第八話 樹海

 賊徒が追撃して来るかも知れないという恐怖が、少年を森の奥へと進ませた。徐々に賊徒たちの怒声と銃撃音が遠くに去って行き、小一時間ほど経つと耳に届かなくなっていた。

 賊徒とドローンの思わぬ遭遇の隙を突いて、どうにか逃げ延びることができたものの、すぐに森から出る気にはなれなかった。というか、陽の光が入らないため薄暗い上に、どこを見ても同じ景色にしか思えず、どの方向へ向かえば森から出られるのかわからなくなっていた。唯一手元に残ったコンパスも、針がぐるぐる回っているだけで方角がわからない。

 腰を落ち着けて休んでしまうと動けなくなりそうだったので、まずは飲み水と食べられそうなものを探して森の中を歩き出す。地面は土ではなく岩石質で意外に硬かったが、縦横に巡らされた木の根や苔類に足を取られ何度も転んでしまった。

 陽が傾いて来たのか、元々薄暗い森がさらに暗さを増して行く。水場や食べられそうなものは見つけられていないため、体力を失うとわかっていても、その焦りが歩く速度を早める。


 幾度目いくどめかわからない転倒で、少年は立ち上がる気力をくじかれ、そのまま地面に大の字になって寝転び、目を閉じる。体力はとっくに限界を越えていた。


 かすかに獣のうなり声が聞こえたような気がした少年は反射的に身を起こすが、力を保っていられない。よろよろと手近な樹木にもたれかかり、そのまま根元にへたり込む。

 野犬にぎつけられたのか、吠え声の後に獣の息遣いが近づいて来るのを知覚して、少年の意識は現実に引き戻された。死を意識した少年は立ち上がろうとして膝に力を入れようとするが、身体のあちこちが痛み、全身がガクガクと震えるばかりで立ち上がることができない。

 すっかり精根せいこんが尽き果て、少年はそのまま意識を失った。



 少年は薄ぼんやりとした光の差す小屋の中で目を覚ました。少年は自分が死んだかと錯覚したが、そうではなかった。その傍らには、初老くらいの男が座って少年の様子を見ていた。男のすぐそばには犬が大人しく丸くなっている。

 目を覚ました少年に気づき、男が話しかけて来た。


「ロクな装備も持たず、あんなところで倒れてるとはな。こいつが見つけてくれなきゃ、お前、今頃死んでたぞ」


 男が言うには、見回りに出ていた時に犬が少年を見つけたと言う。男は、集落ではなく、この森の奥の小屋で犬と暮らしていた。


「助けてくれてありがとう。隣街へ向かう途中で賊徒に見つかって……ヤツらから逃げてるうちに、今度はドローンまで接近して来たんだ。だからドローンを賊徒に押しつけてやったって訳。でも、逃げてる間に崖から落ちたりして地図端末やジャミングユニットとか、水も食糧も失くしちゃったんだ。逃げるとこがなくなったので、仕方なく森に入って……もうダメかなって思って、気がつくとここで目が覚めてた」


「ははは、そりゃ災難だったな。お前、この森が危険地帯だって知らなかったのか?」


「危険地帯?」


「ここら辺の森一帯は磁場がおかしくてコンパスが効かない。奥まで足を踏み入れると迷って出られなくなるってことで有名な場所だ。ま、地図端末がありゃ迷うことはないんだが、人が住むには厳しい場所だし、何より火山が近くにあって危険なんだ。最近じゃ地震も多くなってるしな。この辺の集落にいる連中はみんな知ってるはずだが」


「迷いの樹海だから、入れば賊徒は追って来ないと思ったんだ」


「なるほど、そいつはまあまあ賢明な判断だったが……詰めが甘かったな」


「……」


「ま、とりあえずこれでも食べて、しばらく休むといい」


 そう言って男はシチューらしきものを大きな器によそい、少年に手渡す。受け取った器の暖かさに、少年は危険から逃げ延びたことを実感し、賊徒に追われた恐怖を改めて痛感して器をじっと見つめて黙り込んだ。


「変なものは入ってないぞ。あ、そうか、スプーンるか」


「……どうもありがとう」


 しばらく振りの本物の豚肉と温もりある食事を口にすると、嬉しいのか悲しいのか何だか良くわからない感情が込み上げて来て、少年の視界が涙でぼやける。肉の食感とあふれる旨味が一口、また一口と食を進め、器はあっという間に空になった。


「おかわり? 要るか?」


「いえ、もうお腹いっぱい」


「そうか。ならゆっくり寝ろ。ここなら誰にも襲われたりしないからな」


 男はぶっきらぼうな話し方ではあったが、少年を詮索せんさくしたり詰問きつもんしようとする様子がない。その姿はどこか安心感があり、奇妙な懐かしさを感じていた。

 少年は男から渡された毛布を頭からかぶって目をつむる。空腹が満たされた満足感と、一日中走り回った疲労によって、すぐに眠りについた。

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