第29話 結婚は十八歳から

 土曜日の朝も早い。四時半に鳴った目覚ましを僕は止める。ジャージ姿に着替えてから日課である境内の清掃を終了させて台所へ向かう。


「おはようございます」


オシゲは挨拶を返しながら僕の朝食を用意しようとする。ご飯まだーなんて言える身分ではないのでお膳を取りに行くが逆にテーブルに追い返された。


「私、男の子が欲しかったのです。ですから、お腹空いたとか言いながら待っていてくれる男の子がいると胸がキュンとします」

「いやいや、それは結婚して女の子を三人くらい生んでから言ってください」

「でも、女の子も欲しいのです」

「リクがいるじゃないですか」

「お嬢様は私のご主人様ですから……。そんなことやあんなことはできません。ですから俊ちゃんにお願いしているのです。巫女になっていただくとか」


 あなたは自分の子供が男の子だったとして女装させるのですか? 本当ですか? 絶対に子供は嫌がると思いますよ。てゆーか。僕もいい加減にしてもらいたいのですが。女装したりするの。

 目の前に並べられた朝食を市場に売られていく牛のような目で見ていると、オシゲは僕の頭の上にポンと手を置く。


「巫女服姿以外も着てみたいのでしたらいつでも言ってくださいね。メイド服なら買わなくてもありますから」

「だーっ。違いますって。そんなこと考えていませんし悩んでもいません」

「それならば今日は白イタチさんか悩んでいたのですね。ぶぶー。残念でした。今日は白イタチさんではありません。実は……」

「それも違いますってそんなこと想像したことすらありません」

「えっ。それは本当ですか。ある意味、屈辱的じゃないですか。だって私の女性の魅力は俊ちゃんに色すら想像してもらえない程度と言われたも同然ですから」


 オシゲは顔を傾げて手の甲で瞼を何度も擦っている。まさか、泣いているのか? そんなことで泣いたりするのか?


「いや、確かに夜とかに思い出したりすることはありますけど……」


 僕の言葉にオシゲは顔を上げて勝ち誇ったようにニヤリと笑う。こっ、これは嘘泣き大先生じゃないか。ということはつまり……。


「ああ、何と言うことでしょうか。知らないうちに陵辱されてしまいました。これでは俊ちゃんに責任を取ってもらうしかありません」


 オシゲは懐から取り出した婚姻届を机の上に置いた。

どうしてそんなものをもっているの? 僕が覗き込むと署名押印欄以外は完全に記述済みのようだ。


「ささっ、ここら辺に名前を書いていただければ大丈夫です」

「いやいや、日本では十八歳未満は結婚できませんから」

「大丈夫、女性は十六歳から結婚できます。つまり俊ちゃんが巫女に女装して私が男装すれば法律的に問題ありません」

「いやいや、法律が変わってますよ。去年から女性も十八歳です。それに、僕はまだ十五歳ですよ」


 僕は両手を腰に当てつつ胸を張っているオシゲを無視してごはんを口に入れる。お味噌汁が飲みたくなり茶碗を置くと結婚届がやけに偉そうに存在している。特に理由もなく苛っと感じた僕は婚姻届を丸めてゴミ箱に向かって投げつけた。


「ああっ! 何て酷いことをするのですか。婚姻届を虐める人は結婚できなくなっても知りませんから。年取ってから、ああ、ワシが結婚できなかったのはビューティフルでカインドリーでクールなオシゲさんと年齢のせいで結婚を延期してもらったためだ。ゴホゴホ。って後悔しても遅いですからね」

「突っ込みどころが多すぎて覚えきれませんが、僕が女装しても絶対に結婚できません。それだけは間違いなく断言できます」

「ホント?」

「ですです」

「絶対に? 間違いない? 間違っていたら私と一晩過ごしてもいい?」


 ちょっ、ちょっと待った。その一晩過ごすというのはどういう意味だ? もしかして、あなた、お背中流しましょうか? とか、コタツに二人で入って、母さんお茶、とかやるああいう世界か? それとも、お帰りなさいませ。ご飯にしますかお風呂にしますか、それともうふふふふ…………。っていう……ええええぇぇ?


いやいや、いかんいかん。オシゲペースに流されてしまっている。元々の話を良く考えてみろ。何か見落としがないか。ってそれ以前にどうして結婚の話が出てきたんだ?


「けっ……」


 結婚できませんよ。と言おうとしたら目の前にオシゲの顔がある。うわっ。と体を引いてもゆっくりと僕を追い詰めてくる。息がかかるくらい近寄って視線を合わせられると逆に動けない。大きい瞳と長い睫が綺麗で思わず吸い込まれそう。それでいて薄い紅色の唇が妙に舐めかしい。


「ねえ、……するときって眼鏡が邪魔になると思う?」


 えっ、ちょっといきなり何を、まだ朝だって、しかも土曜日の。

 これからお仕事頑張らないといけないっていうのにこんなことしていていいわけない。


「俊ちゃん。顔を赤くしてどうしたの? カラオケするときに眼鏡が邪魔かどうかがそんなに悩むことでした?」


 オシゲは体をスッと引いてシンクへと戻っていく。と、何かを思い出したかのように立ち止まり振りかえる。


「ムッツリスケベ」


 うぐっ。左手で持って飲んでいたお味噌汁をもう少しで噴出してしまうところだ。どうして僕がそこまで言われなくてはいけないのだ。確かに若干というかちょっぴりというか爪の先の白い部分ほどはドキドキしていたことを否定できないとは分かっているけどさ。


 でもでも、目の前まで顔を寄せられたら誰だって勘違いするだろ。しなかったらそれこそ問題だ。ふん!

 トーストの香ばしい匂いとジャムの甘ったるい匂いをプンプンと放っているお膳をオシゲは隣の部屋に持っていく。一回で運べないところを見るとどうやら三人分はある。


土曜日だというのに七時過ぎから食事をするなんて随分後鷹司家はきっちりとした家庭だ。休日ともなれば昼までゴロゴロしていた自宅を思い出す。ただ、昼まで起きない理由は食べ物がないから。動けばその分お腹が空くじゃないの。という母親のトンデモ理論によるものの方が大きかったわけだが。


「姉さんコーヒーをお願いしていい?」


 陸香が顔だけひょこっとふすまの陰から覗かせる。


 僕が、おはよ。と声をかけるとにこやかな表情で挨拶を返してきた。声はそれほど大きくないがしっかりとしている。元気そうで何より。と陸香がいなくなったふすま付近を見ていると目玉焼きとコーヒーをお膳に載せてオシゲが何度も忙しなく往来している。


 普段はふざけているようにしか見えないオシゲだがこういう姿を見るたびに根は真面目で働き者だと感心してしまう。目の前でオシゲがこんなに仕事をしているというのに休んでいるわけにもいかない。


「着替え終わったらすぐに来て下さいね。大事な話がありますので」


 オシゲの言葉に頷いた僕はお膳を下げて自室へと戻る。大事な話とは何だろうかと考えながら。


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