第03話 婚約破棄にかわいい仕返し

 パーティに出ていた子爵家令嬢コーネリアは、いきなり婚約者から破談を突き付けられる。理性的に処理しようとするが、やっぱりムカつく! 少しくらい仕返ししてもいいんじゃなかろうか……?


 ほんのちょっとした仕返しをしてみる令嬢のお話。


   ◆


 「コーネリア殿。以上の故をもって私は貴方とは将来を共にする事はできないと判断した。まことに遺憾ではあるが、婚約は破棄させていただく!」

 華やかな舞踏会真っただ中のホールで。

 他のご令嬢と歓談していた子爵家令嬢のコーネリア・コデルカは、士官学校の制服に身を包んだ青年にいきなり非情な宣告を突き付けられた。彼はもちろんコーネリアの婚約者。軍人貴族であるプレフィス伯爵家の御曹司で、確か御年十九歳のカルロ様。

 代々武人一家というだけあって竹を割ったような性格で、政治家一族の自家にない愚直さを好ましく感じていたコーネリアだった。

 ……だったが、まっすぐなら良いというものでは無いのを今学んだ。

(陰湿さが嫌と言われても……婚約者に言い寄る他の女への牽制など、やらない女がいるなら見てみたいものですわ)

 立場もわきまえず被害を訴えた女が盛大に盛った告げ口をしたこと自体、コーネリアと同質の行動なのを馬鹿真面目な彼はわかっていないらしい。人の悪意に頭まで浸かって生きている政治家の娘としては、あまりの純粋さに彼の今後の人生が心配になってくる。


 とにもかくにも、この場は早々に締めないとならない。

 いきなりの楽しいイベントスキャンダルに目を丸くしつつも興味津々な周囲の視線にため息を吐きつつ、コーネリアは気持ちを切り替えて優雅に頭を下げた。

「委細承知いたしました。残念ではございますが父にはその旨伝えておきます」

 下手に言い訳だの言い返しだのをしては、頭に血が上っている単細胞な彼が逆上するかもしれない。見えない所で優雅に相手の足をすくい上げる。それを信条としているコデルカ子爵家の娘が、衆目のある所で泥仕合など美意識が許さない。

『婚約は家同士の話なのだから、自分たちでどうこうできない。この場は話だけ聞いておくので、あとは親の話し合いに従ってくれ』

 そういう気持ちを込めてコーネリアは言ったのだが、単純なカルロは言外の意味を理解したのかどうか。

「うん、潔いのはよろしい。コーネリア殿の今後のご多幸を祈る」

などと終わったかのようなセリフを言うあたり、全然理解していないようだ。


 あとはまあ……どうなるかはわからないものの、もう自分にできることはない。父に報告しておしまいだ……と思ったけれど。

 万事解決と晴れやかな顔の(元?)婚約者の顔を見て、コーネリアは胸の内にもやもやとした物が湧きだした。


 簡単に言えば、面白くない。

 この場はスマートに事を収めるべきだと判ってはいる。いるのだけれど……万座の観衆の中で恥をかかされ、女のプライドはズタボロだ。一方的な讒言で婚約を破棄されて、こんな所で言われる前に察知できなかったのかと情弱ぶりを後でなじられるかもしれない。

 貴族として恥を広げないためにはビジネスライクに処理するのはベターだけれども、年頃の乙女としては一つ意趣返しをしてもいいのではないだろうか。コデルカ家の一族としてもひどく体面を傷つけられた。勝ち誇った馬鹿どもに釘を刺さねば舐められかねない。


 うん。


 持って回った言い方は止めよう。


 単純に、


 “むかつく!”


 政治屋稼業の海千山千のバケモノどもに揉まれて育ってきた自分に、そんなカワイイ心情が枯れずに残っていたことに驚きつつも……一瞬で方針を決めたコーネリアは、去りかけるカルロに声をかけた。

「カルロ様」

「ん? まだ何か?」

怪訝そうに振り返る彼に、しおらしい表情でコーネリアはお願いをする。

「最後に一度、日を改めてお食事を共にいたしませんか?」

「食事?」

「はい。このような結末になってしまいましたが、かれこれ七年ほどもお付き合いして参ったのです。この場の喧嘩別れのような形ではなく、思い出話などを語りながら和やかに幕を引きたいと思うのですが」

 カルロの付き添いで友人の、どこぞの男爵家のなんとかいう男がカルロに忠告した。

「おいカルロ、やめておけ。コイツの汚いやり口から考えて毒を盛られるのが関の山だ。この魔女の家なんかに踏み込んではいかん!」

 さっきお坊っちゃんの尻馬に乗って散々コーネリアをなじってくれたクソ野郎が、この期に及んでまだ言うか。

 失礼もいい所の放言に、コーネリアの額に青筋が浮きそうになった。

(自分の招いた場で毒殺なんて間抜けな真似をするわけないでしょ、常識で考えろノータリンが!)

