第10話 こんやくはきをせんげんする!
新年を祝うパーティーの楽し気な騒めきの中に、場違いな叫び声が響いた。
「エミリア・ガーシュイン! きさまとのこんやくははきさせてもらう!」
一瞬で静まり返ったホールの中央で、フワフワの白いドレスを着た少女を後ろに庇った少年が、向かい合うフリルたっぷりなピンクドレスの少女に指を突き付けていた。
祝宴の最中に不意に起こった年若い少年少女の婚約破棄騒動に、付近の人々は目を丸くして呆然と立ち尽くしている。
「ちょんな! エドセルちゃま、わたちが何をちたというのでちゅか!?」
……婚約破棄というより、それを行っている少年少女が年若過ぎる事に呆然としている付近の人々。エドセル君は御年六歳。エミリアちゃん四歳だ。
そんな周囲を気にもせず、半ズボンをはいた少年は涙ぐむピンク少女……幼女を怒鳴り付けた。
「ぼくにばれていないとでもおもっているのか!? エミリア、きさまがクリスにしたしうちのかずかずを! おまえはクリスのつみきをうばいとり、おしゃぶりをかくしたな!」
エドセル君、二人称にブレがある。
「ちょれは……だって、あのこむちゅめがあなたのまわりをうろちゅくから!?」
四歳児に小娘呼ばわりされるクリスちゃんは今、二歳。
「ええい、いいのがれはやめろ! クリスはきさまのあくまのしょぎょうで、どれほどこころをきずつけられたか……もうおまえのようなあくらつなおんなとはつきあいきれん!」
「ひどい……エドセルちゃま、やっぱりわかいおんながいいの!?」
繰り返すがエミリアちゃんは四歳。クリスちゃんは二歳。
「ぼくはきさまとこんやくをはきし、クリスとのあたらしいこんやくをせんげんする!」
「あぶー?」
「いやあああ! エドセルちゃま、おねがい、ちゅてないで!」
床に手をつき、ひらひらスカートからカボチャパンツが剥き出しなのも構わず泣き叫ぶエミリアちゃん。ちなみにパンツはピンク色に小紋の花柄入りとセクシーなヤツだ。
「もうおまえなどしったことか! ぼくはクリスとしんじつのあいをつらぬくのだ!」
「ちょんなああああ! わたちにはあなたちかいないのおおおお!」
◆
泣き喚くエミリアちゃんとどこか自己陶酔しているエドセル君、我関せずと呆けてシャンデリアを眺めているクリスちゃんの横に……すっと影が差した。
「ん?」
振り向いたエドセル君の両頬がスラリとした指先に摘ままれ……思い切りひねり上げられた。
「いひゃい! いひゃいよお!?」
「痛いじゃありません!」
振り返った少年の前には、鬼の形相で年の離れた姉が立っていた。ドレス姿も美しい年頃の貴族令嬢が、額に青筋を浮かべている顔など滅多に見られるものではない。
「貴方はこんな場所で何をしているのですか!?」
「みてわかりませんか? こんやくはきをしています」
「意味が判りません!」
「あねうえ……いかずごけなのでれんあいはりかいできないのですね?」
「誰が行かず後家ですか!? 私は十七歳、今が適齢期で許婚もちゃんといます! 行かず後家というのはクララ叔母様みたいに三十路過ぎても結婚できない人を言うのです!」
無関係なのにディスられた御婦人が向こうで倒れて騒ぎが広がった。
が、そんな些細な事には構わず、姉はおかしな事件を起こした弟に言い聞かせた。
「そもそも貴方とエミリアちゃんは婚約なんかしてないでしょう!?」
「このまえのおゆうぎかいでけっこんをやくそくしました。でも、もうあいはさめました」
「二週間前ですよね!? 早いですよ!?」
「あれはにせものだったのです。ぼくはクリスとのしんじつのあいにめざめたのです!」
「幼児が何を……そんな短い期間で何がわかるの!?」
「ひとをこいするこころにねんれいもじかんもかんけいありません」
「六歳児が聞いたような事を言わないで!?」
ツッコミが追いつかない姉は、肩で息をしながら考えを取りまとめ、仕切り直した。
「いいこと? エドセル、貴族の婚約と言うのはそんな好き勝手に結んだり止めたりできないものなのですよ?」
「そうなのですか?」
「そうなのです。貴族の結婚は家と家の結びつきを強める為にするものなのです。お父様たちが決めるので、貴方たちが勝手に婚約したり、止めたりしてはいけません。婚約は結ぶにも破棄するにも、家の体面が関わっているのです」
少年は生真面目な顔であごを撫でた。
「ふうむ。ふごうりないんしゅうはぼくたちがただしていかねばならないな……いたい!」
思わず手が出た令嬢を、誰が咎めることができようか。
自分が殴った場所を手で押さえる涙目の弟に、姉は声のトーンを落として説教を続ける。
「生意気な事を言わないの! そういう事を言えるには、あと三十年はかかります」
