第12話 マリッジブルーは海より深く

 バタバタと走る音とともに、複数の男たちが部屋に駆け込んできた。

 先頭を切って入って来た宰相が、警備に周りを囲まれてしょぼんと椅子に座る美しい伯爵令嬢に目を止める。

「アンジェリーナ!」

「お父様……」

 さらに顔を伏せる娘に代わり、捜索の指揮を執った執事が状況を報告した。

「お嬢様は郊外にありますミルフォード伯爵家の別宅に匿われておりました。ミルフォード家の次女、マリア様が親に隠れて提供されたようで」

「学問所の同窓か。親だけではなく娘本人にも会っておくべきだったな」

 政争に長年揉まれた宰相は、直接対面すれば小娘が隠し事をしていても見抜く自信がある。だが、今は協力者よりも娘だ。


 居たたまれなさに小さくなる娘を鋭い目で見据えながら、宰相は厳しい声音で家出の理由を問い質した。

「アンジェリーナ、まずは無事で何より……と言いたいところだが。三日後に王太子殿下との婚礼を控えていながら家出だなんて、おまえはなんという事をしでかすのだ! 婚約破棄どころか、王家のメンツを潰したと罪に問われてもおかしくない行いだぞ!」

「ごめんなさい、お父様……」

 父の怒りに怯える令嬢は、恐る恐る宰相を見上げながらぽつぽつとしゃべり始めた。

「私、婚礼の支度が一通り済んでホッとしたら……何か急に、本当にこのまま結婚して良いのかなぁ、これで良かったのかなぁって気持ちが急に膨らんできて……もう、一度そう考えてしまうと頭の中でそればかりがグルグル回ってしまって……」

 後は声にならず、手で顔を覆ってむせび泣くアンジェリーナ。宰相はため息を一つつくと、床に膝をついて愛娘の肩にそっと手を載せた。

「良いか、アンジェリーナ。十六になるおまえはどのみち誰か良家の子息に嫁がねばならぬ。できるだけ良い相手にと思って儂が探して、ご縁があったのが殿下であった」

 宰相は娘の頭を優しく撫でた。

「殿下は文武両道で心根もお優しい。家柄の問題だけではない。このお方ならおまえを大事にしてくれるだろうと、儂は見極めたうえで縁談を結んだのだ。おまえも今まで頑張って来た。王太子妃に誰よりもふさわしい。これ以上の良縁は無いと自信を持ちなさい」

「ウッ、グスッ、お父様ぁ!」

 縋りつく娘を宰相が優しく抱きしめる。室内にいた家臣たちも貰い泣きしそうになっている……ところへ、バタバタと廊下を駆ける足音が響いてきた。


 宰相たちが何事かと疑問に思う間もなく、開きっぱなしだった扉から我が家の従僕と宰相府の秘書官が飛び込んできた。

「宰相閣下!」

「何事か!?」

 部下の無作法に眉をしかめる宰相に、秘書官が震える手で書状を差し出した。

「王太子殿下が行方不明になりました! 家出と思われます……」

「なんだと!?」

 慌てて部下から手紙をひったくり、開くのももどかしく宰相は文字を追い始める。王宮の様子を伝える秘書官も泣きそうだ。

「殿下がどこを探してもおられず、王宮は上を下への大騒ぎになっておりまして……そこへ書き置きが発見されまして、騎士団も動員して捜索要員をかき集めているところです!」

 宰相が読み始めた王太子の置き手紙には、要約すると次のようなメッセージが書かれていた。

『あと数日で婚礼の儀を迎えるが、完璧なアンジェリーナの相手が地位しか取り柄のない自分で良かったのだろうか? アンジェリーナは王太子妃に選ばれたものの、もしや他に好きな男がいたのではないだろうか? そもそも自分が次の王で良いのだろうか? そんな考えが頭の中を駆け巡ってどうして良いのかわからない……』

「アンジェリーナの方が落ち着いたと思ったら、今さら何を青くさい事をあのガキは……」

 思春期を数十年前に通り過ぎている宰相は、王子の若き悩みを一顧だにせず切り捨てる。歯ぎしりしながら手紙を握り潰すと、秘書官へ指示を出した。

「すぐに参内する! 国王陛下……いや、まずは王妃陛下に面会の許可を申し入れ、捜索と善後策の協議を……!」


 娘を乳母に預けて、急ぎ王宮へ駆けつけようと宰相が腰を上げた所へ……また廊下を走る足音が響き、従僕と宰相府の書記官と王妃付きの女官が駆け込んできた。

「宰相閣下!」

「今度は何事だ!?」

 鋭く質問を飛ばす宰相へ、真っ青な顔色の女官が震える手で書状を差し出した。

「殿下の失踪を報告しようと王妃様の御前へ伺候しましたら……王妃様の姿が無く、代わりにこれが……」

 宰相が引ったくって開いた置き手紙には、要約すると次のようなメッセージが書かれていた。

『うちの可愛い可愛いマルコちゃんが、お慕い申し上げているジュリアス様宰相を私から寝取ったそんな事実はない憎くて憎くて今すぐぶっ殺してやりたいクソ女の娘と結婚するなんて耐えられない! ああ、そんな人生最大の汚点を目にさせられるなんて絶対にイヤ! ありえない! だいたい親の決めた許嫁だからってジュリアス様とベタベタしやがって、あのアマ大して美人でもないくせにムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく……ああ、二十年くらいじゃ腹の虫もおさまらないのに、そこへ今度は何? 目に入れても痛くないほど可愛い可愛い可愛いマルコちゃんにあのオークが生んだ半人半豚の醜女を嫁がせるですって!? 冗談じゃないわ! 私から愛しい何もかもを奪おうってのね? イイ度胸だわ! あの畜生絶対に許さない。許さない。許さない。許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さ……』

 宰相はそっと王妃の書き置きを畳み、居並ぶ家臣や廷臣に指示した。

「王妃陛下と王太子殿下、お二人が行方不明ではもう内密になどと言っていられない。ただちに国王陛下へご報告申し上げ、国の総力を挙げて捜索態勢を……」


 と、これからする事を言い聞かせている所へまた足音が響いて来て……従僕と宰相府の事務官と騎士団の副騎士団長が雪崩れ込んできた。

「今度はなんだ!? ……いや、まさか!?」

「宰相閣下! 陛下が、国王陛下が行方不明になりました!」

 宰相が力なく受け取った国王の置き書きには、要約すると次のようなメッセージが書かれていた。

『今いる宮廷の華たちピチピチギャルの中で一番推しのアンジェリーナちゃんが結婚するなんて……ヤダヤダ! 天使のようなアンジェリーナちゃんがどこの馬の骨ともわからないクソガキにアレされたりコレされたりするなんて……ひぃぃぃ! ボクちゃん想像しただけでも耐えられない! 嫌だ、ツライ現実なんて見たくない! もうこんな世の中、嫌になったから家出してやるぅ!』

 宰相は置き手紙をグシャグシャに丸めると床に叩きつけた。

「その馬の骨はテメエの息子だぁぁぁぁぁぁあああ!」


 怒鳴った勢いで肩で息をしていた宰相が顔を上げると、娘と家臣たちと宰相府の部下たちと女官と騎士が途方に暮れた顔で宰相を見つめていた。

 皆の顔を一通り見渡した宰相は、うなだれると疲れた顔で呟いた。

「もう儂も疲れた……家出しようかな……」

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