第19話 連絡先は無かった

 目の前の詩乃はあからさまに陸香の方に向かって険のある目を突きつけている。見ないほうがいい。分かっていたが首がギギギと勝手に動いていく。はふぅ。陸香は水筒のお茶を両手で持ってフフンと鼻を鳴らしながら勝ち誇って詩乃を見ている。ああ、十分だよね。満足しているよね。もうこれ以上、お互いに無駄な争いをするのは勘弁して。


「後鷹司さんとトシはどういう関係なの?」


 詩乃が陸香に訊く。何、その百マイル剛速球ストレート。もっと変化球の聞き方があるだろ。ていうか、人の耳がある教室内でそんな話をしなくても良いのでは。僕は二人を止めようと思うが何も言うことは出来ない。


「トシとは一緒に暮らしている仲ですよ。その他に聞きたいことはありますか?」


 ゲボォ。トチ狂って何言っちゃっているの、この人陸香は?

 大丈夫だよね。聞き耳を立てているクラスメイトたちには聞こえていないよね。


「ご心配なく。トシとは幼少の頃からお風呂とか一緒に入っていた仲ですから、わざわざトシが働いてあげている家の方にトシのことを聞く必要はありませんわ」


 グブゲバゴッヒデブ。バナナが喉に詰まりそうだ。

 こっちの人詩乃もおかしくなっちゃたんだけど。お風呂に一緒に入ったとか明らかに捏造だろ。もしかして町内会の旅行でスパリゾートハワイアンズに行ったこととかを誇張しているのか? それ無理ありすぎるから。


 二人を見ているのが怖くなって、真正面にいる徹のほうを向いた。

 見なければ良かった。赤く血走った目を大きく開いて僕を射すくめている。こめかみに蒼い血管を浮き立たせてヒクヒクさせると、歯軋りの音が聞こえてきた。

 映画で見たハンニバル・レクター教授ですら、もっと可愛らしい表情をしていたはず。記憶の中の幾人かの殺人鬼と目の前の男を比較するが、全くと言っていいほど遜色は無い。


「人を殺すのに理由は必要か?」


 妙にリアルな空耳だった。僕は心の中で理由以前に人を殺したら駄目なんです。と叫び続ける。

 望みもしないで勝手に修羅場に追い込まれている。ちっとも悪いことをしていないのに。僕ってどうしてこう不幸の星の下に生まれてきたんだろうか。


「今日、二人で病院に行くの。先生と話をするために」


 氷点下三十度の大寒波が教室を襲いまわる。先ほどまで、ざわざわしていたのに、今では校庭から聞こえてくる音の方が五月蝿いくらいの静寂に包み込まれている。

 これはまずい。非常にまずい。絶対に誤解されている。直ちに否定しないと生命に関わりかねない。


「いやいや、そんな約束した記憶は無いから」

「オシゲからメール受け取ったよ。一緒に行ってくれるって」

「坂下動物病院のことか?」

「坂下動物病院?」


 詩乃が不思議そうな顔つきをしている。

 気乗りしないが説明をするしかないか。

陸香は話を止めようという素振りは見せない。つまり話していいと言うことだ。

僕は神社に犬や猫のペットを捨てに来る人の話をする。ふと、周囲に視線を移した。

クラスメートたちは話の興味を失って自分たちの話に夢中になっているようだ。僕は視線を片付けられた机に見据えながら本質に近づく。

 おばさんの話をした。自分の都合だけで交配させて、気に入らなかったと言う理由で捨てようとしたこと。動物病院がおばさんに神社に捨てるように吹聴していたこと。

 全てを話したら心が軽くなってすっきりした。

 僕は視線を上げる。


「ごめん。私、後鷹司さんのことを誤解していた」


 隣で瞳をウルウルさせている詩乃が陸香の両手を握りしめてブンブンと振り回す。


「いえ、私のほうも動物の悪口を言われたような気がして熱くなってしまいました。吉野さん……」

「詩乃って呼んで」

「私のことも陸香でいいですよ」


 がっしりと手を握り合う二人。

さっきまで殺気を飛ばしあっていた二人がありえない。

 これだから女って奴は良く分からない。それでも、二人が仲良くなったということは良いことだ。これで、平穏無事な学生生活を満喫することが出来る。

 安堵の溜息をついたとき、サラブレッドの馬の鼻息が僕の顔に吹き付けられる。


「許せねぇ」

「いやいや、許せなくてもいいけど、僕の襟首掴むのは止めてくれないか」

「トシが、そんなおばさん捕まえないのがいけないんだろ?」

「何の罪で捕まえるってんだ。僕は警察官じゃない」

「お前がちょっと体を張って服を脱げばいいだろ」

「いやいや、それ、僕が痴漢容疑で捕まっちゃうから」

「捕まるくらい構わん。むしろ、ペットの命を守るためにそれくらいやってこそ男。いや、漢って奴だぜ」

「無茶言うな。とりあえず、その手を離せ」

 徹を両手で押し返すと素直に手を離す。もっとも、本気で掴んでいたわけではない。半分冗談のつもりだったのだろう。少しだけエロ本でも見ていたかのように目が血走っていたのが不気味だったが。

 それでも解放されて一息つけた。周りを見る余裕も出てくる。


「で、詩乃は部活に行くの?」

「うん。新入部員だし、今日はパートを決める日だからサボりづらいから」

「詩乃。そういうのは行ったほうがいいと思います。私、部活とかやったことないから偉そうなことは言えませんが」

「分かった。ありがとう。陸香。何かあったら連絡してよ。スマホ持ってる?」

「インストですね」


 陸香と詩乃はスマホを弄りながら何かの連絡先を交換しようとしている。でも、上手くいかないみたい。いつも思うんだけど、何で連絡先の交換ってこんなまどろっこしいシステムなんだろう。もっと簡単な方法で出来ないものなのだろうか?


「あっ、俺もリクちゃんのインストフォローしてもいい?」


 徹が自慢気に黒いスマホを取り出す。どうやらお気に入りらしいが、スマホは僕には関係ないアイテムだ。あまり興味をそそられない。

 陸香は理由をつけて断るかな? と思っていたのだが、平然と徹に連絡先を教えている。もしかして、陸香は徹が気に入ったのだろうか? ぼぉーっと陸香の白い頬を眺める。


「トシもスマホ出したら?」


 唐突に言われて僕が固まっていると、リクは僕に向かって自分のスマホを突きつけてくる。


「悪いけど……」

「私のことフォローするのが嫌なの?」


 陸香の視線に詰問されて僕はたじろぐ。


「悪ぃ。トシ。スマホ持っていないお前の前で交換しちゃって」

「気にすんなよ。何とも思ってないから」


 徹のフォローが嬉しくて僕は教室の天井を見た。別に綺麗でもない天井なんて見たかったわけじゃない。その行為を誤魔化すように後ろを向く。黒板の上の掛け時計が目に入ってきた。

 もうそろそろ昼休みも終わりの時間だ。

 僕は背伸びをしながら立ち上がった。すると、まるで僕を見ていたかのように、聞きなれた昼休みの終わりを告げる予鈴のチャイムが鳴り出した。

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