第七話 破戒僧

 ショーンの処遇についての話しの大枠はまとまり、用件を終えた集落の長は寺院を後にした。

 長を丁重に外までお見送りしたウェンシィウ師と小僧が展望台へ戻って来る。棚から酒瓶さかびんを取り出し、アンディたちのいるテーブルに着くと瓶の中身を茶碗に注ぎ、ウェンは一気に飲み干した。


「……っぷぁ。旨え。疲れが吹っ飛ぶ」


和尚おしょう様、まだは高いですよ……一応めましたからね」


 無駄だとはわかっていても、小僧がウェンをとがめた。その様子にあきれたようにリンが言う。


「弟子に耳を貸さず、昼間っから飲んだくれるなんて、生臭なまぐさ坊主振りは相変わらずね」


 ウェンは大声で笑って言い放った。


「ハハッ! 人生なんて苦難の道しかないんだ。だったら今を充実させて生きなきゃな。面倒くさい『ごう』なんて次の『せい』に背負わせちゃえばいい」


 ショーンにはさっきまでの姿勢を正し、穏やかな微笑みを浮かべていたウェンシィウと、今のウェンがとても同一人物だとは思えなかった。


「この集落の人と同じ仏教徒だとは思えない。僕が仏教の宗教観を理解できないのは間違いなくウェンのせいだ」


 アンディの非難を、ウェンが酒を注ぎながら返す刀でバッサリ切り返す。


「アンディ、そんなに硬い頭じゃ、あんたが仏教を理解するには軽く五十二億年はかかるだろうな」


 驚嘆きょうたんの色を隠さず自分を見つめているショーンに気づき、ウェンが言った。


おさとアンディには色々言ったが、ショーン、お前さんは何も気にむことはない。何処どこへ行ったって苦からのがれては生きられないんだから、だったら、お前さんの思う通り、自由に生きる方がいいに決まってる。幸いにもアンディがお前さんを助けてくれるって言い出したんだ。その厚意を甘んじて受け取って利用してやればいいさ」


 そう言いながら、ウェンはまた茶碗の中身を一気に空にした。


「ウェン、あんたさっき手伝うって言ってたでしょ。アンディだけに責任を負わせるつもり?」


 詰問気味に迫るリンに、ウェンは左手をひらひら振りながらニヤついてそっぽを向く。


「姉貴もわかってるはずだ。俺の性格。テキトーで、調子が良くて、無責任なヤツだって。大丈夫、アンディなら上手くやれるさ」


 リンは右手でウェンの頭頂部を鷲掴わしづかみにし、自分の方へ顔を向けさせて、上下にガクガクと激しく揺らしながら怒鳴りつけた。


「あ・た・し・の・性格! 思い出させて! や・ろ・う・か!」


 ウェンは身体をひらりと回転させ、リンの拘束を振りほどき、テーブルから飛び退いた。そして悠然と右手のひらを上に向け、指をくいっと曲げてリンを挑発する。


「上等だ! 姉貴が修練をサボってたかどうか、確認してやぶぉッ!」


 リンが放った掌底しょうていがウェンの腹部を直撃し、そのまま勢いよく壁際かべぎわまでぶっ飛んで行った。


「……ふん。ゴチャゴチャ言うから、やっぱりぶっ飛ばすことになっちゃったじゃない!」


 ショーンはリンの掌底の威力に目を丸くして固まった。お頭や兄貴分たちが振るっていた力任せの暴力とは全く別次元の打撃を、華奢きゃしゃで小さな体躯たいくから見事な動作で繰り出したのだ。それはショーンにとって人生で初めて味わう、美しさへの感動だった。

 アンディが立ち上がり、倒れたウェンの様子を見にそばへ駆け寄った。


「くっ……不意打ちとは卑怯ひきょうな……」


 ウェンをかかえ起こし、肩を貸しながら、アンディは申し訳なさそうにつぶやいた。


「挑発なんてするから……まあ、口先だけは、君は負けてないよ」


「……まだまだ、俺の酔拳を見せてやる」


 立ち上がったウェンは、アンディから素早く離れると酒瓶を掴んで一口あおり、そしてリンに向かって身構えた。酒に酔っているのか、足元がふらついている。かぶりを振りながらリンが呆れて呟いた。


「……酔拳とか言っちゃって、ホントにバカなの?」


 それからウェンとリンは素早い身のこなしで次々と拳技や脚技を繰り出す。お互い受け身を取ったり拳や蹴りをギリギリでかわしたり、ショーンは今までに見たことのない、一連の動きに見入っていた。

 永遠に続くかと思える技の応酬だったが、決着の瞬間はあっけなかった。

 ウェンの繰り出した右拳を上に跳ね上げ、左腕を掴んでリンは転身し、背中でガラ空きになったウェンの身体に体当たりをした。

 ウェンはまたも壁際まで見事に吹っ飛んで行き、倒れ伏した。


「ま、参った……」


 ウェンは一言ひとこと発した後、そのままゴロリと床に大の字になった。

 ショーンは、リンだけは怒らせてはいけない存在だと改めて認識した。


 この派手な姉弟喧嘩の光景も、この集落へ訪れた時の恒例行事のようなものだった。彼らが言うには、喧嘩ではなく比武ひぶ、と言う力比べのようなものらしいが、アンディは弟とこんな風に拳で語り合うことができるリンをちょっとだけうらやましく思っていた。

 リンは倒れているウェンのそばに来て、どっかりと床にあぐらをかいて座り、ウェンの耳を引っ張ってたくさんの小言を浴びせた。小言が三セット目を過ぎる頃、ショーンが目をまん丸に見開いて自分を凝視ぎょうししているのに気づき、気恥ずかしさを感じて急に立ち上がり、腰のほこりを払いつつ言った。


「えっと、ショーンもいるし、今回はここまでにしといてあげるけど……まだゴチャゴチャ言うなら、いつでもかかって来なさい」


 今しがた姉に言われた小言など、全く気にする素振そぶりも見せず、ウェンが能天気のうてんきなことを言いながら立ち上がった。


「さてと。姉貴のお小言も終わったことだし、そろそろ駐車場へ行こうぜ。ゴローたちが首を長くして待ってるだろうしさ!」


「そうだね。荷解きの手伝いに行かなきゃ。それに、明日からの納品や販売の準備もしないと……」


 アンディが残りの作業を頭に巡らせ、言った。


「そんなのは姉貴に任せときゃいいよ。何より、みんな無事に着いてよかった。毎日祈ってた甲斐かいがあったってもんだ」


 ショーンは集落の人々の暮らしが全く想像できていなかったが、疑問に思っていたことをアンディにたずねた。


「なぁ、アンディ。ここの集落の人たちは、みんな……リンやウェンのような……あんな凄い動きで、喧嘩するのか?」


 ショーンの言葉が至極しごくまともで真っ当な疑問だったので、三人は思わず噴き出した。


「さっきのは俺と姉貴の挨拶みたいなもんだ」


 ショーンは今までの人生でこんなにも短時間でたくさんの驚きと発見を目の当たりにしたことはなかった。今日一日で、良くも悪くも本当に様々な体験をした。自分がどれだけものを知らずに、何も考えずに生きて来たのかを思い知った。



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