第九話 夜明け

 翌朝、男は犬の餌を用意しながら自分たちの朝食を用意し始めている。餌にありついた犬は嬉しさを示す吠え声を上げ、少年はそれに驚いて飛び起きた。

 少年が起きたことに気づき、男は台所から少年に声をかける。


「起きたか、驚かせてすまないな」


「う、うん。でも泊めてくれて助かったよ」


 少年は居間のソファに寝かされていた。ソファとは言ってもバネやクッションもなく、骨組み程度しか残っていないが、ウェスのような布切れやスポンジのような塊が座面や背もたれに押し込まれており、意外にも柔らかく、岩に寝そべるのとは雲泥の差だった。

 ソファの裏側の壁は一面棚になっていて、ジャンク品のようなものが詰まったカゴや木箱が収められていた。親方のジャンク屋にはない、几帳面きちょうめんに整然と並ぶ様子はとても廃品には見えず、少年の目には奇異きいに映った。

 居間と繋がる台所には男と犬がいる。ソファの対面は木のテーブルを挟んで大きなガラス窓が付いていた。窓からは朝陽あさひが差し込まず部屋の中は薄暗い。窓の外には深い森が見える。この小屋が森の奥深くにあることを如実に表していた。少年は目をらしても森林の終わりが想像できない。


 台所の入口と対面する壁にはのこぎりやバール、レンチなど見知った工具に加え、見たこともない工具類が吊るされていた。その下側には樽と木板で作られた作業台とおぼしきテーブルが置いてあり、その上には何らかの部品やこれまた見たことのない工具類が置かれている。

 男は少年の方へ振り向き、たずねた。


「食後はコーヒー派か? 紅茶派か?」


「へ? こーひー? こうちゃ?」


 少年が初めて聞く単語だった。


「飲み物だよ。ココアがあればよかったんだが、中々手に入らんからな」


「水以外の飲み物なんて、スープやシチューくらいしか知らない。後は親方が飲むお酒? ってのがあるのは知ってる」


 少年の返答内容に男は眉間にしわを寄せる。この時代では物資の不足はどこでも一緒だったが、それでも旧時代の嗜好品しこうひんを知らない集落の生活の一片を知り、男の胸中は複雑だった。


「あ、ああ、悪い」


 何ともバツの悪くなった男の様子を見て、少年は自分の知識の少なさが男を困惑させていることを理解した。


「僕は住んでる集落以外の他の集落がどうなってるかのか、どういう風に暮らしているのか知らなくて、想像もつかないんだ。その……それであんたを困らせてるんだったら、ごめんなさい」


「お前が謝ることじゃない。お互い住んでる環境が違うせいだ。まあ、砂糖は多めに入れといてやるから後で飲んでみるといい」


 男はソファの前にパンとスープを並べ、少年に食べるように促した。簡素な食事だったが、少年にはとても贅沢ぜいたくな朝食だった。

 食事が終わり、少年は初めてコーヒーを口にし、その苦味に顔をしかめる。男が少年のカップに砂糖を入れ、かき混ぜてやった。恐る恐るカップに口をつける少年の様子を見て、男は笑みを浮かべる。少年は目をギュッとつむり、勢いをつけて一口すすった。


「あ、あんまり苦くなくなった。凄いね」


 その後、少年と男は他愛のない話しを交わしながらお互いを少しずつ知って行った。そして少年が何故この樹海へ入り込むことになったのか、集落を出て隣街へ向かっていた目的を話し始めた。少年は大体のあらましを一気にまくし立てて話したが、男はそれをさえぎることはせず、少年が話し終えるまで男は静かに、時にうなずき、少年の話を黙って聞いていた。


 少年の話がひと段落する頃を見計らって、男は話し始めた。


「そうか、辛い思いをしたんだな……よく我慢したし、そして、よく決断して、生き延びた。お前の行動を善悪……良いとか悪いとかそういうことで責め立てる権利は誰にもない。俺もそうだ……」


 少年はこうして子供の自分の話を真摯しんしに受け止めて、聞いてくれる大人に出逢ったことはなかった。親方は厳しくて、でも心根は優しいことは知っていたが、この男ほど少年の話に耳を傾けてはくれなかった。

 男が、再び口を開く。


「そうだな。お前の事情や状況、そいつは一旦置いといてもらって……俺の話しも聞いてくれないか?」


 少年は男の顔を見た。子供相手なのに、とても真剣で真面目な表情をしている。その表情に、少しばかり顔をこわばらせつつも、少年は頷いた。

 男は何かを思い出すようにふっと目を閉じ、しばらくして目を開き、自身の前にあるカップを見つめて話しを始めた。

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