第十二話「陽が沈む頃に」2/2
「う・・・ううう」
ずっと意識を失っていたのだろうか、ぼんやりした意識のまま目が覚めた。身体を動かそうとするが身動きが取れない、目を開けると見たことのない場所で背筋が凍り付いた。
だだっ広いだけで目立った家具も置かれていない、まるで建設中のビルの1フロア・・・、いや、これは違う・・・、ところどころコンクリートが剥がれていて、もう使われていない解体前のビルの1フロアのようだ。
椅子に座らされ、どうやら今、あたしは縄で身体を拘束されている。
いつから眠らされていたのか分からないが、徐々に事態の深刻さを理解し始めて否応にも意識が目覚めてきた。
どうにか縄をほどけないかと必死にもがいてみるがまったく身動きができず、簡単にはほどけそうにない。縄がきつく締められているせいか、動くと余計に苦しかった。
「ようやくお目覚めか」
低い男の声が聞こえた、視線を動かすと黒いフードを被った170センチくらいの身長の男が立っていた。
「あなたは・・・」
薄暗い部屋の中で必死に目をこらして男のことを凝視する。輪郭やシルエット、姿勢、そして特徴的な黒い服装とフード、記憶の中で忘れていたことがぼんやりとしたところから徐々にはっきりと浮かび上がる。
どうしてずっと忘れていたんだろう・・・、自分の中で勝手に忘れようとしていたのか? それとも”目撃してしまった”ものを恐怖心から遠ざけていたのか、確かにこの男には見覚えがあった。
「あなたがこんなことをしたんですか」
「思い出したか?俺のことを」
「はい、でも、そんなことは今はどうでもいいです。今すぐあたしを解放して! こんなことしたって何の意味もないでしょ! あなたのしていることは犯罪よ、愚かなことは今すぐやめなさい!!」
あたしはヘラヘラと笑う男に向かって強気に言い放った。しかしあたしの言葉に男はまったく表情一つ変えることはなかった。
「確かにお前が警察にしゃべったところでそれが今更どうなることでもない。お前が見た光景は”事が済んだ後だからな”、あの時俺は逃げようとしたお前を薬で眠らせただけだ」
「それも十分許されることじゃないわよ」
「威勢はいいようだな、だが、今回の目的は別にあるのでな。すぐに殺したりはしないさ、せいぜい夜の夜会を楽しませてもらうぜ」
「あたしを一体どうするつもりなの・・・」
あたしは身構えた、男の目的はまだわからない。こんなところまでわざわざ連れて来て身体を拘束するなんて。ここであたしを暴行するつもりなのか、それとも別の目的があるのか。
問題はこのフロアが密閉されていること、声は響くが、おそらくもう使われていないであろうこのフロアで大きな声を上げても誰にも届かないだろう。
両手がふさがって外と連絡する手段もない、諦めようにも諦めきれないが、打ち手がないのが現実だ。
「ある人物を呼んだ、お前のよく知っている人物だ。誘拐したと知ればここにやってくると踏んでな」
「何を言ってるの・・・、そんな小細工をしたってすぐに警察が来て捕まるだけよ!」
時間が経てば誰かが通報してくれて、助けてくれる。強気な言葉とは裏腹にそんなに都合よく行かないことも分かっている。
でも今はこの男に弱気な所は見せられない、気持ちで負けてしまっては相手の思うつぼだ。
心臓の鼓動の早さは抑えられないけど、今はなんとか平静を保って、冷静にチャンスをうかがわないといけない。
「そんな虚勢を張っていられるのも今の内だぜ。お前のことをこの場で殺すのはたやすいんだからな」
その手にはナイフを握り鋭い眼光で睨みつけてくる。
恐ろしいほどの威嚇に思わず心が折れそうになる。でも負けられない、生きている限り諦めてはいけない。
「進藤ちづる、お前のクラスメイトだったよな。そして麻生一家三人を殺した進藤礼二の一人娘でもある。お前があの日、”麻生家”で見た男だ。
お前はそれにも気づいていたはずだ、偶然とは恐ろしいものだな、殺す理由がいっぱいで心置きなく俺もやれるぜ。
娘には一人でここに来るように伝えている。来なければ佐伯裕子の命はないとな。
はっはっは!
