第13話 王子様は奪い取れ!

 女王は私室に招き入れた王子とその想い人の話を聞き終わると、深く深くため息をついた。

「レオニール、本当にそれでいいのですね?」

 問いかけられた王子は直立不動の姿勢で頷いた。

「はい。私はモニカとの婚約を破棄し、こちらのエリナ・アンジェロ男爵令嬢と結婚するつもりです!」

 宙を睨みながら決意を表明する王子から女王は視線を外すと、彼の隣に寄り添うように立つ可憐な少女に目をやった。国の最高権力者に見つめられて少女はビクッと身を震わせたが、意思を問われて少女も決然と「王子と結婚したいです!」と繰り返した。


 政略結婚を拒否し、恋愛を成就させたいという王子。

 その過程であったという、許嫁による嫌がらせの数々。

 王子という立場で何をどう優先すべきか、政治と個人とでは受け取り方が違う話をどう判断すべきか。


 若い二人の若過ぎる宣言に、しばし女王は瞑目した。

 そっとまぶたを開くと、政略結婚を拒否した息子とその彼女を強い眼差しで見据える。

「……レオニール。貴方がそう言うのならば、モニカ……ルドヴィッチ辺境伯令嬢も王宮へ呼んで全貴族立ち会いの下で問責を行いましょう」

「はっ、ありがとうございます!」

「ありがとうございますぅ!」

 急いで頭を下げる二人に、女王は厳しく言い渡す。

「しかし! 我が国の国是、『力こそ正義』を忘れてはいませんね? そこの娘が糾弾の場でモニカの主張に負けることがあれば、婚約通りおまえはモニカと結婚するのです。後で何を言おうと通りませんからね? 心しておきなさい」

「はっ!」


 若いカップルは退室する女王を頭を下げて見送り、扉の閉まる音で頭を上げた。

「レオニール様ぁ、やりましたね! 女王様に認めてもらいましたぁ」

 最愛の少女の甘ったるい祝福の言葉に鼻の下を伸ばしながらも、レオニール王子は不安げな様子を隠せなかった。

「ああ、だけどモニカとの婚約破棄はまだ着手したばかりだよ。母上は次の舞踏会の時に貴顕を集めた大広間で君とモニカを面と向かって争わせるつもりだ。君がモニカをやり込めるのに失敗すれば、僕たちは引き裂かれてしまうだろう……心を強く持ってくれ! 頼むぞ!」

 王子の熱い視線を浴びて、頬を染めた可愛らしい少女は力強く頷いた。

「わかっていますわ、レオニール様! 私たちの未来の為に……私、頑張ります!」

「エリナ!」

「レオニール様!」

 二人はギュッと抱き合い、女王付きの侍従に退室を促されるまで二人の世界を作っていた。


   ◆


 豪奢な両開きの扉を前にレオニール王子と男爵令嬢のエリナ、二人の取り巻きたちは緊張を隠せなかった。中から多数の人間が興奮している様子が漏れ伝わってくる。


 時間はあっという間に過ぎ、いよいよ今日は宮廷を上げての舞踏会の日を迎えていた。参加者が集まったところで女王より皆に告知があり、その後にエリナを立てるレオニールたちと辺境伯家一党がそれぞれ入場する段取りになっている。周囲を取り巻く国中の貴族たちの真ん中で、エリナはモニカ・ルドヴィッチと二人きりで正面きって対決する予定だ。

「だ、大丈夫か? エリナ、緊張していないか?」

 エリナよりよっぽどコチコチの騎士団長令息が何度目かわからない確認をする。

「エリナさん、とにかく落ち着く事です。焦っては向こうの思うつぼです」

 宰相令息のアドバイスももう五回目だ。

「エリナちゃん、ファイト! 神のご加護は君と共にあるよ!」

 大司教令息も軽い口調ながらも落ち着かない様子で励ましてくる。

「エリナ、私たちの未来は君にかかっている。アイツに呑まれず、頑張ってくれ!」

 王子も熱い視線で手を握ってきた。

 エリナ・アンジェロは王子と取り巻きたちを前に、けなげな笑みで笑って見せた。

「大丈夫です! 私、皆さんのために頑張ります!」

 皆と握手を交わしていると、エールの交換が済んだのを見計らったように扉の左右に立つ侍従が声をかけてきた。

「そろそろお時間です。我々が扉を開きましたらアンジェロ様を先頭に御入場いただき、アンジェロ様は大広間中央の広く開けたスペースまでお進み下さい。殿下や皆様は貴族の皆様のラインまででお願いします」

