第02話 王子が許嫁を悪役令嬢にして破談にしようとしたら、彼女はそんなカワイイもんじゃなかった件
王太子ヨハンは苦渋の思いで許嫁に婚約を破棄すると宣言する。
──しかし、その後の推移は彼の想定の範囲外であった。
◆
謁見の間の中央にぽっかり空いた空間。王太子ヨハンは満場の観衆を意識しながら、彼の美しい許嫁に指を突き付けた。
「アルティシア、君との婚約は破棄する!」
どよめく周囲の人々。いきなりの事に誰も彼もが戸惑いを露わにしている。
そんな中、呆然と立ちすくんでいた……いや、意外と冷静そうな同い年の少女は、小首を傾げて理由を問うた。
「なぜでございましょうか、ヨハン様。理由をお伺いしてもよろしゅうございますか?」
「それは……ええと、君の態度が……というかいろいろ行いが……という感じで……」
自分からセンセーショナルに始めておきながら、いきなり詰まる王子様。
(な、なんで普通に訊くんだよ!? こんな所でこんな事を言われたらパニックになるもんだろ!?)
シナリオがいきなり2行目でつまづいてしまったかんじで、ヨハン王子はむしろ自分が平常心を失っていた。本当だったらショックを受けて泣き叫ぶ令嬢を問答無用で蹴倒し、「理由は自分の胸に聞いてみろ!」とか叫んで立ち去る予定だったのだ。
ちなみに、彼のシナリオにうまくいかなかった時の第二プランはない。世間知らずな王子の計画はザルであった。
当てが外れて口ごもる王子に許嫁は一歩近づき、指を突き付けていた手をそっと握る。
「王子の伴侶にふさわしい女になるべく、学問も礼節も努力してまいったつもりでございますが、至らぬところがございましたでしょうか?」
「いや、それは、その……」
彼女の教養に問題はない。ないどころか、同い年でありながらヨハンの家庭教師が勤まりそうなぐらいヨハンより遥かに成績がいい。ヨハンの知る限り今の宮廷で彼女の右に出るものなどないだろう。
「それとも私はヨハン様の好みに合いませんでしたか? 我慢できないほどに醜くございますか?」
「いや、それは……」
そんなわけはない。アルティシアは美しさでも周囲を圧する隔絶の美貌を誇っていた。ただ顔がいいだけでなく、磨かれた知性と凛とした気高さも身にまとい、廷臣たちが陰で「地上に降りたアフロディーテ」と噂するぐらい。おまけに18歳と女の盛りをむかえ始めた彼女は背が高いわりに細身で、しかし不釣り合いなほどメリハリが効いた胸と腰を絶妙なバランスで兼ね備えていて……正直、顔も体つきもヨハンの好みドンピシャであった。
そんな彼女が澄んだ瞳で縋り付くように間近から見上げてくる。こんな顔で迫られたら、とても耐えきれる男などいない。しかも彼女は両手で握ったヨハンの手を抱え込むようにしているので、手の甲がさっきから素晴らしすぎる弾力に押し当てられている。気を抜いたら次の瞬間、彼女の華奢な身体を力いっぱい抱きしめてしまいそうだ。
まずい。非常にまずい。ヨハンの計画は崩壊寸前だ。主に理性が。
(駄目だ、このまま問い詰められたら根拠がないのがバレてしまう!)
そもそも理由が説明できていないのだが、もういっぱいいっぱいのヨハンはそこまで考えが回らない。
(ええい、もう奥の手だ!)
