第2話 働かざるもの食うべからず

 市内を一望できる小高い丘にある神社は後鷹司ごたかつかさ家が管理している。後鷹司家は室町時代から続く由緒ある神社を管理しているだけではなく、不動産業も営んでいる地元の名家だ。僕の住んでいるアパートの大家でもある。


「よろしくお願いいたします」


 土曜日の午後に僕は神社の裏手にある母屋を訪ねた。もとい。一人で売られに来た。ドナドナの子牛でさえ引っ張られていくというのに僕は一人ぼっち。しかし仕方が無かろう。先方より強くお達しが出ていたのだから。特に、母親だけは絶対に連れてこないようにと。


 と言っても実のところ、ある理由からここで働くことを聞かされたとき僕は喜んでしまった。声には出さなかったが、顔には出ていたかもしれない。


 僕が真面目な表情を崩さないようにしていると、玄関まで出てきた後鷹司夫人に客間に通された。六畳程度の畳の部屋にコタツが置かれている。どうぞ。との声に座布団を避けて座った。


 面接をする人は後鷹司夫人だ。綺麗だが目つきが厳しく、よく言えば理知的、悪く言えば冷酷な雰囲気を醸し出している。さらに想像していたより若い。二十代と言っても通用しそうだ。僕は彼女の手を観察する。いつか言っていた母さんの『年齢は手でばれるのよ』って言葉を思い出したからだ。そこから、三十代前半くらいであろうと推測をつける。何の根拠も無いけれど。


 僕は夫人の僕を値定めるような目つきに身震いしそうになる。噂によると実際の後鷹司家をきりもりしているのは夫人とのことだから、きっとやり手なのだろう。


 夫人の横にメイド服が一歩控えて座っていた。よく見るメイド服よりカラフルなスカイブルーと白の組み合わせ。そんなメイド服に思わず突っ込みたくなるが、状況と立場を考えて我慢する。


「それでは、本日から頼みます」

「こちらこそ至らない点があるとは思いますが、ご指導、ご鞭撻のほどお願いいたします」

「では、細かいことは、うちに住み込みで働いてもらっているこの重藤しげふじからお聞きください」


 夫人が部屋から退出すると、メイド服を着ている女性がニヤリと笑った。縁のある大きめの眼鏡にミツアミのメイド服は幼さをイメージさせるが、すっきりとした顔のラインときめ細かい肌は大人っぽさを感じさせる。子供と大人を混合させたメイド服は僕より少し年上だろうと予測した。


「それでは、ここでの仕事着に着替えてもらいますか」


 僕はメイド服が立ち上がるのを見て同じように立つ。正座をしていたせいか、少しふらつくのを見てメイド服は口元を緩めて部屋の隅を指さした。


 メイド服が示した先に白っぽい服が用意されている。制服が用意されているなんて中々親切な職場じゃないか。とりあえず着替えてみようと思い、重藤と呼ばれていたメイド服に視線で訴える。


「そんなに見つめられると照れてしまうじゃないですか」

「いやいや、違いますって。部屋から出ていただけませんか?」

「それなら、気にしないでください。私は気にしていませんから」

 思わずこけそうになる。もしかして、天然の人? 僕は溜息をつく。


「僕が気にするんです」

「でも、私、男ですから気にしないでいいです」

「嘘つけ!」


 まずい。初日から大きな声で突っ込んでしまった。

 しかも、冷静に、と叫ぶ心の声を無視して体は勝手にメイド服の弾けんばかりの胸を指差してしまう。


「あっ、これはパッドですよ。なんなら触ってみます?」


 メイド服はそう言って、蝶ネクタイを緩めると僕の指差した手を掴み首の前から無理やり服に入れる。

 なーんだ。そこまでするってことは男なんだな。と安心してされるがままに手の力を抜く。


「ブラジャーしているんですね」

「パッドが落ちちゃいますから。上手く下に入れてください」

「いやいや、そこまではいいですよ」


 嫌な予感がして手を引っ込めようとしたが、メイド服は力ずくで僕の手をブラの中に入れていく。


「胸パッドって思ったより温かくてすべすべしているんですね」

「最新式ですから。ボタンもついていますし」


 確かに触れた先に何らかの突起物がある模様。でも、そんなことは関係ない。胸パッドを外してしまえばいいんだろ? 僕は右手でメイド服の左胸を軽く包み込む。


「あれ?」


 取れないぞ。と思ったときに無意識に中指と薬指でちょっと硬いものを挟んでしまった。


「あっ、あん」


 メイド服が変な声を出した瞬間に手を引っ込めた。僕が目を細めて睨みつけるとメイド服はニヤニヤと笑っている。


「どういうつもりですか」

「どうにもこうにも、悪いけど録画されていますよ。これ」

「またまた、ご冗談を」


 手をひらひらさせて何事も無かったように、部屋から逃げ出そうとする僕。


「待ってください。ここにちゃんと証拠がありますから」


 振り返るとビデオカメラを持っている。いつの間に? だが、これはチャンスとばかりに駆け寄って無理やり奪い取る。メイド服は抵抗しない。さすがに、男女の体力差を張り合うつもりはないのか。

