第08話 婚約者と結ばれるための婚約破棄

 王子が意中の恋人と結婚するために許嫁に婚約破棄を突き付けた……意中の彼女はまだ見つかっていないけど。


   ◆


 若手貴族を中心とした夜会で、その騒ぎは起こった。


 美貌で知られる公爵令嬢を囲んで歓談する数名の男女の横に、二人の男が立った。

 気配に気が付き一同が見れば、険しい顔で仁王立ちしているのはこの国の第二王子シャルル様。栗色の髪をオールバックに流した豊かな髪と輝く蒼い瞳がトレードマークの麗しい王子様だ。

 その後ろで良く言えばアンニュイに……表現を飾らなければ白けた顔で、シャルル王子の側近ブライアン・パントーネ侯爵令息が興味なさそうに突っ立っている。

 正直この段階で出迎えたメンバーも用件が判ったのだけれど、一応何も言わずに王子の発言を待つ。この感じだといちいち挨拶をすると逆上しそうだ。


 シャルル王子は集団の中央に立っていた自分の婚約者へ指を突き付けた。

「シャンタル・テシエ公爵令嬢! 私はお前との婚約を破棄することをここに宣言する!」


 一瞬の空白。


 超高速で視線を交わし合った人々は、一応小芝居をすることに決めたらしい。

「ええっ、婚約破棄!?」

 二拍ほど遅れて驚きを棒読みで表現する周囲の若者たちに、王子の後ろからブライアンが首を振って止めさせる。いくら何でもわざとらし過ぎだ。

 さすがに気づいた王子に睨まれ、公爵令嬢の取り巻きたちが首をすくめて一歩下がった。不機嫌な王子が咎めようと口を開きかけたが……それ以上の追及をいらつく王子がする前に、婚約を破棄された許嫁がおっとりと口を挟んだ。

「それで、殿下。また・・真実の恋人が見つかったんですの?」


 そう。

 シャルル王子はしょっちゅう“真実の愛”に焦がれては婚約破棄を繰り返すのだ。




 慣れっこになっていて落ち着いた様子でグラスを手渡すシャンタル。シャルル王子はグッと一息であおると、それを後ろに放り投げた。

「まだだ!」

「はっ?」

 これ以上驚かされることは無いと思い込んでいた所へまさかの爆弾発言! 後ろでブライアンが疲れた顔をしている理由が明らかに!

「でも、頑張って近いうちに必ず見つけ出す!」

堂々ととんでもないことを暴露した上に、高らかにおかしな努力を宣言する我らが王子様。

「……まだ見つかってないのに婚約を破棄なさるのですか?」

 周囲が唖然としてグラスやら羽根扇子やらを取り落とす中、さすがにシャンタルも呆れた声を出した。王子の投げ捨てたグラスをキャッチしたブライアンもはーっと深いため息を一つ。

 皆が呆れている中で一人気勢を上げる残念王子は、こぶしをきつく握って決意を露わにした。

「私は考えたのだ! 今まで見つからなかったのは真剣味が足りないからではないかと!」

「それと、婚約破棄なさるのとどういう関係が……」

「一応許嫁がいるから、このまま一生結婚できないわけではない。きっとそれが無意識に気の緩みを作っているのだな。だから退路を断って本腰を入れて探そうと思うわけだ」

「……さすがですね」

 なにが、とはシャンタルも言わない。ただ、ブライアンの心労が思いやられる。


 シャンタルの友人の伯爵令嬢が恐る恐る口を出した。

「あの、殿下? すでにシャンタル様とご婚約なされているのですから、他のお相手を探すというのはどうかと……」

「それは致し方ない。シャンタルが嫌いなわけではないが、そもそも私は彼女と先に出会っていたのだ」

「先着順というものでもないと思いますが……」


   ◆


 シャルル王子の儚くも美しい初恋譚はシャンタルやブライアンもさんざん聞かされている。


 昔々、まだシャルルが六つにもならなかった頃。

 王宮の花咲く裏庭で、王子はこの世の物とも思えない美しい令嬢に出会った。

「初めまして。──と申します」

 まだ小さな少女は歳に似合わぬ淑女の礼を取って挨拶する。花のような淡いピンクのドレスは子供の普段着用なのに宝飾品も使った高価で華やかな物だったが、彼女はそれに負けない輝く美しさを持っていた。