「わかりました!」

「うむ、わかっている!」

 返事を確認した侍従二人は頷きあい、同時に左右の扉を押し開き始めた。それに合わせ、大広間の中から群衆の歓声と会場係の侍従が叫ぶ「エリナ・アンジェロ男爵令嬢、並びにレオニール王子殿下御一同入場!」のアナウンスが聞こえてくる。

 少年たちはエリナを先頭に、王子の許嫁を糾弾する公開討論会の場へと歩を進めた。


   ◆


(くくく……これでモニカってやつを論破すれば、あたしは王子様の婚約者よ!)

 表面上は可憐な表情を取り繕いながら、内心でエリナは快哉を叫んだ。


 男爵の妾の子なんて貴族社会じゃ底辺も良いところだけど、お偉いさんのお坊ちゃんズになりふり構わないアタックをかけ続けてついにここまでやってきた。

(まさか憧れの王子様が釣れるとは思わなかったけど……そのモニカってヤツは会ったことがないからよく知らないけど、どうせ貴族のお嬢ちゃんなんかプディング並みのメンタルしかありゃしないわ! 下町育ちのあたしは何言われたって、そう簡単には言い負かされないわよ!)


 この国は“勝てば官軍”の気風だ。まさか貴族社会もそうだとは思わなかったけど、血筋より正当性より言い負かしたヤツの方が優先されるらしい。エリナにとって実に都合がいい。

 勝った方が王子と結婚できると女王の言質も取った。でも後でひっくり返されないように、万が一を考えて世間知らずのお嬢ちゃんを徹底的に叩きのめしてやる。ショックで泣き喚く深窓のお嬢様を、トラウマを植え付けるまでコテンパンに叩くのだ。

(この勝負、もらったわよ!)

 エリナは内心勝ち誇りながら、大広間の中央へ進み出た。


   ◆


 会場の中心でエリナが見た目だけ殊勝にかしこまっていると、エリナたちに続いて反対側の扉が開き、そちらに立つ侍従がルドヴィッチ辺境伯令嬢の入場をコールした。

「モニカ・ルドヴィッチ辺境伯令嬢、並びにルドヴィッチ家親族御一同入場!」

(ふふん、王子に見放されたモニカってヤツ、どんなツラなのかしら?)

 ニヤつく口元を押さえながらそちらを眺めたエリナ……の視線に入って来たのは。


 おそらく二十人近い貴族令嬢、令息が、一人の美しい令嬢を先頭に前の人間の肩を掴んで一列に……ホントに一列に蛇行しながら入場してきた。その姿を見た並み居る貴族たちが、見えた順から一斉に雄叫びを上げ始める。

「は……? どういうこと、あれ?」

 貴族の入場行進とも思えない。気勢を上げ、声援を送る通路近くの観衆に拳を誇示する。まるで拳闘士の入場だ。

 予想外なライバルの入場スタイルにエリナがあっけにとられていると、いつの間にか高いところに登った宰相が上着を脱ぎ捨てドレスシャツに蝶ネクタイ姿でアナウンスを始めていた。

「さあルドヴィッチ家のモニカ嬢、いつもの通り一族の結束を現すルドヴィッチ・トレインで御入場です!」

「はっ!? なにそれ!?」

 エリナが状況がわからずキョロキョロしている間に、列から離れた先頭の令嬢が目の前までやってきていた。彼女が自信満々にガッツポーズを見せると、周りを囲んだ観衆たちが熱狂的にモニカ・コールを始める。

