第九話 家族

 駐車場に戻る前に、アンディは寺院で済ませておくべき重要なことがもうひとつあった。一階へり、小僧にベンを連れて来てくれるように頼む。すると奥の小部屋から小僧に呼ばれたベンが現れ、アンディを見つけるとゆらゆらと左右に揺れながら歩み寄って来た。


「にんちゃん、ただいま、おかえり」


 アンディはベンに駆け寄り、ギュッと抱きしめ、言った。


「ただいま、ベン」


 ベンは兄に会えて嬉しそうに笑っていた。ただ、かかえられて動けないのが嫌だったようでこう言った。


「にんちゃん、はなしてください」


 アンディは仕方なく抱きしめた手を離し、代わりにベンの頭をでて言った。


「そんなつれないこと言うなよ。でも元気にしてるみたいでよかった」


 ベンは、にこにこ笑っていた。そして連れて来てくれた小僧に、アンディが改めて礼を言う。


「ユウ、いつもベンの面倒を見てくれてありがとう」


「いえいえ、掃除などよく手伝ってくれるのでありがたいですよ。読経も経典を見ずに音で覚えて上手に真似してくれます」


 アンディはベンをめてやったが、それが分からず、首をかしげてアンディを見上げていた。


「どっちかって言えば、ウェンの方が手間がかかるわよねぇ……」


 リンの呟きに、ユウは苦笑いしながら言った。


「和尚様は、何を言っても聞き入れてくれませんからね……」


 身体はだいぶ大きくなったベンだが、相変わらず自分からはあまり話しをしない。しかし、自分でできることが増えて、兄と長期間離れていても平気になっていた。

 部屋でひとりでいたい時もあるようで、扉を閉めて中で遊んでいることもあった。未だ自立した生活はできないが、ウェンとユウに面倒を見てもらって生活している。年中行商で集落を行き来しているアンディにとって、ベンを預かってもらえるのはとても助かっていた。

 ショーンは現れたベンと言う男がとても不可思議な人間に見えていた。今までに知る人間とは全く異なる雰囲気をまとっている。自分も口数は多い方ではないが、それとは違い、ベンの話し方がおかしい気がしていた。

 ショーンの視線に気づいたアンディが、ベンを紹介する。


「ああ、ショーン。僕の弟のベンジャミンだ。ほらベン、ごあいさつ」


 アンディに促されて、ベンはペコっと頭を下げて声を発した。


「こんにちは」


「……ショーンだ」


 ベンが珍しく兄に向かって問う。


「ショーン、おともだち?」


 アンディはつい嬉しくなって大きくうなずき、ベンに向かって言った。


「うん。うん、そうだ。僕の新しい友だち」


「おともだち、あたらしい、おともだち!」


 ショーンはベンの話し方に戸惑いを感じ、何と言っていいのか思い付かず、言葉に詰まった。


「えっと……」


 その戸惑いを察して、アンディはベンのことを説明した。


「ベンは生まれつき発達が遅れていて……そうだな、身体は成長して大人になったけど、心の成長が伴っていなくて、恐らくまだ三歳くらいで止まってるんだ」


「え? それってバカってこと?」


 リンがすかさずショーンの頭をぶん殴った。


「いっ、てぇ……」


「バカはあんた。デリカシーのないこと言うんじゃないの。アンディが生まれつきだって言ってたでしょ。ベンはあたしたちの言ってることは理解できてるのよ。言われたら傷つく言葉もちゃんとわかってるの」


 叩かれた頭をさすりつつ、ショーンは何が悪かったのかを考えた。だが、何故殴られたのかも合わせてよく理解ができない。ただ、リンが口よりも手が出る方が先だと言うことを思い知った。