 白磁の肌にサラサラの金髪。エメラルドのような澄んで光る碧の瞳。幼い顔立ちなのに気品がある。一目見てシャルルはのぼせ上がった。


 子供が愛情を素直に示せなくて、好きな子を虐めてしまう事があるけれども……そんなことも思いつかないぐらいにシャルルは夢中になった。彼女の許可を取るのももどかしく手を握ると、自分の一番のお気に入りの庭園を案内した。大事にしていたスミレも手折って少女にプレゼントし、真っ赤になって拙い言葉で愛を囁いた。

「ありがとうございます。またお会いできるのを楽しみにしていますね」

 ありきたりな感謝の言葉にも天にも昇る心持ちで……そして後日、地獄に突き落とされた。

 少女は二度と王宮に来る事がなかったのだ。


   ◆


「あれから十二年……いまだに彼女は見つからない! ああ、どこにいて、今はどうしているのか!」

 大げさに嘆く王子に生暖かい目が注がれる中。一番シャルルに近い立場のブライアンが一応訊いてみる。

「初めて詳しい状況を聞いて思ったんだが……名前、聞いたのに覚えてないんだな?」

「挨拶された時の事はくっきり覚えているのに、なんでか名前だけきれいさっぱり抜け落ちているんだ! あの時彼女が履いていた靴は赤い革靴で珍しい銀のバックルが付いていたとか、後ろでカッコウが鳴いていたとか、かわいい耳たぶに小さなアメジストのイヤリングを付けていたとかは覚えているんだが」