ヨハンは細くスベスベした雪白の手を払いのけると、吐き捨てるように叫んだ。
「私はもう心に決めた人がいるのだ! お前の出る幕ではない!」
周囲が静まり返る。これは間違いなくショッキングな一言だ。
(これは言いたくなかったけど仕方がない……)
他に好きな女がいるから婚約破棄……ヨハンが一身に責任をかぶる一手なので使いたくはなかったが、もうこの手しかないだろうとヨハンは考えた。
最も力のある大貴族の娘との婚約を蹴って自分の好きな娘を選んだとなると、これはもう廃嫡もあり得る事態になってしまう。それでも仕方ないと彼は思い詰めていた。
凍り付いた会場をさっさと出ようと踵を返したヨハン……だったのだが。
「えっ?」
ヨハンの肘に、いつのまにかアルティシアが腕を絡ませていた。
「どちらのご令嬢ですの?」
「へっ!?」
「そうとなれば正妻になられるお方にご挨拶を申し上げなければ。ご紹介くださいませ」
「いや、それは……」
「王に妻が一人とは申しません。そちらのお方が本命でも、私を妾に置いてくださっても構わないでしょう? 家の立場もございます。飾りで構いませんので私も閨に置いてくださいませ」
「え、え~っ!」
「婚約者の有り様について、心得ておくべき事も多々ございます。ヨハン様が心に決めた方が恥をかいては一大事でございます。私の知る限りを伝授いたしましょう。さあ、どなた様でございますか?」
「いいいいやややや、そそそそそののののののおおうううう……」
怒るか泣くかを予想していたアルティシアからのまさかの返し! 完全に予想の斜め上の事態に、ヨハンは今度こそ完全に返答できなくなった。
実のところ、アルティシアとの婚約を破棄する理由などあったわけではない。ただ、怖くなったのだ。
王太子、つまり次期国王に最高の娘が嫁に来る。これは当然のことだ。そこは当然家の事情、権力の勢力分布が物を言う世界。本人たちの意向がどうあれ、大人達の都合で決められる。
生まれた時からそれを当たり前と思って育ってきたヨハンも、いまさら家同士の縁組に敢えて異議を唱えるつもりはない。むしろ幼い時から悪く思っていない彼女が相手なら、顔もわからぬ外国の姫が嫁いでくるより気は楽だった。
ただし。
アルティシアは完璧すぎた。
才色兼備、それも天下無双のレベルで。
貴族令嬢としても年頃の女性としても理想的で、ヨハンに近侍する姿は貞淑の理想と目されるほど。
家柄だって親は王に匹敵するとまで言われる大貴族。しかも外国の毒蛇にちなんで「漆黒のコブラ」とあだ名される辣腕の宰相様だ。
そんな彼女にかしずかれていると、どうしても思うのだ。自分が夫で良いのかと。
ヨハンの家柄、立場は婿としてこれ以上の物はない。
ただし、裸の自分はごくごく平凡な男でしかない。格別顔が良いわけでもなければ成績も普通。世間が王子に期待する「憧れの王子様」にはほど遠い。
そんな自分に「地上に降りた美女神」は不釣り合いなのではないか。
王太子の立場に嫁に来るのだから、ヨハン個人がどの程度の男かはどうでもいいのだが、そこを鬱々と考えてしまったヨハンは自分の考えにはまり込んでしまった。その結果がこの三文芝居というわけなのだった。
そして今、その練りの足りない学芸会は破綻を迎えている。
壊れたクルミ割り人形のように大口を開けて固まってしまった王子に業を煮やした令嬢は、後ろを振り返り侍女を呼んだ。
「メアリー、ヨハン様の思い人はどなた?」
”ヨハン王太子付き”の侍女は壁際から進み出ると一礼して未来の女主人に報告した。
「はっ、少なくともここ二年で女性関係はございません」
「貴族でなくても?」
「侍女、下女のみならず町場の女にも縁はございませんでした」
「ご商売の女性に入れあげているということは?」
「娼館や酒場への出入りはございません」
「ヨハン様?」
眉をひそめて見上げるアルティシアの視線をヨハンは正面から受け止められない。
「い、いや~それはメアリーが知らないだけで」
「ハンス、クリスチャン、ミヒャエル」
「「「メアリーの言う通りでございます」」」
”ヨハン王太子付き”の執事と従者と衛士が異口同音に答える。
「ヨハン様? この四人が知らないところで逢瀬を重ねるのは無理があると思うのですが?」
「いやいやちょっと待て、お前たちなんでアルティシアの命令を聞いているんだ」
「アルティシア様が殿下とご結婚なさるのももうすぐのこと、何もおかしいことなどございません」
「そ、そうか?」
何かおかしい。何か間違っている。
そうは思ったものの、今ヨハンはそれどころではない。
「ヨハン様? 私は何を言われても受け止める覚悟ができております。どうぞ、本当の所をおっしゃってくださいまし」
「えーと……」
何かほかに理由がつけられないか。必死に考えるヨハンだが、そもそもザルな計画しか立てられない頭が土壇場で何とかしようと思っても考え付くものではない。
返答に窮して黙っていると、何かを思いついたアルティシアがハッとした顔をした。
「もしや……お相手は殿方ですの!?」
(えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!)