 僕はビデオカメラの削除方法を探す。


「それ、削除しても無駄です」


 メイド服は別のビデオカメラを持っている。


「六台セットしましたから。あと、四台はあります。天井の隅に二つ。あと二つは秘密です」


 メイド服は最上級の微笑を見せていた。


「意味がわかりません。いつも、こんなことをしているのですか?」

「まさか。大好きな俊ちゃんだけです」

「良くそんなことが言えますね。初めてじゃないですか会ったの。僕のことなんか知っているはず無いじゃないですか」

「失礼な」


 メイド服は頬を膨らませる。彼女の眼鏡ごしにの大きな瞳が光る。細い首と小さな顔。オサゲのミツアミがよく似合う彼女に見つめられて息を飲む。


「私は俊ちゃんのことは何でも分かっていますから」


 挑戦的な目つきに僕は反発したくなる。


「なら、誕生日でも分かりますか?」


 メイド服は眼鏡をかけなおすとその言葉を待ってましたと言わんばかりに口元を吊り上げる。


「千波俊史、二千八年一月一日生まれ、山羊座、A型、十五歳、水儀第一高校の一年生。中学のとき物理部で現在は帰宅部。身長百六十三センチメートル体重四十六キロ、高校の成績は平均程度。髪はウェーブがかった黒で長さはミディアム。結構、可愛い系の顔だけど、彼女いない暦十五年。てゆーか、堂々と更新中。マザコン、シスコンが原因だと思われる。女装趣味有り。って、とりあえずこんなところです」

「ちょっと待った。途中からおかしくないですか。彼女いない暦とか」

「ん? 間違っていましたか?」

「いえ、そこは百パーセント正確な情報です」


 僕は項垂れる。が、別に彼女いない暦=人生だろうと何の問題もないじゃないか。僕たちの人生はこれからだ。と開き直って顔を上げる。


「打たれ弱いくせに回復力は、そこそこ。寝る前に姉から貰った猫のぬいぐるみと会話する習慣があり。ちなみに、今朝、一家心中し損ねた。エコのためと言いながら電気代節約のために八時に寝ることにしている」

「ちょっと待った! おかしいよ。おかしいですよ。メイドさん」

「えーと、私のことは姫様と呼んでください」

「分かりました。姫様。さっきの話、どう考えても異常です」

「そうですね。私の名前は姫ではありませんから。私は重藤しげふじあずさと言います。ちゃんと、オシゲって呼んでくださいね」


 僕をじぃっと見つめるメイド服。何処まで本気で言っているのか。頭が痛くなってきた。僕は自分の顔をアイアンクローしながら考え込む。


「ってどうして、一家心中とか知っているんですか」

「やですね。盗聴しているからに決まっているじゃないですか。ちなみにエッチな本の隠し場所は……」

「ちょっと、それって犯罪じゃないですか!」


 普段温厚な僕の堪忍袋もさすがに限界を突破した。働ける場所は他にもあるはず。別に自分のプライドまで切り売りする必要は無い。今度こそ本気で帰ろうと、メイド服に背を向ける。


「霜降り牛は美味しかったですか?」

「ええ、とっても美味しかったですよ」


 僕は、これが最後の言葉だと思っていた。無視をするのは悪いと思って返答しただけだ。


「盗聴器は何か月分かの家賃を棒引きにすることでお母様に了承していただいています。そして、昨晩の牛肉代は俊ちゃんの今月分の給与の前借になっています」

「はぁ?」


 僕は振り返って、金魚のように口を丸く開ける。言葉が出てこなくなるってこういうことだろう。頭の中が混乱して考えが纏まらない。


「言い忘れたかもしれませんが、私、ビデオから画像取り出したり、編集したりするの得意なんです。で、高校の壁新聞にしちゃったりするのが趣味だったりして。てへっ」


 自分の右手で軽く頭を叩いて舌を出すオシゲに止めを刺された。ここまでされたのならば開き直るしかない。アジの開きに負けないくらい、しっかりと見せてあげようじゃありませんか。僕の生き方ってやつを。ん? アジの開きは死んでいる?


「分かりました。着替えますよ」


 とりあえず、服を見て自分で着られることを説明すれば、オシゲも部屋から出て行くだろう。と考えたが甘かった。重ねられている服をばらばらに並べて見た。ちっとも理解できない。


「それは、襦袢。そっちは白衣。これが緋袴。安心してください。着せてあげますから」


 オシゲが勝手に僕の服を脱がせようとする。ちょっと待った。脱ぐのは出来ますから。


「ちょっと、俊ちゃん結構ウエスト細いね」


 オシゲがベルトを外そうとする。って、逆に締まってます。苦しいです。僕はオシゲを押しのける。


「自分でできますから後ろを向いていてくださいよ」

「大丈夫です。気にしないで」

「オシゲさんが気にしなくても、僕がめちゃくちゃ気にするですって!」


 僕が少々声を荒げてもオシゲはちっとも動じない。それでも一応背中を向けてくれたので、溜息をついてから僕は服を脱いだ。

 そして適当に着てみて、はっとする。

 いや、着ている時に気づいていたんだ。というより、見た瞬間に分かっていたんだ。


「これ、巫女服ですよね?」

「そんなことが分からないほど、あなたは愚かなの?」

「それ、誰の真似ですか?」


 僕は向き直って意味不明な物真似をしているオシゲに質問する。しかし、オシゲはそんなことどうでも良さそうな表情をして僕のことを隅から隅まで観察する。所々、間違っていたのか手直しをされる間、マネキンのように動かずに立っていた。


「用意していたカツラウィッグをつけて完璧っと」


 満足そうにオシゲは僕を見た。が、突如、眉をしかめる。そして、僕の周りを回るように歩き始める。何をしているんだろうと思っていると、気になることでもあったのか立ち止まる。


「俊ちゃん。駄目じゃない」

「えっ? 僕は何も……」

「どうしてこんなところが膨らんでいるんですか。引っ込めないと」

「止めてくださいってば。そんなに力を入れられたら……」

「大丈夫。私に任せていればすっきりさせてあげますから」


オシゲは僕のことをジッと見つめていた。

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