『モニカッ! ボンバイエッ! モニカッ! ボンバイエッ! モニカッ! ボンバイエッ!』

 頭の上で拳をリズミカルに振り、トランス状態でモニカの名を叫ぶ貴族たち。

 それに応じてモニカが、中指と薬指だけを畳んだ不思議なハンドサインを高々と突き上げた。

「ウィー!」

『オオオオォッ!』

 モニカの決めポーズを見て、群衆の歓声が一挙に高まる。

「なに!? なんなのよ、これ!?」

 おかしい。この雰囲気は絶対なにか間違っている。どうかんがえても王宮の大広間に貴顕が集まっている空気じゃない。


 大輪の薔薇のように艶やかな令嬢は、大広間の空気を震わすコールの中を堂々と進み出てきた。頭半分低いエリナの前に立つと鼻を鳴らして嘲笑を浮かべる。

「あら、こんな貧弱な娘が私からレオニール様を盗ろうというんですの? 身の程知らずですわね」

「なっ、貴方なんかには負けません!」

 モニカ嬢の愚弄にエリナは睨み返す。周囲のおかしさに呑まれていたけど、モニカの貴族令嬢っぽい嫌味で逆に落ち着きも取り戻した。

(なんかおかしな状況だけど、まあ始めちゃえばこっちのモノだわ!)

 とっさに言い返し、決意を新たにしたエリナがモニカってヤツを睨んでいると……宰相がまたもやおかしなアナウンス。

「両者、相手を挑発して一歩も引きません! ガチな鞘当てはますますヒートアップ! 会場のボルテージは天井知らずです!」

「……なんなの、アイツ」

 どこかの興行師みたいな宰相がいちいちエリナのやる気を挫いてくれる。クッソ邪魔だなとエリナが横目で睨んでいると、ノリノリな宰相は台の上からとんでもない言葉を絶叫した。

「両者、気合は十分です! さあレディース、アンド、ジェントルメン! 今夜はついに二十回目を迎えたレオニール王子争奪戦ですぞ! 観戦の準備はいいか!?」

「はぁっ!? チョイ待っ……二十回目っ!?」

 初耳だ。最近宮廷に出入りし始めたばかりのエリナはそんなこと聞いてない。

 やたら滑舌が良い宰相は、滑らかにエリナが初めて聞く話で煽りまくる。

「もう挑戦者も出てこなくなった王子争奪戦の絶対王者モニカ嬢! 彼女に久しぶりに挑むのは、デビューしたばかりの新人エリナ・アンジェロ男爵令嬢だ! モニカ嬢がまたも防衛して勝ち星二十の大台に乗せるのか!? それとも新進気鋭のエリナ嬢がついにタイトルを奪取するのか!? 注目必至のこの一戦、賭ける方は王配殿下のところへどうぞ!」

 宰相のアナウンスに引き続き、別の男が声を張り上げる。

「さあさあ張った張った! 今のオッズは三十対一、エリナ嬢に賭けると分は悪いが勝った時の戻りは凄いぞ!」

 愕然として振り返れば、誰あろう、女王の横に置物よろしくちんまり座っていたはずの女王の旦那だ。よりによって王配なんて王国のナンバー2が自ら胴元になって賭けを募っている。何人かの貴族がわらわらと財布を出しながら駆け寄っていく。

「いや、王族が何やってんの!?」

 混乱したエリナが思わず叫んだのも気にせず、ご機嫌な宰相がバッと手を挙げる。

「そして第二十回の記念すべきリングは……女王たっての要望で、こちらを用意しました!」

「えっ!?」


 リング?


 エリナたちが入って来た人垣の切れている部分の通路を、侍従たちが鉄条網を巻き付けた金網を引いて走ってくる。エリナが質問する前に、四枚の金網はエリナとモニカのまわりをがっちり囲んで結合された。