そういう趣味はヨハンには無い。無いのだが……。
「まあ、その、なんだ。そういう可能性が無きにしも非ずというか……」
(ええい、もうそれで行こう! 他にアルティシアが引きそうなネタを考え付かない!)
『浮気して婚約破棄』よりも深刻な悪評を背負った気がするが、今アルティシアが納得しそうなアイデアが他にない。もうそれで押し通す覚悟を決めてヨハンは胸を張った。
「実は私はそういう嗜好なんだ。だからアルティシア、お前とは……」
ヨハンが全部言い切る前にアルティシアの鋭い声が飛んだ。
「シュレーダー卿、今の話は聞いていましたね? ヨハン様とここ一年の間に複数回会った男性をリストアップ! 年齢は問いません、確実に恋愛関係にないと証明できない者は逮捕なさい! 地下牢にとらえて拷……尋問を行います!」
「はっ!」
近衛騎士団長に向かって矢継ぎ早に指示を出すアルティシア!
「えええええ!? さっきと態度が違い過ぎない?」
「当たり前でございます。女性相手ならば誰とでも子供ができますので私でなくても構いませんが、男性が思い人では子孫が残せません。陛下のお子はヨハン様ただ一人、直系が絶える事態は看過できません」
「そ、それはそうだけど……」
「大丈夫です。そのような事態にはさせません! 容疑者はすべて確実に拷……尋問で締め上げます。五歳の幼児でも八十歳の老爺でも遠慮なくやります。というかそもそも容疑者は徹底的に粛清しますので、一人たりとも牢から地上へ帰ることはありません」
「大丈夫じゃないよ! 全然大丈夫じゃないよ! そんなことを言ったらハンス達まで容疑者になっちゃうじゃないか! ハンス、アルティシアに何か言ってやってよ!」
アルティシアの極端ぶりを嘆きながら壁際を見やったヨハンだったが、そこにヨハンの近習の姿がない。
「あれ? さっきまでいたのに」
代わりにメアリーが一礼した。
「ハンス様達は近衛に引っ立てられて行きました」
「仕事速いな!?」
「優秀で何よりですわ」
「いやいや、まずいよ! そ、それよりなんで近衛騎士団がアルティシアの命令で動くんだ!」
「アルティシア様が殿下とご結婚なさるのももうすぐのこと、何もおかしいことなど……」
騎士団長のシュレーダーが当たり前のように言うのをヨハンは遮る。
「それはさっきも言われたけれど、よく考えたらおかしいよね!? いくら将来の王太子妃で宰相の娘でも、今現在で王宮の人間を動かす権限は無いよね!?」
「アルティシア様が殿下とご結婚なさるのも……」
「だからそれ、回答になってないよ!」
さっきと別の意味で動揺するヨハンに、アルティシアがこぼれる様な笑みでほほ笑んだ。
「将来ヨハン様のお役に立てるよう、今の内から人心の掌握に励んでおります。ヨハン様が王になられたあかつきには決して宮中から不心得者など出させませんわ」
「それって……」
今現在でアルティシア、というか宰相家が廷臣を掌握しつつあるのって、一般にクーデターとか言うんじゃなかろうか……と考えるヨハンの胸にアルティシアが軽くもたれかかってきた。
「ヨハン様、すべてはこのアルティシアにお任せ下さい。お心を惑わすような男は根こそぎ刈り取って見せますわ。ああでも、全員いなくなると国の運営に困りますわね……どういう男にそそられるか教えていただけませんか? その者達だけ処理しますので」
「処理って言い方が怖い! 違うよ! 男色趣味じゃないから! だから捕まえたハンス達を戻して!」
「まあ、違うんですの?」
「違うよ、ホント!」