「偏執的なのに肝心なところが抜けている性格は昔からなんだな。王宮の庭にいたんなら良家の子女なのは確かだろう? 誰かに訊かなかったのか?」

「訊いたさ! 訊いたけど誰も判らないというんだ」

「なんて言って訊いたんだ」

「『誰も知らない女の子を知らないか』って」

「なんでそれで答えが返ってくると思ったんだ」


 頭を抱える王子に、シャンタルが助け舟を出す。

「まあまあ殿下。焦らずともまだ時間はありますわ」

「いや、時間は無いのだ」

 許嫁の気休めに、力なく首を振る王子。

「なぜです?」

「父上が無体なことを申されてな……」

「と、申しますと」

 顔を上げた王子は絶望的な表情をしていた。

「『お前の下らん初恋なんぞに興味は無いから、十八になったらすぐに結婚しろ』と」

「まあ」

「というわけで、あと三ヶ月で見つからなければお前と結婚させられる!」

「……判っている話ではございますが、そこまで私がお嫌ですか」

 面と向かって結婚したくないと言われ、さすがに機嫌を悪くしたシャンタルに……どうにも考えの足りないシャルルは慌ててフォローを入れた。

「いやいや、私にとって思い出の彼女が一番だというだけでお前に不満はない」

「……」

「お前の事はもちろん好きだ、友達として」

「……」

「恋愛対象として見られないだけで大事に思っているのだ。他意はない」

「……」

 横からそっとシャンタルの取り巻きの侯爵令嬢が口を挟んだ。

「殿下……」

「なんだ? 会話中にしゃしゃり出て来るなぞ行儀が悪いぞ」

「気づいてください。女に言ってはいけない言葉の三連発になってます」

「ほわっ!?」


 慌ててフォローを入れようとするものの言葉が見つからない王子に、公爵令嬢は王子の側近同様深くため息をついて向き直った。

「殿下。そう焦って破談にせずとも、とりあえず捜索を優先されてはいかがですか? そもそもお相手が見つからなければ期限も何もないでしょう」

「む、それもそうだな」

「私たちの婚約は王室と公爵家の政策によるものです。そのご令嬢が私たちの婚約を破棄するだけの価値があると陛下に認められる必要もありますよ?」

「うむ、そこなんだよなあ……」

ブライアンも横槍を入れる。

「いつぞやみたいに焦って偽者を掴んでも困るぞ」

「あー、探している女は自分だと、男爵令嬢が名乗り出たヤツな。さすがに一発で違うと判ったが。そもそも社交界に容姿を知られているのに髪を染めて成り済ますとか」

「その程度の偽者なのに、会いに行く前に婚約を破棄されても困ります」

「そうだったそうだった。気が急いちゃって」

「詐欺師に騙されたのもあったろう」

「手付金を払って紹介してもらったら、会えもしないうちから次々経費の請求が来たヤツな。しかも詐欺師が用意したご令嬢がゴールデンレトリバーだった」

「あれは俺、殿下の事だから本気にしかけたぞ」

「私は犬に負けて婚約破棄されたのかと暗澹たる気持ちになりました」

「お前たち、男爵令嬢はすぐ偽者と思ったのに犬はなぜ本物と思うんだ」

「殿下だからな」

「殿下ですから」




 シャルルはしょんぼりとつぶやいた。

「しかし、なぜ名乗り出てくれないのだろう。宮中どころか市井の詐欺師に利用されるほど有名になっているのに」

 ブライアンもしんみりと言った。

「会いたくないんだろう」

「お前、それが乳兄弟の言う事か!?」

「俺だから言ってやれるんじゃないか」

「彼女は俺のプロポーズを受けてくれたんだぞ! プレゼントだって喜んで、また会いたいって……」

「それで二度と来なかったんだから、言わずもがなだろう。社交辞令で優しくしてやったら食いついて来た勘違い野郎に恐れをなして、てヤツだな」

「あああああ……」


 側近の口撃に一旦萎れた王子だったが……すぐに思考が切り替わったらしく、決意も新たに奮起する。

「いや、彼女は確かに喜んでいた。出てこれないのは何か理由があるのだ。私は何としても見つけ出してみせる」

 めげない王子に何百度目かのため息を吐きだしながら、ブライアンが提案した。

「じゃあとりあえずシャンタル殿と結婚して、第二妃に迎えたら?」

「冗談じゃない! 初めに約束した彼女を二番になんてできるか。絶望されるぞ」

「んじゃ、シャンタル殿にとりあえず第二妃で我慢してもらったら?」

「お前公爵家を馬鹿にしているのか? しかもシャンタルは才色兼備で社交界随一の麗華と呼び声も高い。二等の立場に甘んじろなどと良く言えたものだな」

「どうしたいんだよ」

「だからどちらにも失礼の無いように私は婚約を破棄してだな……」

「まずお前は王子の立場を考えろ……」


 先へ進まない議論を、シャンタルが手を叩いて打ち切らせた。

「まずはその“思い出のご令嬢”が見つからなければ話が進みません。正直私も結婚まで三ヶ月という所で婚約を破棄されるというのは忸怩たる思いがありますが……殿下が黙って結婚できないというのならば、せめて式までの間だけでも、お気が済むまで殿下のなさりたいようにして下さいませ」

「シャンタル……」

 言葉に詰まる王子に、許嫁はにっこりと微笑んだ。

「それほどまでに殿下のお心を虜にするその方には、私も是非お会いしてみたいですわ……でも、もし婚礼までに見つからなければ。その時はすっぱり忘れて私と結婚してくださいませ。他の方を想われたままで抱かれては私もみじめですから」

 感激に打ち震えるシャルルは、思わず別れる予定の許嫁の手を握った。

「シャンタル……私は頑張って彼女を探して、必ず婚約を破棄してみせるよ。ありがとう、君は最高の友人だ!」

「……」

「だから殿下、言ってはいけない言葉を連発しないで下さい!」


   ◆


 婚約破棄がどっかに行ってしまったまま、意を強くしたシャルル王子が勢い込んで去って行くのをブライアンとシャンタルは並んで見送った。


 王子の背中が人ごみに紛れて見えなくなったところで、ブライアンが低い声で訊ねた。

「王子をどうしたいんだ、魔女殿」

「魔女とは聞こえが悪いですね。私が何をしたと」

ブライアンが横目でシャンタルの顔を見た。

「なぜ殿下が君を認識できない・・・・・・んだ? 幼時に王宮の庭に遊びに来れる高位貴族の令嬢で、金髪にエメラルドのような瞳、おまけに賢くて大変美しい少女だと。俺たちと同年代でその条件に当てはまる令嬢は幼児で亡くなった者も含めて君しかいない筈だ。いくらおつむが軽いシャルルでも、十年以上の付き合いで全く思い当たらないのは不自然すぎる。よしんば“初恋の令嬢”を抜きにしても、殿下が“社交界随一の麗華”と自分で言っているのに君を今まで一度も“女”と見ていないのは明らかに変だ」