「ぼくはおかしなよのなかにはのーという……」
「お姉ちゃんが怒っているのが判りませんか……?」
「ごめんなさい」
ため息を一つついて、令嬢は弟と目線を合わせて言い聞かせた。
「だいたい、なんでそういう個人的な事をこんな場所で言うのですか!? ここは国王陛下が新年を臣下と寿ぐために開いたパーティーですよ? そういう事で騒がせて、関係ない皆様に申し訳ないと思わないの?」
何が悪いかわからない少年はけろっと答えた。
「みんないるところでせんげんすれば、しょうにんがおおくていいとおもいました」
「なんでそんな所だけ知恵が回るの……これでお父様お母様がどれだけ恥をかくか……」
姉は涙目で様子を見ているエミリアちゃんを見た。
「エミリアちゃんにだって悪いと思わないの!? いきなりパーティーの最中に別れ話をする男なんて最低ですよ!? 女の子の気持ちに寄り添えないようでは、次は貴方が捨てられますよ!」
「だって、クリスをいじめるから……」
「なんでエミリアちゃんがクリスちゃんに意地悪したか判りますか? 貴方がフラフラしているからでしょう。エミリアちゃんと、どうしてそういう事をするのかきちんと話をしましたか? 貴方がエミリアちゃんが心配になるような事をしていたんでしょう!?」
「だって……クリスがかわいいんだもの」
「完全に浮気じゃないの……」
弟の本音にがっくり来る令嬢の後ろで、弟の元カノがスカートの端を噛んで泣き叫ぶ。
「やっぱり、クリスがエドセルちゃまをねとったのね!? あのばいた!」
「エミリアちゃんも落ち着いて!? そういう汚い言葉は言わない!」
「あぶー」
「クリスちゃんも煽らないで! ……て、私も何を言っているの……」
少年は色ボケした様子でもじもじし始めた。
「クリスはかわいいんだよ。ボクと目が合うと、『あぶ~!』ってよろこびながらだきついてくるんだ。つんけんしているエミリアとはおおちがいさ」
「クリスちゃんは赤ちゃんですからね……」
令嬢は弟の顔をクリスちゃんに向けさせた。
「いいですか、エドセル。クリスちゃんはまだ赤ちゃんですから、相手が誰でもそうなるのです。見てなさい……クリスちゃん、おいで?」
「あう? あば~!」
白いドレスの幼女は、名前を呼ばれると嬉しそうに令嬢めがけてヨチヨチ歩き始めた。
「あぶ~!」
ニコニコしながら姉にすがりつく愛しの彼女の姿を見て、今度は弟が悲鳴を上げる。
「そんな! クリスがだれにでもみをまかせるようなびっちだっただなんて!?」
「変な言い方をするんじゃありません!」
「あああ、れでぃでありょうとちゅくじょのたちなみをがんばっちゃのに……それがエドセルちゃまのおこころがはなれるげんいんになるなんちぇっ!?」
「エミリアちゃんもおかしくなってるわよ!? 落ち着いて!?」
「あぶーっ!」
「クリスちゃんももらい泣きしないで!?」
「うわ~ん!」
「ああ~っ!」
「あぶ~っ!」
「泣きたいのはこっちよ!? もう勘弁してぇぇ!」
少年は愛した女の正体を知って泣き叫び、少女は己の失策に衝撃を受けて泣き叫び、幼女は周りがみんな泣くので泣き叫び、令嬢は衆人環視の中でのこの状況に羞恥心で泣きたくなった。
◆
遅れてようやく到着した三人の親に子供たちを任せ、令嬢は目を丸くしている人々の間からやっとの思いで抜け出た。
弟の起こした婚約破棄? 騒ぎに巻き込まれ、自分も注目の的になって顔から火が出る思いをしている。本当は今すぐに帰って寝てしまいたいけれど、あいにく今の騒動で放り出してしまっていた自分の用事を済まさなければならない。
少し離れた所で成り行きを見ていた一団へ、令嬢は疲れ果てた顔で謝罪した。
「お待たせして申し訳ございませんでした」
「ああ、いや……」
言葉を濁す婚約者へ、令嬢は精いっぱいの愛想笑いを浮かべて尋ねた。
「それで、お話というのは……?」
「うむ、それ……なんだが……」
何かあったのか……さきほどあれだけ勢い込んで声をかけて来たのに、今は言葉を濁し青い顔で視線をさまよわせている婚約者。何故か周りの取り巻きたちも同様に挙動不審になっている。
婚約者たちのおかしな態度に首を傾げながら、令嬢は再度声をかけた。
「どうされました?」
「ああ、うむ……そう、その、なんだ……いや、ちょっと考えねばならない事もできたので……うん、その話はまた今度……」
「はあ……?」
どうにも煮え切らない態度で意味不明な言い訳をしながら……婚約者とその友人たちは、訝し気な令嬢の前からトボトボと去って行った。
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