 どう見てもおかしい。絶対おかしい。


 そしてさらに。

 金網につないだ銅線の端を魔術師たちが掴み、何やら呪文を唱えると……二人をかこむ金網が雷にあたったみたいに帯電し、パチパチと放電して紫の火花を散らし始めた。

 最高潮にイイ顔の宰相が、拳を握って叫ぶ。

「史上最強にして最凶! 今宵の趣向はぁ、電・流・大・爆・破っ!」

「バカだろ、おまえ!?」


 青い顔で見回せば、火花が散る金網越しに熱狂した貴族たちが四方を取り巻き叫んでいる。

 狂乱の真っただ中で、エリナは悟った。

「もしかして……“争う”って討論会じゃなくて、コブシで?」

 宰相が一番高いひな壇の上にある玉座に、バッと手を伸ばした。

「それでは、主催の女王陛下よりお言葉をお願いします!」

「うむ」

 ワインを舐めていた女王は立ち上がると……額に青筋を立てて吼えた。

「我が王子を欲する女たちよ……我が国是は『力こそ正義』! 欲しい物は己が力で掴み取れ! どちらが正しいか、心行くまで拳で語るが良い!」

「そっちの“語る”かよ!?」

 エリナの叫びを聞き流した女王はワイングラスを握り潰し、己の指から流れる血を見ながらヒステリックにくぐもった笑い声を上げた。

「ククク、ハハハ……懐かしい! こうしてリングを眺めていると、二十年前に我がダーリンを奪おうとしたあの雌豚を思い出すわ! 倒れ伏してもはや身動き取れないアヤツめに、ジャンピングニードロップでとどめを刺そうとコーナーポストの上から飛んだ時のあの興奮! そしてソレを見上げた雌豚の怯えと恐怖と絶望の表情! ああ、こう話していても血が滾る! 早く! どちらでも良い、早く我に血を見せよ!」


「やべえ、この女王いかれてるわ……」

 エリナがつぶやくのも周りの観衆には聞こえていない。周りも女王と大同小異、血に酔って目がイッちゃっているヤツばかりだ。そしてそれは対戦相手も同じで。

 恐る恐る振り返ると、美しい辺境伯令嬢は獰猛な笑みで犬歯を見せながらグローブを手にはめているところだった。ご丁寧に打撃用の、鋲を打ったフィンガーレスの皮のヤツだ。

 一応エリナは尋ねてみた。百万に一つは話し合いで済ませる気があるかもしれない。

「あ、あのー……女王があんなこと言ってますけど」

「ええ、私も当然ながら全力で行かせていただきますわ」

 こちらの令嬢はやる気満々だった。拳同士を打ち合わせ、肉食獣の笑みで口角を上げる。

「うーん、そうね……」

 シャレにならない光を帯びた鋭い眼光がエリナを射すくめた。

「私のレオニール様を盗ろうとしたのは貴方でちょうど二十人目。ですので……を二十発入れるまで、床におねんねさせてあげませんわ」


「いや、ちょっと、宮廷ってヤバいヤツしかいないの!?」

 慌ててエリナがレオニール王子を探すと、モニカの名を連呼する貴族の間に挟まれて僅か五、六人で肩身狭くエリナを応援している。

「エリナ、頑張れー!」

「俺たちが自由になれるかはエリナにかかってるぞ!」

「僕たちしっかり応援しているよ! ファイト!」

「全部あたし任せ!?」

 弱弱しくって話にならない。多分コイツら、脳筋な宮廷でコレでは発言力もなさそうだ。男らしく間に入ってくれるのは、全く期待できない。

 女王はネジが飛んでる。王子たちは頼りにならない。宰相はレフェリーの自分に酔っている。仕方ないので馬券売りをしている女王の旦那に、一応声をかけてみた。

「あの、! こういう勝負はいかがなものかと……もっと、ちゃんと討論で白黒つけた方が……」

 両手に帳面と紙幣を握り締めた王配が、イっちゃった目で振り返った。うん、期待できない。

 王配が叫んだ。

「どっちが正しいとか、そんな些細なことはどうでもよい! 白い令嬢でも黒い令嬢でも、ワシを稼がせてくれる令嬢がいい令嬢じゃ!」

「サディストの旦那は守銭奴かよ!?」


 いない。


 全然いない。


 この場にまともなヤツが一人もいない。


 自分が王子を搦め手で手に入れようとしているのを棚に上げ、エリナは焦って周りを見回す。

「誰か……誰かこの頭おかしい連中を止めてくれる、まともなヤツはいないの!?」

 舌先三寸で散々男を丸め込んできたエリナだけど……どう見たって物事を腕力で解決しそうな辺境伯家のお嬢様に、今この場でエリナの磨いたトーク術は役に立ちそうにない。


 電気が走る檻の中に、熊や狼と一緒に森に出没してそうな殺る気満々の令嬢と二人きり。

 その周りには全く助ける気のない観客多数と当てにならない王子様たち数名。

 地位も何も投げ捨てて逃げようにも、もはや脱出口も見つからない。




「…………詰んだ?」

 エリナが万事休すを自覚した瞬間……無情にも宰相の持つゴングが鳴り響いた。

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