 許嫁の親友の指摘に、シャンタルは僅かも表情を変えず羽根扇子で口元を隠した。

「偶然ですわ。偶然」

「お前さんの態度がもうすでにおかしいね。王家と公爵家の縁組だと自分で言っていたじゃないか。殿下の心が他を向いていると気が付いたら慌てて関係を強化するのが当たり前だ。余裕を見せて王子に協力までしているのは、絶対に渦中の令嬢が見つからないと思っているからだろう?」

 シャンタルがふぅっと息を吐いた。

「乙女の秘密に土足で踏み込んでくる男は嫌われますわよ?」

殿下の婚約者縁のない女で明らかに性根がねじれてる女に嫌われたところで、俺としちゃどうということは無い。そんな事より殿下に身近な人間に裏がある方が問題だ」

 パチンと音を立てて羽根扇子を畳んだシャンタルが、悪戯っ子の笑みを見せてチラリとブライアンを見上げた。

「ちょっとした悪戯心ですわ」

「……すでにヤバい香りがプンプンしてきた」

「心外な。乙女のかわいい悪ふざけですわ。私はちょっと心理学に造詣がありまして、殿下には会うたび暗示をかけているのです。一つは過去の思い出の美化を。もう一つはおっしゃる通り私を“女”と見られないように」

思わず他人の婚約者をまじまじ見てしまうブライアン。

「……何のために?」

不躾な許嫁の親友に、満開のイイ笑顔を見せるシャンタル。

「感動のサプライズの為ですわ」

「サプライズ?」

「幼い頃よりずっと想っていた相手はいくら探しても見当たらない。忘れることができないけれど見つけることができず、仕方なく親の決めた相手と結婚したら実は……ふふふ、暗示を解くカギは私と口づけする事です。今のままなら初めてのキスは結婚式での誓いの口づけですね。認識障害から一気に解き放たれた状態で、キスしたばかりの仕方なく結婚した女の顔を間近で眺めて……殿下がどんな反応をするのか、もう楽しみで」

「なんて悪趣味な女だ……」

 思わず天を仰いだブライアンに、シャンタルはわざとらしく拗ねてみせる。

「女ですもの、結婚に夢を見たいものですわ」

「それが、これなのか?」

「ええ。幼児の口約束を一生の誓いにしているのは殿下だけではありませんわ。むしろ、心の支えにしているのは私の方なのです」

 シャンタルがうっとりと虚空を眺めた。

「成長してくれば、幼い日の思い出など色褪せます。そしてお互いの立場が理解できるようになれば、殿下の横を狙うのは私だけではないと……子供が交わした約束など何の意味もないと知れました」

 シャンタルが耳を触った。ちょっと古い型の、アメジストのイヤリングが輝いている。

「私はシャルル様が王子だから好きなのではないのです。だからただの幼馴染、過去の通過点に成り下がる気はありません」

「それで“思い出のご令嬢”が特別に思えるようにして、思春期に出会った適齢期の女には目が行かないように誘導したと……」

「そのとおりです。私を除外して、なんて複雑な暗示は無理ですので」

 呻くブライアンと輝く笑顔のシャンタル。

「しかし、君はそれでいいのか? シャルルはあの通り……馬鹿だぞ?」

「王位を継ぐわけじゃありませんから。私だけを愛してくれればそれでいいです」

 こりゃダメだと言いたげにブライアンは首を振った。

「一つ言っていいかな?」

「どうぞ」

「重過ぎだよ」

「恋する乙女というのは得てしてそういうものですよ」

「はあ……こういう女を“ヤンデレ”というのかな」

「あら、失礼な」

 恋する公爵令嬢は秘密の話をするかのように、微笑みながら唇に人差し指を当てた。

「女は誰しも恋したら一直線なのです」


 ブライアンは黙って肩を竦め、王子の消えた方を眺めやった。

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