第四話 仏像集落

 行商団が集落へ近づくにつれ、一際ひときわ背が高く青銅色のぼやけた建造物の輪郭りんかくがはっきりとして来た。

 ショーンは初めて見る建造物だった。それは人の形を模しており、地面に対して若干左に傾いて建っていた。顔にあたる部分は半分ほど崩れており、よく見るとあちこちがひび割れ、欠けて落ちていた。

 頭には右巻きの丸い渦巻きのようなものがびっしりと並んで髪の毛を表現している。ただ、それもところどころ欠けていた。

 像の地面は、かつてそれの一部だった金属質の破片で埋め尽くされ、瓦礫の中から像の上半身だけが生えているように見えた。

 バギーの後部座席から立ち上がって、得体の知れない像を見つめているショーンに、リンが像の説明をした。


「あれは、仏様の姿をかたどった像なの」


「ホトケサマ?」


 思わずショーンは聞き返す。


「仏教って知ってる? 昔の宗教なんだけど。今はもう信者は少ないけどね。あの像は元々人が立っている姿だったらしいんだけど、崩れて今は上半身しか残っていないの」


 ショーンにとっては仏教はおろか、宗教という概念がまずわからなかった。


「わからない。リンの言うことは、俺にはさっぱりわからない。何がわからないのかすら、わからない」


 そう呟きながら、ショーンは像の顔の側で右の手のひらを前に向け、親指と人差し指を輪のように形作かたちづくっている奇妙な仕草を真似して見た。

 その様子を見たリンが、クスッと笑う。


「知らないことを知らない、と認識できるのは悪いことじゃない。それが気づきの原点になると思うからね。僕も、宗教の概念はさっぱり理解できていないけど、それぞれの人間の生き方、考え方の指標というか、指針になるものだと思ってる……って認識で合ってる?」


 アンディは語尾を疑問形にして、ちらっと助手席のリンへ視線を投げかけた。


「あたしに聞かないでよ。そんなの知らなくても拳法の修練はできるし。師匠の言う『見るんじゃない、感じる』ってやつでね」


「ははっ、まあ、どっちにしても僕には未知の領域だな」


 こうした二人のやりとりは、道中で何度も目にしたが、少なくともショーンの今までの人生では経験したことのない会話だった。話されていることの内容もそうだが、人がこんなに穏やかに話し合うものだとは考えたことがなかった。



 集落のゲートが近づいて来ると、アンディはショーンに言った。


「そろそろゲートだ。シートに座って、できるだけ目立たないように」


 そう言われて、ショーンは慌ててシートに座り直し、頭を低くする。

 ゲートは物々しい大きな門扉もんぴと金網を組み合わせてしつらえられていた。ゲートの脇には簡易的な監視詰所つめしょも併設され、集落全体はところどころ穴はあるものの、賊徒の侵入を防ぐための金網や鉄条網で覆われていた。

 ゲートからは集落内に二つの物見櫓ものみやぐらが見えたが、その内のひとつは損傷が酷く、梯子はしごも途中から折れていて人もおらず、使われていないようだった。


 アンディがゲートの近くにバギーを停車させると、他のクルマも停止した。アンディはバギーから飛び降りると、ゲート脇の監視詰所に歩いて行った。

 窓口からぬっと男が顔を出し、言った。


「ご苦労さん、通行証を見せてくれ」


 言われた通りアンディは胸のポケットから集落への通行証を提示すると、監視員はスキャン用の機械を通行証へかざす。ピッ、と言う認証の音がして、詰所の中にあるディスプレイに行商の所属識別コードや主な取り扱い品目、有効期限や往来の記録などの情報が表示された。この一連の仕組みはアンディが構築し、作成したものだった。

 監視の男はゲートの開閉レバーを操作しながらアンディに話しかけた。


「みんなあんたらが来るのを心待ちにしてたんだ。物資の質もそうだが、来てくれる行商人の数が減っちまったんでな」


「賊徒も脅威だけど……最近、ドローンの様子に少し変化があるようなんだ。ジャミングのパルスが効かないのがいるって言う噂も聞いている」


「おおっ、こわッ」


 取り止めのない会話の中、ゲートが重くきしんだ音を発しながらゆっくりと開いて行く。ゲートが完全に開いたのを確認して、アンディたちはクルマを集落の中へと進めて行った。


 集落に入るとすぐに瓦礫がキレイに取り除かれた場所がある。クルマを持っている行商はここを駐車場兼商品の売り場にしていた。クルマは野晒のざらしにはなるが、集落の奥にはこうしたスペースがないためだ。

 そこには既に集落のおさや住民が集まって来ており、行商団を出迎えた。リンとゴローがバギーから飛び降りると、トレーラーの方へ向かって他のメンバーと荷下ろしの準備を行い始めた。アンディはショーンにバギーにいるよう声をかけてから、集落の長の元へ向かった。