「シュレーダー卿、首切りを止めるのはまだ間に合いますか?」
「さあて、まだ始めてないといいんですが」
「もう処刑始めるつもりだったの!? 呑気に話してないですぐに止めてよ!」
想定外な進行が続きすぎてもういっぱいいっぱいのヨハンに、胸に抱いた形のアルティシアが拗ねたような表情で顔を近づけた。
「ヨハン様……本当のことをおっしゃって下さいまし。私個人が駄目なわけでも、他に恋人ができたわけでもない。どうして婚約を解消しようと思われたのか……」
「それは……」
もう口づけできそうな距離まで迫った憂い顔に、ヨハンは胸を突かれて本当の心の内をしゃべってしまう。凡庸な自分が全てに光り輝く彼女の未来を縛ってしまう恐ろしさを。
「……だから、私は……」
血を吐くような思いで吐露したヨハンに、アルティシアは眩い笑みで応じた。
「そこまで私のことを思ってくださっていたのですね! ああでも、そんなことは些末なことでございます。大事なのはヨハン様のお気持ち。ヨハン様、一人の男として、私のことをどう思われますか?」
そう訊かれてしまえば、腕の中で身を任せて来る少女にヨハンが思うことは一つしかない。ついにヨハンは堪りかね、彼女の華奢な身体を抱きしめて叫んだ。
「好きさ! 好きだよ、大好きだ! 君が欲しいんだ!」
「嬉しい!」
アルティシアもヨハンの首に腕を回し、抱きつき返した。
「私もヨハン様が大好きです。初めてお会いしたあの時より、ずっとお慕い申し上げておりました。もう絶対この恋を手放すものかと、勉学も心身を磨くのもできる限りの精進をしてまいりました」
「アルティシア……」
片思いなつもりの高根の花が自分を思って努力を続けてきたと聞いて、思わず涙ぐむヨハン。
「ヨハン様と結ばれるためでしたら他の何を犠牲にしても構わないと思っておりますの」
「アルティシア、そこまで……」
「はい、ですから誰が反対しようと私はヨハン様と結婚するつもりで準備も進めてまいりました。王宮の者とも個人的に友誼を深め、貴族の各勢力に間者を送り込み、愚かにも対立候補を擁立しようとした反宰相派は醜聞をでっちあげて潰しておきました」
「えっ?」
「ヨハン様と私の幸せな未来を邪魔するような方々にはそれ相応な報いを。当然のことでございます」
言葉に詰まるヨハンに、うっとりとしたアルティシアは艶然と微笑みながら言葉をつづける。
「妨害や攻撃も何度かございましたが……しょせん宮中を己の勢力で支配したいというような小物ばかりで、ヨハン様さえいれば家も国もつぶして構わないと思っております私の前では赤子同然でしたわ」
「ア、アルティシア……?」
鈍いヨハンでもわかる。アルティシアはなにかヤバい。どこかヤバい。
そんなヨハンの意識の隙をついて、アルティシアがヨハンを押し倒した。謁見の間は厚い絨毯がひかれているので倒れて痛いことはないけれど、一緒に倒れたアルティシアが上に載って一瞬息が詰まる。
「うおふっ!」
「まあ、大丈夫ですかヨハン様」
「だ、大丈夫だけど何ごと?」
「ええ、私反省しましたの。外敵にばかり目を向けて、ヨハン様の不安を感じ取れなかったのは一生の不覚でしたわ」
「それと、この足払いに何の関係が……」
「はい、これは直ちにヨハン様のご懸念を解消すべきかと思いまして……私の純潔を捧げれば少しはお心安くなられるのではと」
「えーと?」
アルティシアの言う意味を考えて、一拍置いて真っ赤になるヨハン。
(そんな、婚前にだなんて……ああでも、好きって認めたらもう我慢できないのは確か……でも?)