 と思いながらも罵倒は飲みこみ、コーネリアは下手に出て頭を下げる。

「そんな大それた事、とんでもございませんわ! そもそも、カルロ様にわざわざ我が家に出向けなどとても申せませんもの」

 この場は我慢、今はカルロの事が先だ。この馬鹿は今は心の粛清リストに載せておくだけにしよう。ちなみに現状暫定一位。

「うむ、考えすぎだよウィルケッツ。穏やかに済ませられるならそれでいいじゃないか」

 こっちのお坊っちゃんはこれはこれで大丈夫かとコーネリアは思ってしまうが……ホッとした顔を作りながら畳み掛ける。

「王城の近くにあります白雪亭などいかがでしょうか?」

「ふむ……確かにあそこなら個室もあるな。三日後の昼なら時間がある。三時間ほどなら付き合えよう」

「わかりました。予約を入れておきますね」

 会心の笑みでコーネリアが優雅にお辞儀をすると、今度こそ元? 婚約者殿とそのバカ友は歩き去った。


 微笑みを張り付けたまま見送っているコーネリア。

 その後ろに、コデルカ一族の男爵家令嬢がそっと身を寄せる。

「この後のご予定は?」

「私は白雪亭に寄ってシェフと打合せをします。カルロ様についてはとりあえずペンディング。それと……あのなんとか男爵家のボンクラ君は可哀そうに、うっかり事故であとに残らない程度に大怪我するそうですわ」

「まあ、怖いですわね。そういえば最近は馬車の車輪が脱落して横転事故が流行りとか。彼の車もうちの者に“好意”で点検させておきます」

「よろしくね」


   ◆


 三日後。

 

「いらっしゃいませ、カルロ様。本日はよくおいで下さいました」

 約束に少し遅れてやってきたカルロ・プレフィスをコーネリアは立って出迎えた。

「いや、すまない。ウィルケッツの奴が先日の舞踏会の帰りに事故で怪我してな、見舞いに行ってきたら思わぬ時間を取ってしまった。どうぞ、気にせず座ってくれ」

「まあ、可哀そう。雉も鳴かずば撃たれまいに」

「?」


 コーネリアの対面にカルロが座ると、間を置かずにボーイが料理をもって次々と入ってきた。

「そんなに時間もないランチですので、一度に運ばせております」

「うむ、さすがコーネリア殿の手配りだな。行き届いている」

 そんなのほほんとしたカルロの顔は、数分後に硬直することになる。

 最後の皿と一緒に登場した料理長が今日の料理の解説をしたのだ。

「本日のお料理はコデルカ様からプレフィス様のお好きな物でまとめてほしいとお話がありましたので、リクエストの食材を軽いランチにまとめさせていただきました」

「うむ」

「まず、サラダが完熟セロリと青臭いトマトをビネガーソースで和えてリバロチーズを載せました」

「セ、セロリに青臭いトマト、リバロだと……」

「魚はちょっと珍しいのですが、コデルカ様が用意して下さいましたので雷魚をムニエルにしました。クセがかなり強かったので多種のハーブで香りが付くようにまず蒸し焼きをしています。なかなかスパイシーに仕上がりました」