 バギーの中に身を潜めつつ、ショーンはリンやゴローたちの荷下ろし作業をつぶさに見つめていた。お互いに声を掛け合い、協力して仕事をする光景は、自分がお頭の下で働いていた様子とは明らかに違っていた。

 怒声で命令し、自分では動かないお頭。その命令を兄貴分たちがショーンのような下っ端にさらに下す。上手くやってもめられることは滅多めったになく、失敗やミスがあると容赦ようしゃなく罵声ばせいを浴びせられ、その後は決まってぶん殴られた。

 リンやゴローは各自に指示を出しつつも、自分たちも忙しそうに貨物の点検や目録とのつき合わせなどを行い、あちこち行ったり来たりしている。指示を受けたメンバーが作業をえると『お疲れ様』とか『ありがとう』と言う耳慣れないねぎらいの言葉をかけていたことが、ショーンの目にはとても奇異きいに映っていた。


 トレーラーから降ろされ、積み上がって行く貨物が想像以上の量だったことにも驚いた。大きなトレーラーだとは思っていたが、見た目以上に多くの貨物を積み込んでおり、それがメンバーによって次々と荷下ろしされ、開封されて行く。

 ショーンにとっては、その何もかもがとても不思議な光景に見えていた。


 ショーンはアンディの姿を探して見た。彼は長と人のいないところで、小声で話し合っていた。内容は聞き取れないが、恐らく自分の処遇について話し合っているのだろうとショーンは思った。キレイに巻かれた肩と太腿の包帯を無意識に触る。サクラと名乗った若い女が傷の手当てをしてくれていた。その感触に気づくと少しだけショーンの不安は和らいだ。



 アンディは長に道中のことや他の集落で得た情報、今回の貨物の主要な商品などを話しつつ、ショーンのことをどう伝えて良いものかを考えていた。ただ、黙っておく訳にも行かないので、ひとしきり連絡事項を終えた後、意を決して話を切り出した。


「ひとつ、お願いがあるんですが……」


「何かな? アンディ行商団にはいつも世話になっている。我々にできることなら何でも申し付けてくれ」


「ありがとうございます。ええと……何処から説明すればいいのかな……ここへ来る前に、訳あって地面に倒れていたひとりの男を保護したんですが……その、実は彼は、賊徒の下っ端だったらしく……」


 歯切れの悪いアンディの話に『賊徒』と言う単語を耳にするや否や、長の顔がギョッとした驚きで引きる。


「ここで面倒を見てくれということではありません。彼は僕たちが連れて行きます。僕たちが滞在している間だけ、集落に置いてやってくれませんか。監視は僕らがしますし、自由にさせることはしません。集落にご迷惑はおかけしないようつとめますので……」


 話しを聞きながら、しばらく難しい顔をして長は思案していた。


「う~む。いくら君の頼みとは言え、すぐに『うん』と承諾しかねるな。もう既に中には入って来ているんだろう?」


「……はい。僕のバギーの後部座席に拘束しています」


 拘束しているというのは苦しい言い訳ではあったが、全くの嘘ではない。荷下ろし作業中でも、それとなくリンとゴローには目を離さないように言っている。


「ふむ……とは言え、他でもない、アンディ行商団の団長の頼みを無碍むげにはできんしな……。ここはひとつ、ウェンシィウ師にも意見をうかがうというのはどうだろうか?」


 ウェンシィウ師は、この集落の精神的支柱である仏教徒の指導者で、仏像の管理も行なっている人物だった。アンディも少なからず面識がある。


「ありがとうございます。荷下ろし作業が済んだら、長にもお声がけしますので、本人を連れて伺いに行きましょう。リンも会いたがるでしょうし」


「わかった。くれぐれも騒ぎは起こさないようにな」


「はい、肝に銘じます」


 まだ問題は山積みだが、全く希望がない訳ではない。そう思うといくらか気は楽になった。アンディは荷下ろしの作業を手伝いにトレーラーの方へ戻って行った。



 荷ほどきの作業をしていたゴローが立ち上がり、作業が順調であることを大声で伝えた。


「アンディ、荷下ろしはだいたい終わったからお前の仕事はねえぞ! 荷解きも間もなく終わるから、後で一杯やろう」


「ありがとう、ゴロー!」


 ゴローは指でオーケーのサインを指し示して作業に戻った。リンがアンディに近づいて来て、声をひそめて訊ねた。


「どうだった? 長は何て?」


「……長の一存では決められないから、ウェンシィウ師に意見を仰ぐことになった」


「ウェンに?」


 この集落でのご意見番でもあるウェンシィウ師は、リンの実弟だった。


「うん。どうなるかは話して見ないとわからないけど、ショーンを連れて行く」


「あいつがゴチャゴチャ言うなら、あたしがぶっ飛ばしてやるわ」


 リンが剣呑けんのんなことを言い出したが、弟に再会できるのが嬉しそうな様子だった。


「弟は、大事にしてあげなよ」


 アンディは少し悲しげに、ボソッと呟いた。

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