「病気じゃないからね。恐らくベンはずっとこのままなんだ。まぁ、僕も理解するまでに随分ずいぶん時間がかかったし、今もまだ本当に理解できているのかわからない。

 でもウェンから『ベンのりのままを受け入れろ』とさとされた時に色々と気づくことがあったんだ。

 ショーン、君にすぐに理解してもらえるとは思っていないし、無理に理解してもらおうとは思わない。ただ、ベンは、僕にとってはかけがえのない唯一の家族だ」


 ショーンは自身の記憶を辿たどって、家族というものが何であるかを思い出そうとした。断片的に両親やおかしらを思い浮かべたが、自分の頭の中にはない概念だと思った。


「俺は家族とかの記憶がない。親に捨てられたのをかすかに覚えてるくらいだし。お頭や兄貴たちはいたけど、本当の家族ってのが、どう言うものかはわからない。リンとウェンの関係も、その……アンディとベンの関係もどういうものなのか想像できないんだ」


 アンディはショーンの話しを聞き終え、彼の身の上を想像して表情を少し曇らせながら彼に言った。


「……それについては、明確な答えを返してあげられないな。僕も死んだ両親のことは顔すらもほとんど覚えてない。僕とベンの面倒を見てくれていた親方が死んだとき、とても悲しい気持ちになったけど、それがもしかしたら家族の念、なのかも知れないな……」


 兄貴たちがヘマをして撃たれ、叫び声を上げて死んで行ったのを見ても、ショーンは自分が生き残ることだけを考え、生命の危険を感じるだけで、悲しいと思ったことはなかった。


 リンがベンの頭を撫でながら、ショーンに言った。


「アンディの言う通り、確かに家族がどう言うものかは説明が難しいわね。家族の形はそれこそ千差万別で、血の繋がりがなくたって家族と言える関係もある。そもそも夫婦なんて血の繋がりがないんだし。もしかしたらショーン、あんたの兄貴たちだって、あんたにとってはホントの兄弟じゃなくても家族だったかも知れないし……。

 まあ、最近は行商団も家族みたいなものかも知れないと、思うようになったかな。そう言うことも含めて、人と共に暮らして行く中で徐々に絆を深めて、感じるものなのかもね」


「共に、暮らす……」


 リンの言葉を反復するようにショーンがポツリと呟く。家族という繋がりがいいものなのかわからなかった。お頭や兄貴たちとの関係も、一方的にくだされる命令にただ従い、反抗なんてしようものなら、暴力で黙らされるだけだったからだ。それが家族だと言うのなら、随分面倒で厄介なしがらみだとショーンは思った。

 しかし、先ほどのリンとウェンの喧嘩のやりとりは、賊徒の上下関係性とは違っていた。そもそも比較にならない。

 弟であるウェンは口ばっかりで、姉のリンは手が早い。そう言う意味では似ているところもあるが、賊徒とは全く別の、自分の知らない関係性があるように思えていた。

 ベンがユウにしゃべりかけた。


「ユウちゃん、ごはんたべる」


 ユウはベンの手を取って言い聞かせた。


「にんちゃんが来てるから、にんちゃんと一緒に食べようね」


「にんちゃん! にんちゃんと、たべる!」


 ベンが嬉しそうにぴょんぴょん跳ね飛び、大きな声で言った。


「そうだね、今夜は一緒にご飯食べて、一緒に寝よう」


 真顔に戻ったベンがポツリと言う。


「ひとりで、ねれるの」


「寂しいこと言うなよ、ベン……」


 しょんぼりするアンディの肩をリンが軽く叩き笑顔で励ました。


「にんちゃん、がんばれ」


 アンディは力なく笑った。ベンの心が少しずつ成長しているのを感じて嬉しく思う反面、また寂しく思うのも本心で胸中は複雑だった。


「そろそろ駐車場に戻ろうか。って……あれっ、ウェンは?」


 ユウが申し訳なさそうに言う。


「和尚様は……お一人で先に出て行かれました……」


「なんか気配がしないと思ったら……あのくされ坊主!」


「本当に……申し訳ありません」


 何故か小僧のユウが深々と頭を下げて謝った後、アンディとリンが笑った。つられてユウもまた笑っていた。

 ショーンとベンは、何故三人が笑っているのかわからず、その様子をただ見つめているだけだった。

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