「あの、その覚悟は嬉しいけど……ここでこうされたのとどういう関係が?」
「もちろん、ヨハン様が今から獣欲の限りを尽くされるのです」
今度は意味を理解するのに数倍の時間がかかった。その間にアルティシアは嬉し気にヨハンの服をほどき始め、ヨハンは言葉の意味を否応もなく理解した。
「ちょっと待ってアルティシア! こ、ここでって、ここは謁見の間だよ! しかも国中の貴族が揃っているんだよ!? お互いの両親もそこにいるでしょ!? 場所わきまえて!」
「公表の手間が省けますわね。にしても衆人環視の中で許嫁を手籠めにされるとは、ヨハン様なかなかの鬼畜……うふふ、でもそういうの嫌いじゃないですわ」
「いや、押し倒したのはアルティシアだよね!? ちょっと誰か! 誰か止めて!」
慌てて助けを呼ぶものの、応じる者が誰もいない。周りを見回しても視線が合うと目を逸らす者ばかり。
「うふふ、ちょっと脅かしてしまいましたかしら。大丈夫ですわ、今の貴族たちは私がカラスを白いと言えば白いと返す者ばかりでございます。ここで行為に及んだからとて他所で讒言するような命知らずはおりません」
「それは全然大丈夫じゃない! そうだ宰相! 娘を止めて!」
貴族や廷臣が全て買収? されているのはわかった。でもここにはアルティシアより立場の強い両親がいるのだ。助けを求めて見回せば、王座の近くに宰相夫妻はいた。いたにはいたが……宰相はうなだれ、夫人は娘を応援するようにガッツポーズをとっている。
「お父様はお母様の言いなりですし、お母様は私の恋路を応援して下さっています」
「切れ者で知られる宰相がなんて体たらくだ! ちょっと、父親が止めないでどうするの!」
「それは無理ですわ。お父様では私に適いません。お父様が何と呼ばれているかご存知ですよね?」
「え、そりゃあ……『漆黒のコブラ』だろ?」
「はい。そして私は一族から『黄金のキングコブラ』と呼ばれています」
「ヤバさが格段に跳ね上がった!?」
ヨハンは最後の頼みの綱、自分の両親を振り返った。いくら何でも公の場で、国王の命令を拒否することはできない。
「父上、母上!」
しかし。国王は目が合うなり貴族どもと同様気まずそうに視線を逸らす。
「父上、アルティシアを止めてください!」
「……そうは言ってもな、ヨハン……王妃がアルティシア嬢を応援しておってな……」
(ああ、そうだった……うちも母の尻に敷かれていたんだっけ……)
宰相を非難してはいられない。王家も旦那の立場が弱いのだ。
「ならば母上!」
「黙らっしゃい! 乙女が一途に思いを寄せているというのに甲斐性も見せずに逃亡を図るとは何事ですか! そんな情けない男をアルティシアさんは身を捧げて繋ぎ止めてくれようというのですよ! 据え膳食わぬは男の恥というでしょう、ここはおとなしくアルティシアさんを公衆の面前で荒々しく嬲りなさい!」
「母上、おっしゃる事が矛盾しています!」
「わらわはアルティシアさんの味方です。淑女ならば、欲しい物は己が力で奪い取るもの! あらゆる手段を駆使してただ一心に愛する男を掴み取らんという、その姿勢が素晴らしい! うちの頼りない息子にもったいないほどの嫁ですわ。アルティシアさんを王妃に据えれば、我が国の未来も明るいというもの」
(だめだ、誰もあてにならない!)