「癖が強い川魚にハーブの香り……」

「メインの肉は新鮮で血の滴るようなレバーをカルパッチョ仕立てに。塊の時に表面だけをあぶってありますので、噛みしめるとレアな触感を味わえます」

「血の滴るような……レバー……をレアで……?」

「スープもコデルカ様のリクエストでハギスを丸のまま浮かべた肉団子のブラウンシチューにいたしました」

「ハギス!?」

 嫌いな食材をこれでもかと並べた食卓にカルロはクラクラくる。

「それではごゆっくりどうぞ。お邪魔しないように店の者は遠ざけておきますので、御用の際はベルでお呼びください」

 彼の様子を彼女の気遣いに感動していると好意的に解釈して、店の従業員一同はいい仕事をしたとにこやかに退場する。

 後に残されたのはコーネリアとカルロの二人きり。コーネリアがウキウキとオレンジ色の液体を満たしたグラスを掲げる。

「それでは乾杯しましょう。私たち未成年ですのでジュースを用意してもらいましたわ」

「コ、コーネリア殿……この、メニューは……」

「今までにカルロ様から聞いたことがある食品でまとめさせていただきました。あら、何か食べられない物がありましたか?」

 ありましたか、じゃない。しかない。そもそも川魚は泥臭くて嫌いだと言った覚えはあるが、雷魚なんか見たこともない。それをむせるようなハーブの香りで包むなど……。

「まあでも、軍人になられるカルロ様ですもの。戦地で食料もままならない事もありますし、都のレストランで出てくる程度のモノなんて、食べられないなんて言わないですわよね?」

 コーネリアに先手を打たれて、カルロは喉の奥でうめいた。

 そこを突かれて食えないとは言えない。言ってしまえば騎士道不覚悟のそしりを受けるし、食わずに席を立てば、場を設けたコーネリアの顔に泥を塗る。たとえ相手が喧嘩を売っているとしてもだ。コデルカ子爵家と今すぐ全面戦争の覚悟が無ければそんな事はできない。

 正しい対応は言われる前に苦手な食材ばかりと自己申告して、笑いのネタにしつつチェンジを要求するか、平気な顔で食って「この程度かよ?」と挑発をするかだ。そして先に逃げ場をつぶされたカルロにできるのは後者のみ。

 嫌いな食べ物のトップランカー達が並んだ食卓を涙目で見ながら、カルロも嫌な香りがしてくるフルートグラスを手に取った。

「……ちなみに、このジュースは?」

輝くような笑顔でコーネリアが答えた。

「キャロット100%のフレッシュジュースですわ。デカンターで用意してもらいましたので、気兼ねなくお替りしてください」


 絶対王者よ、こんにちわ。よりによって生だなんて。


 カルロは震える手でグラスに口をつけた。


   ◆


 広間に客席が並ぶ一般席にしてもらえばよかったな。

 ふと、カルロはそんなことを考えた。

(他の客が賑やかなら気がまぎれるのに……)

 個室で人払いをしてあるので、聞こえるのはコーネリアの声のみ。静かな環境で無言で食べていると、嫌でも味に敏感にならざるを得ない。

 カルロはわずかでも食べられないはずの料理を、無理して少しずつ口に押し込む。そして息を止めて飲み下す。

 一気にがっつけば料理は減る。だけどそれをやると臭いが口に残って、息をしたときに地獄を見る。口の中を洗い流そうにも、水もワインもここには無い。一番嫌いなニンジンで口をゆすぐなんて本末転倒もいいところ。最悪の罰ゲームだ。

 嫌いなものを減らすので一生懸命なカルロが無言の代わりに、普段あまりしゃべらないコーネリアがよくしゃべった。

 ちなみに彼女がずっとしゃべっている内容は……

「ですので、先に関係を持ってしまって責任を要求する手は古典的ですが有効です。例えばクルボジェ侯爵夫妻の結婚の裏側はまさにそれで、これは奥様がサロンで手腕を自慢されていましたので間違いございません。おそらくジロンド伯爵夫妻もこれですわね。婚約の話も無しにいきなり結婚、また式からお子様の誕生までも短すぎます」

 ……女が男を落とす手練手管という、実に殺伐とした底冷えする話題だったりする。それも理路整然と体系だって、女が男をはめる手口、女同士の凌ぎ合いのやり方をカルロも知る貴族たちの実例を上げながら判りやすく説明してくれる。

(もう宮廷に行ったら、誰の顔を見てもまっすぐ見られない……)

 朴訥とした好人物の某伯爵夫人が、二重三重の罠をかけて第一候補を失脚させて伯爵を射止めた件など、胃の中の物を戻さないのに苦労した。また、おしどり夫婦で知られる老公爵の若い後妻が、ひそかに価値の高い美術品を両替商の極秘金庫に移して遺産争いに備え始めている話などは背筋が震えてフォークを取り落とした。