命が惜しけりゃせいぜい娘が来るのをお祈りしてるんだな!!」
男が饒舌に語るのをじっと耐えながら聞いた。とんでもない男だ、絶対に許さない、この男だけは絶対に。
「ちづるは来ないわよ、待っていたって来るのは警察よ、こんなこと許されないわよ、早く自分の行いを悔い改めて帰りなさい」
「そうかい、随分な自信だな、残念だが最初から誰にも許してもらうつもりはねぇよ、俺は指示された通り仕事をこなすだけだ、なぁ、怖くないのか? こんな風にナイフを突きつけられたことなんてないだろう?」
そういって男は私の首にナイフを突きつける。恐ろしい形相の男にナイフを突きつけられ、チクチクと皮膚が痛む。首を動かすこともできず、完全に身動きが取れない。
「平気よ、ちづるは来ないわ」
あたしは震えそうになる声をなんとか抑え込んで、虚勢を張った。
「いいやきっと来る、あいつはそういう奴だ」
根拠を持った強い言葉で男は言ってのけた。
「いいえ、来るわけない、来るわけがないんだから・・・」
「そうかい、まぁいい、待っている間にせっかくだから、本当の話を聞かせてやる」
あたしはちづるの心を傷つけた。あの時、本当はあそこまで言うつもりはなかった、感情に任せて言ってしまった。
本当にもっと話し合えればよかった、言い合いなんかやって、あんなに気まずい気持ちになるくらいなら。
あたしはただ、ちづると一緒にいたい、ただそれだけのはずだったのに・・・、あたしが全部壊してしまった。一度やってしまったらどう話しかければいいのかわからない、自分が許せなくてこの場で泣いてしまいそうになる。
あたしは秋葉君とちづるとの関係を不純なものだと判断して二人を会わせないようにした、秋葉君は私の言葉に簡単に従ってちづると関わるのを辞めた。でも、そのせいでちづるの心は傷ついて、あたしのしたことに納得できないちづると仲違いになって話せなくなってしまった。
今更どう修復すればいいのかわからない、どう謝ればいいのかわからない、素直になれない自分がたまらないくらい嫌いになった。こんな気持ちを抱えたまま死んでいくのだろうか、後悔を抱えたままここで・・・。
でもちづるがあたしの代わりに犠牲になるよりはずっとマシだ、これは報いなのだ、あたしが口を挟むようなことじゃなかったんだ。
「(どうかちづる・・・、あたしの事なんかいいから、ここには来ないで・・・)」
あたしは罪の意識に苛まれながら願った。
心の中で落ち込むあたしをよそに、男はあたしの耳元で呟いた。
「今の進藤ちづるは別の人間と中身が入れ替わっている」
一瞬何を言ったのかわからなかった。しかし頭の中で同じ言葉を反芻して少しずつその言葉の意味が分かり始めた。
「何を言ってるの?」
まるでおとぎ話のような発言をあたしは突き放した。しかし相手の男はまるで動じる様子はなかった。
「進藤ちづるは手術の際にそういう力を得た、副作用と言ってもいい。手術を成功させるために特別な処置が必要だった、本来助からないような状態だったからな。そしてその力を使い進藤ちづるは行きずりの相手に自分の身体を譲った」
「そんなことしんじられるわけないでしょ」
「俺だって最初は半信半疑だったさ。でもな、あれは違う、あの行動力は本来の進藤ちづるからは出てこないものだ。
お前は昔から知っていて仲が良いのだから異変に気付いているのではないか? 別人のような違和感があったはずだ。
お前は今まで自分を誤魔化してきたのではないか? 事故のせいにして、記憶喪失のせいして、騙されていることに気付かずに」
「そんなの妄想よ、ちづるはちづるなんだから」
あたしは怖かったのかもしれない、ちづるが変わってしまうのが。
自分の知っているちづるがいなくなって、誰かのものになってしまうのが。
本当にこいつの言うことが真実だとしたら・・・、そう考え始めるとあたしは頭の中がめちゃくちゃになって訳が分からなくなった。
「お前は本来の昔の頃の進藤ちづるを取り戻そうとするのに必死だった。だがそれは叶わない、だって別の人間なんだからな、どれだけ教えられようと、記憶にないものになることはできない。なぁ、身に覚えがあるだろう?」
やめて・・・、そんなこと聞きたくない、聞きたくない!! あたしのちづるを奪わないで、あたしの中から奪わないで!!!
「もう何も考えたくない・・・、やめて、ちづる、どうか来ないで、あたしのためになんて来なくていいから・・・、自分を大切にして・・・」
もうあたしの心はもう壊れていた。男は何も言わず、ただ満足げな表情を浮かべていた。
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