馬乗りになって服を脱がせようとするアルティシアを必死に止めるヨハンの味方はどこにもいない。
「なあアルティシア。せめて、せめて私の部屋に行かないか?」
「そんな、ここでこのような艶姿を見せておいて二人だけで密室に消えてしまっては、あとでどのような噂をされるかわかりませんわ、恥ずかしい」
「その噂より現状はもっと過激な状況じゃないかと思うんだが!?」
「もう、ヨハン様。あんまり聞き分けがありませんと、僭越ながら躾をさせていただきますわよ」
「はっ?」
ほんのり頬を染めたアルティシアが手首を振る。
「『初めは嫌がる殿方も、鞭の味を覚えれば自然と甘く啼くものだ』と母が言っておりました」
「宰相夫妻の性癖なんて知りたくなかった!」
「さあ、それが嫌ならおとなしくズボンを下ろさせて下さいまし」
「いやだああああ!」
絶望的な抵抗をするヨハン。もはや味方は誰もいないと思われたが……意外な助け舟が現れた。
「あの、アルティシア様。さすがにこう、国中の貴族が見ている中ではどうかと……」
揉み合いしている二人におずおずと声をかけてきたのは近衛騎士団長のシュレーダー卿だった。
「おお、その通りだ! なあアルティシア、考え直せ!」
なぜに近衛騎士団長が王家でもない令嬢に様付けなのかとか、ヨハンより先にアルティシアに言上するのはどうかとか、いろいろ言いたいことはあるが今は自分の腹にまたがりシャツを引っぺがそうとしている令嬢を止めるのが先だ。
赤の他人に言われて冷静になるのを期待したヨハンだったが……しょせん儚い抵抗だった。
「もう、シュレーダー卿邪魔しないでちょうだい。いい子にしてたら……後で、踏んで・あ・げ・る」
「ははーっ、失礼いたしました我が女王様!」
「キミタチどういう関係!?」
助け舟は撃沈された。
「シュレーダー卿、貴公なら婦女子の一人ぐらい引っぺがせるだろう!? 助けてくれ!」
「殿下、申し訳ございません! 我が女王様にああ言われてしまっては、小官にはいかんともしがたく……」
「貴公の忠誠心はどうなっているのだ!?」
「まことに面目次第もございません! しかし殿下、こればかりは……年若い殿下には判らないかもしれませんが」
「何が?」
「アルティシア様のような絶世の美女にピンヒールで踏んでいただけるというのは、大変なご褒美なのですぞ!」
「知ったことかぁ!?」
ヨハンは絶望に染まった眼で周囲を見回した。
廷臣はアルティシアを主君かのように仰いでいる。
貴族たちは懐柔か脅迫をされて一人残らずイエスマン。
父親たちはあてにならず、母親たちは向こうの応援団。
硬骨漢はMだった。
つまり味方は、
無い。
「さあヨハン様、夜はこれからですわ!」
「いやあああああ!? らめぇぇぇぇぇ!!」
静まり返った大広間に一組の男女の悲鳴と嬌声が響く中、花瓶に生けられた牡丹が一つ、パタンと落ちた。
◆
これより十年の後に即位したヨハン三世の御代に王国は最盛期を迎える。
ヨハン三世は貴族を完全にまとめ上げ、革新的な政策で国を大いに富ませた。しかしその一方で、一度婚約を破棄した許嫁を貴族を集めた万座の中で犯したという逸話が知られるなど、恐怖政治を敷いた事で後代に『暴虐王』という綽名も残した。
だが当時の文献にはそれと相反するような『操り人形ヨハン』という記述もあり、今でも彼の評価は定まっていない。ただ、自死してもおかしくない恥辱を与えられたにもかかわらず黙って生涯夫に尽くした王妃アルティシアは今でも聖女として崇められている。
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