 恋愛の裏にあるドロドロとした冷酷な打算の話は、あまりに醜悪で現実を見るのが嫌になる。それを延々と聞かされる苦行……。

 苦手な料理と苦手な話題、それを集中せざるを得ない環境で味わわさせられる。物の例えでなく、カルロは本当に気持ち悪くなってきて座っていられない。


 とうとうピクリとも指が動かなくなり、カルロはフォークを置いた。

「コーネリア殿……」

「やはり告げ口にもテクニックが色々とありまして、知らないことを教えてやるとか、恩着せがましく忠告するとか言う態度で耳に入れるパターンは下策です。これは芯の強い男女の離間には向きません。わざと聴かせるという態度がそもそも嘘くさく感じられ、失敗につながります」

「コーネリア殿……」

「有効なのは無関係な第三者を装って、聞かせたい人間の通りかかる場所で噂話をするパターンです。問い詰められても『聞いた話だし』とネタ元を明示しなくとも済み、相手に聞かせるつもりが無い辺りが信憑性が増すでしょう。たまたま聞いて悩んだけど黙っていられなくて伝える、という手口は演技力が必要で上級者向きですね。一歩間違えば言った本人が貶しているのがバレますので、成功率が……」

「コーネリア殿っ!」

必死に呼びかけているのに無視して喋りまくるコーネリアに、カルロは思わず声を荒げて立ち上がる。

「あら、どうしました?」

キョトンとした顔でコーネリアが小首を傾げた。いかにも初めて気が付いた、という風だが……彼女がそんな迂闊な人間ではないとカルロは知っている。料理も話題も態度も、すべて彼の神経を逆なでるチョイスとわかってやっている。

 いろんな意味でこらえ切れなくなったカルロは、ここまで抑えていた感情を爆発させた。

「婚約を破棄された事でそちらも腹を立てたのは理解する! しかし和解の席と銘打っておきながら、これだけ嫌がらせを重ねるとは自分で陰湿だと悪評を広げるものではないか! せめて引き際はきれいに片付けて、あとくされ無いようにしようとは思わんのか!?」

「はて?」

コーネリアがあいまいな笑みを浮かべた。

「私は誠意をもって、別の道を行くカルロ様を応援しているつもりでございますが」

「どこがだ! 私が食えない料理を並べ、気分が悪くなる話を延々聴かせ、誠実な対応を求めても韜晦する! いったいどこに誠意があるのだ!」

 怒鳴りつけても、コーネリアは変わらない。微笑みを増して頬に指をあてる。

「カルロ様……私が本気を出してこの程度だと?」

「……な、に……?」

コーネリアも立ち上がり、窓際まで歩いて愉快そうに両手を広げる。

「宮廷や社交界は魑魅魍魎の跋扈する人非人しかいない世界。今までは私が姉の心つもりで守ってまいりましたが、これからはカルロ様は自分一人で立ち向かわなければなりません。ですから、せめて旅立つカルロ様の一助になればと……悪意から身を守る術をお教えしようとお呼びたてしたのです」

 唖然とするカルロの視線の先で、コーネリアは楽しそうにその場でくるくると回る。

「ずっと軍隊で過ごすならともかく、伯爵家のカルロ様は社交もしなくちゃなりません。本気の鞘当てになりましたら……私が全力でかかっても身を守れるかどうかというのが社交界ですわよ? 政界を泳ぐ我が家で育てられたとはいえ、私もただの小娘ですから」

 ピタッとカルロの前で停まったコーネリアが親し気にカルロの胸に人差し指を突き付ける。

「そのような所へ何の防具も無しに、免疫のないカルロ様が放り込まれればどうなります? 私が今しゃべっていたことなど初歩も初歩ですが……知らないよりマシでしょう。嫌いなものを無理やり食べさせ、居心地の悪い場所に引き留める。これらも宮中での足の引っ張り合いの基本でございます。これでポーカーフェイスが崩れる様ではとても……生きていけはしませんよ?」

 その時、カルロは突然気が付いた。コーネリアが今日一度も表情を変えていないことに。

 よくよく考えれば、部屋に入って挨拶した時から今まで、能面のように張り付けている微笑みが崩れたことは一度もない。キョトンとした時も、弁解した時も、童子のように楽し気に回っている時も、全部しぐさでそうと見せていただけで嘘くさい笑顔はそのままだ。

