第十二話 再起

 しばらく二人の間に沈黙が続く。


 少年は男のカップにコーヒーを注ぎ、コーヒーポットをテーブルに置くと自身の弟について話し始めた。


「僕の弟……ベンは身体が大きくなって来ても僕たちのように話したり、言いたいことを話してくれない。察してほしいって言う空気感っていうのかな。僕はベンの気持ちを察して、食事を用意したり身体を洗ってあげてた。同じ年頃の他の子たちとは明らかに違ってるんだ。

 お医者さんや他の大人たちは、ベンを発達障害とか知的障害とか言ってた。病気みたいになおるものじゃないんだって。

 時々癇癪かんしゃくを起こして暴れたり、物を壊したりするけど、いつもは大人しくて……いや、いつも『うーうーあーあー』って声を上げてるかな。

 小屋の隅っこでびたチェーンをじゃらじゃらさせたり、石ころを転がして楽しそうに遊んでた。

 でも僕が話しかけても全然わかってくれなくて、イライラすることもあった。それは他の子や大人たちもそう思ってたみたいで、ベンと話しをするのはみんな諦めてた。

 ジャンクパーツの錆び落としとか、簡単な作業はやってくれるんだけど、複雑な手順の作業はできなくて。目を離すと何処かに行ってしまいそうで、足手まといにしかならないからジャンク山には連れて行けないし。小さい頃は僕の姿が見えないと、泣いたり喚いたりしてた。

 でも。時々仕事で疲れて帰って来ると、僕の側に座って心配そうにこっちを見てたり。ベンに取り分けた食べ物を僕に分けて返してくれたりもする。話しができなくても、思いやりがあって、優しいところがあるんだ。

 ベンはあまり言葉をしゃべってはくれないけど、たまに僕を呼んでくれる。いい意味でも悪い意味でも表裏がなくて……でも何を考えているかわからない時もあって、もどかしいって言うのか、イライラする気持ちになることもあって……そんな自分が嫌になるんだ。

 エンジニアになるっていう夢も、ベンから離れる口実にしてしまった。

 僕は……ベンを置いて来てしまった……」


 少年は時に言うことを聞かない弟をうとましく思うこともあったが、純朴で無垢むくな心優しい弟をとても愛おしいと思っていた。自身の感情を吐露とろしたことで、弟と共に過ごした日々を思い出し、色々な感情が入り混じって少年は気づかないうちに泣いていた。


「失くした後にその大切さに気づく……人間ってのは、つくづくおろかな生き物だと思うぜ。俺も、俺の親父も……」


 少年は、愚かなのは自分自身だと気づく。心に火がともったように、少年は弟の元へ帰りたいと願った。


「だがな、お前は違う」


「え……?」


「お前はまだやり直せる。まだ間に合う。引き返して、弟と……ベンと共に生きて行ける」


「僕は……ベンの元に帰りたい」


 少年は両手で顔を覆って泣き、しゃくり上げる。男が少年の頭を優しく撫でた。


 少年が落ち着くと、男はジャンク品の再生作業を始め、少年も男の作業を手伝った。手伝うと言っても必要な工具を取り出したりしまったりするくらいで、男の機械に関する知識や技術に驚き、その作業に見入っていた。

 男の作業がある程度終わる頃には辺りはすっかり暗くなり、男は食事の準備に取りかかった。大きな鹿肉を冷凍庫から取り出すと、少年は大いに驚いた。こんなに大きな肉の塊を見るのは初めてだったのと、その肉をしまって置ける冷凍庫も珍しいものだった。少年は驚きを隠すことなく、まじまじと冷凍庫を観察していた。

 男は鹿肉を厚めにぎ切りして串代わりの鉄筋に刺していく。十本ほど刺した後、陶器で作られたコンロのようなものに炭を入れ、火をつける。コンロに金網を乗せ、その上に肉を刺した鉄筋を並べて行った。


「このコンロ、見たことないな……」


「こいつは七輪しちりんっていうんだ。炭の火で肉をあぶると遠赤外線の効果で中までじっくり火が通る。外側はカリッとすぐに焼けるので食感も良くなる。余分なあぶらも落ちるので程よくジューシーに仕上がるんだ」


 食卓に料理が並べられる。少年は自分が知るどんな贅沢な料理よりも豪華に思えた。鹿肉の串焼き、野菜の盛り合わせ、付け合わせのスープなど、どれも今までに食べたことはない。

 男は鹿肉の刺さった鉄筋を掴み、そのまま肉にかじり付く。男に促され、男の真似をして少年は肉にかぶりついた。これまで食べたことのない肉の繊維質な食感と溢れ出る脂の旨味が口いっぱいに広がる。柔らかくはないが、噛むほどに染み出す肉の味は今までに味わったことがないほど美味で、身体に力がみなぎってくる感じがした。


 その晩、遅くまで男と少年は話しをした。少年はいつかはエンジニアとして身を立てていきたいという自身の話しやジャンク拾いの話し、これまでに再生させたいくつかの電子機器についての男の話し、そしてお互いが弟をどんなに愛していたかなど、取り留めのない話しで夜が更けて行き、いつの間にか少年は眠りに落ちていた。

 少年が眠ったのを確認した男は、立ち上がって黙々と旅に必要な物品を揃え始めた。



 朝、少年が目を覚ますと、男は地図の入った端末、ドローンけのジャミングユニット、数個のバッテリーパック、食糧や水をまとめた袋、低出力ではあるものの充分な殺傷力のある護身用レイガンを用意してくれていた。


「俺がしてやれるのはこれが限度だ。俺はここを離れることができんのでな。ここには……俺の弟が眠っている。

 で、集落に無事戻ったら親父に謝って、仕事をもっと教えてもらえ。あれでもそこそこ腕の立つエンジニアだからな」


「え、そうだったの? 僕、そんなこと親方から一言も聞いたことがなかったよ!」


「ははは、恐らく息子に追い抜かれたのが気に食わなくて、エンジニアだと語れなくなったんだろうな」


 エンジニアの道は意外にも少年の近くにあった。仰々しく集落を出て来た自分が恥ずかしくなりつつも、何だか急に目の前が明るく、心を覆っていた霧が晴れていくような気がした。


 出発の準備が整い、小屋の前で少年は二度も生命いのちを救ってくれた男に感謝し、別れを告げた。


「僕、そろそろ行くよ。今まで、色々と助けてくれてありがとう。その……もうひとりのアンディ」


 少年は密かに男から受けた恩を必ず返そうと心に誓う。


「ああ、気をつけて行けよ、もうひとりのアンディ。親父とベンによろしくな」


「うん。本当にありがとう!」


 男は少年を見送るとすぐに小屋の中に戻った。長く見送っていると、送られる方も気になってついつい後ろを振り返ってしまう。

 それをさせないためだった。男の心遣いに気づき、少年も心を決めた。

 地図端末で見たルートを頭に思い描いて森林へと足を踏み出す。



 今回の出発では、少年は二度と後ろを振り返ることはなかった。




 第一部 見捨てる生命、救われる魂(了)

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