第十一話 代償

「ねえ、その……弟は……どうなったの?」


 男はその問いには答えず、少年の顔をまじまじと見つめて不意に少年の名をたずねた。


「……そういやお前、名前は何て言うんだ?」


 唐突に名を聞かれ、少年は少し戸惑ったがここに来て隠す必要もないので、自分の名前を告げた。


「……アンドリュー」


「そう、か……」


 少年の名を聞いた男は頷き、深く息を吐き、コーヒーカップに口をつける。カップの中身を一息に飲み干してテーブルに置くと、男がまた少年に聞いた。


「弟のベンジャミンはどうしている?」


「え?」


 少年はまたも不意を突かれて驚嘆きょうたんの声を漏らした。男の口から不意に弟の名が出てきたからだった。


「なんで……知ってるの?」


「うん……そうだな。俺自身もまだ信じられないが……まさかこんな偶然があるとはな。

 六年前、お前とお前の弟をジャンク屋の親父に預けたのは俺だ。賊徒に襲われた時のショックが大きかったのかわからんが、お前も弟も自分の名前すら覚えていなかった。名前がなければ色々と生き辛かろうと、親父は俺の名前『アンドリュー』と、俺の弟の名前『ベンジャミン』をお前たちにつけたんだ。

 ジャンク屋の親父……お前の親方は、俺の実の親父でもある」


 男の語った出会いと、親方との関係を聞かされ、この偶然に少年は大変驚き、口を大きく開けたまま言葉を失った。


「驚くのも無理はない……って言うか、俺だってびっくりしてる。こんな偶然があるとは、な」


 驚きながらも少年は、最初に感じたこの男に対する安心感に得心とくしんもしていた。


「そう、だったんだ……」


「ああ。驚かせるつもりはなかったんだが。つい、聞きたくなってな。そっちの件はまた改めて話すとして……まずは、お前の質問に答えるため、話しを続けよう。

 その後、戻って来た人々はしばらくシェルターに滞在していたが、やがて地上で住む場所を求めてみんなはシェルターを出て行った。

 俺は相変わらず穴倉あなぐらに引きこもって暮らしていたが、シェルター内の物資がとぼしくなって来ていた。まあ二年近くこもってたしな。それで物資の補給を行おうと思って、俺はあの戦火から初めてシェルターの外へ出た。

 シェルターの隔壁かくへきを開き、地上へのふたを押し上げて最初に目にしたのは、ことごとく破壊され尽くし、荒れ果てた街の残骸や瓦礫の山だった。シェルターは公民館の地下につくられていたんだが、建物自体はすっかり消し飛ばされていた。蓋の周りの瓦礫はここに出入りしていた大人たちが除去していったんだろうな。

 穴から這い出て、立ち上がって周囲を見回した。辺りは見渡す限り瓦礫の山だった。まあ、お前には見慣れた風景かも知れないが……あのときの俺は目の前の事実に衝撃を受け、しばらく動けずにいた。

 公民館の前はキレイに舗装ほそうされていた大通りだったが、道路はあちこち穴だらけでめくれ上がっていて、瓦礫の山との区別がつかなくなっていた。公民館の跡の一角にキレイに瓦礫が除去された区画があって、そこには鉄骨や木の枝が何本も地面に突き刺さっていた。多分大人たちが亡くなった人たちを埋葬したお墓だとわかった。

 大人たちが嘆いていた理由を体感した俺は、気づいたら公民館から自宅までの方向を思い出しながら走り出していた。

 道とは呼べない、かつて道だったところに遺体が見当たらないので、外へ出た大人たちが目につかないよう埋葬したんだと思う。しかし瓦礫の山の隙間を覗き見ると、柱や瓦礫に埋もれた遺体らしき骨のようなものが目に入ることがあった。瓦礫ばかりなので方向感覚がおかしくなっていて、時折ときおり道を間違えたが、俺は自宅のあった場所へ辿り着いた。


 自宅も他の建物と同様に瓦礫と残骸で埋め尽くされていた。二階部分は跡形もなく吹き飛んでいて、一階の壁や床も基部を残してほとんど破壊されていた。家具や収納棚やテーブルや電化製品……家にあったものは壊され、家の残骸に混じってその痕跡を見分けることすら難しかった。

 俺は瓦礫をかき分け、乗り越えて弟が横になっていた部屋の場所へと向かった。


 何故探すのか、自分でもわからなかった。

 見つけたいとも思ってなかった。

 そこにいて欲しくなかった。

 でも、探してた。


 それで、見つけちまったんだ。


 潰れたベッドの破片にまぎれて恐らく腕の骨のようなものを見つけた。破片や家壁の残骸をどかして行くと、見覚えのあるガートル台らしき金属の棒を見つけた。


 弟はここで死んだ。


 そりゃ当然だよな。俺が見捨てて逃げたんだから。その事実を受け止め切れなかった俺は狂ったように弟の痕跡を探して、瓦礫をどかした。指がり切れて、瓦礫やガラスの破片で腕や頬に血がしたたった。痛みに勢いががれたが、これはむくいだと思い直して、俺はさらに勢いを加えて瓦礫をつかみ、放り投げ……残骸を掴み、放り投げ……を繰り返した。


 そして、弟の小さな頭蓋骨ずがいこつの上半分を見つけた時には、俺は今までに出したこともない声を上げて泣き、骨にすがって謝罪の言葉を繰り返したよ。俺は、取り返しのつかないことをした。


 だが、シェルターに連れて行ったとしても、弟は長くは生きられなかっただろうと今では思うこともある。病院は吹っ飛ばされたしシェルターには必要最低限の医薬品や生活用品、自衛装備しかなく、弟が生きるために必要な薬はなかったからだ。ただ、これは俺の都合のいい弁解に過ぎない。全てをぶっ壊した戦争を憎んでみたが、それも逃避だ。

 連れて行こうとしなかった、逃げ出した俺と、生命いのちを落とした弟がそこにいた」


 そこまで話すと、男は目頭を押さえて項垂うなだれた。少年は、男が自分の弟の死にむせび泣く姿を思い浮かべ、そしてその姿が自分と重なるような印象を受けていた。

 恐らく、男は自分が何者かを薄々勘づいて話を切り出したに違いない……と、何処かで冷めた思考が頭の片隅にあったものの、男と自分の重なる弟への想いは偽りない共感が確かに存在し、少年は自分の弟のことを思い出していた。

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