「あら、お気づきになられました? ……女は表情を封印していてもこれだけできるのですよ?」

 カルロは思わず後ずさった。急にコーネリアが得体のしれない何かのように思えてくる。そんな男の心情を知ってか知らずか、彼女は面白そうにコロコロと笑った。態度だけで。

「貴方が庇った男爵家のご令嬢など田舎芝居かと思うような大根役者ぶりでしたが、それでも初心な殿方を騙すには十分でしたね。これが政界にたむろする歳食った貴族となりましたら……ふふ、信じられるのは自分だけですね」

 覚悟も無しに足を入れかけた途方もない泥沼のような世界。本当かと疑う気持ちも起きるけど、半人前を自称する元婚約者でさえこれだけ恐ろしいという事実に、やはり真実だと再認識させられる。


 自分はあまりに無防備に戦場で呆けていたのではないか……?


「あら? カルロ様……?」

 気が遠くなったカルロは、コーネリアの呼びかけを耳にしながらその場に倒れた。


   ◆


 目が覚めた時、カルロは部屋の床にコーネリアの膝枕で寝ている状態だった。

「お目が覚めまして?」

「あ、ああ……」

 意識が戻ってすぐに膝枕で寝かされていることはわかったが、豊かな胸に遮られてコーネリアの表情は判らなかった。

「す、すまない……ちょっと、いろいろ考えてしまって……」

「いえいえ、急に詰め込み過ぎたかと私も反省しております」

 コーネリアは何でもない事のように答えたが、そのあとを少しはばかるように声を潜めた。

「私からカルロ様に何かしてあげられるのもこれが最後ですので……頑張ってくださいね」

「は?」

 確かに婚約者として会うのは今日までという約束だが……コーネリアの声には二度と会えないような悲壮感が漂っている。

 確かに婚約者ではなくなるが、そう仲たがいした別れ方でもない。これから何度でもパーティや宮中で顔をあわせるのでは……?

 そういう疑問をカルロが声に出す前に、コーネリアが爆弾を落とした。

「私たちの婚約がそちらからの申し入れで破棄されるので、家のつながりとしてコデルカ子爵家はプレフィス伯爵家の反目に回ることになります」

「あ……」

カルロは正義感に突き動かされて行動しただけで、そんなことまで考えていなかった。

「今までは縁戚としてコデルカが勢力争いに疎いプレフィスの傘になっていましたが、これが外れてプレフィス家は厳しいことになるでしょう」

「う……」

「早急にプレフィス家は政治に強い何処かの家と組みませんと……苦しくなってから縋り付く形になるので、ずいぶんむしられると思いますけど」

「えっ……」

「それにうちの父など、大義名分ができたので攻め立てる方に回るでしょうね……。カルロ様も新しく婚約を結ぶ相手は考えた方がいいですよ? ちょっとあのご令嬢ですと、親も本人も貫目が軽いかと思いますわ。盾にはなりそうもないですわね」

「それは……」

 客観的に考えれば確かに厳しい現実が見えた。二人の婚約が無くなることで、プレフィス家の今後が急速に悪化する懸念はかなり高い物になる。カルロの家は今の複雑怪奇な宮廷事情の中で、身分のわりに危機回避能力が低い。食い荒らされる恐れはないとは言えない。

「もしかしたら……ずっと軍で過ごされた方が良いかもしれませんね」

コーネリアにはプレフィス家の失脚、没落まで見えているのだろうか。

 あの時は正しいことだと思えていたけれど、コーネリアに諭されてみれば男爵家の令嬢の言いようにも疑問が次々出てくる。論理的、客観的に物事を見るというなら、終始冷静に対処したコーネリアの態度こそが褒められるべきだろう。

 そもそも政略結婚の意義を考えればコーネリアと別れる選択肢は無いのでは……いや、家と家の取り決めに自分が口を挟むべきで無かったのではないか。

「コーネリア……」

「カルロ様……お元気で」

 思わず呼びかけたカルロの声に応えた、今にも途切れそうな、かぼそい別れの挨拶に……カルロはそこに含まれた真実の愛を感じ、たまらず起き上がってコーネリアに向き直った。

「それはそうと、お約束いただいた食事会のお時間は三時間。今気を失っておられたのが五十二分四十秒。カルロ様の事情で中断なされたので、その分講義の時間を延長してもよろしいですわよね? 料理もまだ残っておりますし」

コーネリアは能面の笑みを張り付けたままだった。


ヒギャアアアァァァァァァァァッッ!!

