あなたまさか、殿下がホモに走るようにわざと誘導してないでしょうね!?」
「イヤですわ、そんなまさかぁ……ただ」
私はコホンと一つ咳をして、遠くを眺めます。
「全てのゲイボーイを生暖かく見守り、陰から愛でる。そう誓った貴腐人による秘密結社『
一旦言葉を切った私は、テレーゼ様の目をまっすぐ見てきっぱりと言い切りました。
「BLも薔薇もさぶも兄ショタも、違いはあっても価値に貴賤はございません。そう……“みんな違って、みんないい” ただこれだけでございます!」
「本当に腐ってますわね、あなた!」
テレーゼ様が私を締め上げている間にも、王太子殿下とオッサンのイチャイチャは深まり、会場の混乱は増すばかり。ついでに言えば国王夫妻はすでに担架に載せられ運び出されたので、パーティを始めることも止めることも出来ずにただパニックです。
その空気の中。とうとうテレーゼ様がしゃがみ込んでさめざめと泣き始めました。こんな姿は久しぶりですね。横暴な姫の心折れる瞬間は、何度見ても良いものです。
「殿下の愛を取り戻したいだけなのに、なんでこの地獄絵図になるんですの……!」
あれだけプライドの高い人が打ちひしがれて萎れている様子は実に趣深い……などと言っている場合ではないですね。コレの機嫌が我が家の未来にも影響するんですから。
私はそっと肩に手をかけました。
「テレーゼ様……」
「……ハンナ」
テレーゼ様が顔を上げて私に振り向きました。普段気が強い人が泣き顔なことにズッキュンムラムラ……いや、いかんいかん……しおらしいテレーゼ様に、私はハンカチを差し出します。
「テレーゼ様、まだ時間はあります。殿下のお心を取り戻……えっ、取り戻す? ……まあ取り戻すでいいのか? いやでも、取り戻……掴む! うん、掴むがいいわね!」
「あなた、今なんで何度も言い直しましたの?」
余計な質問は聞かなかったことにして、私はニコリと微笑んだ。
「殿下のお心を掴むためには、不興をかったところを直していきましょう」
「そんなことを言われても……」
テレーゼ様の目尻に、またジワリと涙が浮かんできた。
「完璧すぎて近寄りがたい以外に欠点の無い私の、何を直すところがあるのかしら……」
この期に及んでテレーゼ様も強心臓です。さすが侯爵家令嬢。
「そうですね」
本人に心当たりがないみたいなので、代わりに私が思いつく限り並べてみました。
「顔以外、全部でしょうか」
◆
その後、ウルヒト殿下とテレーゼ様は幸せに暮らしておられます。
私も知恵を絞ったテレーゼ様改造計画は、残念ながら却下になりました。識者曰く、今さら直しようがないそうです。それはそうだろうな、と私も思います。
代わりに対策会議が大々的に開催されました。王太子殿下が公の場でやらかしているので、隠密にする必要が無いからですね。両陛下夫妻や大臣たちまで集まって相談した結果、画期的な案が採用されました。
いわく。
「王太子殿下の方を“女王様”に虐げられると悦んじゃう人にする」
逆転の発想ですね。
さすが人数が集まれば色々な発想が出てきます。私もまだまだ経験の足りない小娘だと痛感させられました。
初めは殿下も抵抗されましたが……私の催眠術と城下から呼んだテレーゼ様似のプロのお姉さまの努力で、二週間ほどで異性に興味がある殿方に変身されました。
今ではお二人もラブラブで、殿下は今日もテレーゼ様に「さあ思う存分罵っておくれ、マイスイート!」と愛を囁いておられました。熱々で見ているこちらが恥ずかしくなります。
でも時々テレーゼ様が複雑な顔をなさるのはなぜでしょうね?
かくいう私も解決の為に結構尽力したと思うのですが、なぜか褒賞をいただけませんでした。
功績とやらかしたのを相殺して恩赦だそうです。
この度の一件、そこだけが不満です。
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