付近一帯に魂消るような男の悲鳴がこだまして、道行く人々は慌てて辺りを見回した。。 


   ◆


「おいカルロッ、お前せっかく破棄したあの魔女との婚約を継続するんだって!? どうしたんだよ!」

 練兵場の片隅で、やっと怪我が治ったウィルケッツがカルロに詰め寄っていた。

「ウィルケッツ……コーネリアは魔女じゃない。妖怪だ」

カルロがどこか遠くを見ながら答える。

「余計悪いじゃないか! なんで? どうして? お前どうしちまったんだよ!」

「あのな、ウィルケッツ……宮廷ってのは恐ろしいバケモノばかりが住んでる世界なんだ。俺はそれがわかった」

「そりゃ、それはよく聞くけどさ。それとこれとどういう関係があるんだ」

「俺たちは一応貴族だ。否応もなくその世界に入っていかなくちゃならない」

「ああ」

カルロは両手で顔を覆った。

「あんな世界で生きて行くにはな、俺たちはちっぽけな人間なんだよ……妖怪の好意にすがるしか生き残る術はないんだ……」

「……わかるようなわからないような」

「わからないととんでもないことになるぞ。俺は彼女の加護も無しに社交界を泳げる自信が全くない。怒らせて見放される勇気は無いんだよ……」

「いや、だからわかるように説明してくれよ」


   ◆


「そういえばコーネリア、婚約を破棄されたんだと?」

 二人きりの朝食の席で、スクランブルエッグにスプーンを差し込みながら父が訊いた。

「直しました」

 パンにバターを塗りながらコーネリアが答えた。

 後は特に説明しない。コデルカ本家の当主たる父が、二週間も前に娘の身に起きた出来事を把握していないとは思えない。もちろん結果まで含めて。今訊いたのは単純に、他の家族が出払っていて年頃の娘と二人、間が持たないから話の糸口にしただけだ。

「どれぐらいむしったんですか?」

 今度はコーネリアが訊いた。あんな付け入るチャンスがあって、父が何もしていないとは思えない。

「そこそこ儲けた」

父がコーヒーに砂糖を入れながら答えた。

 しばらく黙った後、コーヒーカップを置いた父が再び尋ねる。

「火元は消したのか?」

どうせ知ってるくせにと思いつつも、ピッチャーからミルクを注ぎながらコーネリアが答える。

「冷や水をかけておきました」

 後は特に話もなく、二人は黙々と食事を続ける。

(この二人だけだと、会話がホントわからないんだよなあ)

主人の斜め後ろで待機する執事は、心の中でそう思った。


   ◆


「信じらんない! なんで元鞘に納まるのよ!?」

 うまいことカップルを破局させたと思っていた某男爵家のご令嬢は怒り心頭だった。後は傷心の伯爵家令息を、慰めているうちにほだされてくっついて……と皮算用していたのに。

「アレだけ怒らせたのに、どうやって取り入ったんだか!? あのクソアマ、ちっと見た目がいいからって調子に乗りやがって! カルロ様もカルロ様よ、何? みんな見ている中で啖呵切っといて、よく恥知らずに無かったことにできるわね!」

 独り言で怒鳴り散らす令嬢に、恐る恐るメイドが声をかけた。

「あ、あの、お嬢様? 贈り物が届いているのですが……」

「え!?」

使用人が持ってきた小包に、令嬢が飛びつく。

「うわ、どなたかしら? ああもう、心当たりが多くて困っちゃ~う」

貴族の令嬢として褒められたことではない叫びをあげながら、包装紙を引き剥がし、ふたを開け……

ッパァァァァンッ!

甲高い爆発音が小さく響いた。

「ヒッ!?」

令嬢が思わず取り落とした箱の中には、ふたを開けると紐がひかれるようにセットされたクラッカーが仕込まれていた。

「ッンナァァァ、誰よ! こんな悪戯をしやがったふざけたや……つ……は……」

クラッカーの下にひかれていたメッセージカードを乱暴に引っ張り出した令嬢の怒鳴り声が、カードを一瞥してその下を見たとたんに小さくなり……彼女は無言で震えて止まらなくなり、自ら漏らした水たまりの中にペタンと座り込んだ。


 特に差出人の書かれていないメッセージカード。

 そこには短く『火遊びはほどほどに』とだけ女文字で書かれていて……そのカードの下には、実弾の込められた拳銃が撃鉄を起こしたまま収められていたのだった




 世界は今日も平和に回る。

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