閑話 普通になれなかった子供


 エリクが生まれた日は雨が降っていた。相当な雨。うんざりするほどベタついた空気の中。私は激しい痛みに汗をかき、必死に耐えてあの子を産んだ。


 私と夫にあまり似てないなと思った。パーツ一つ一つは良く似ているのに、なぜか。似ていないと思った。


 だけど夫は気付いてないみたいで普通に抱き上げ普通に名前をつけた。エリク。私と夫の大切な大切な子。


 初めて立った日。小さな手を私に伸ばして、まぁまとよんでくれた。舌っ足らずで呼ぶ仕草は愛らしく抱きしめていれば違和感なんてなかったのだと思えた。


 だけどしっかりと歩ける四歳頃には違和感が強くなっていた。


 外であまり遊ばない子だなとは思っていた。連れ出せば嫌がらずについてくる。だけれど好きにしていいと言うと部屋にこもると近所の大工に貰った木片で意味のわからないものを作っていることが多かった。


 五歳頃にはキアちゃんと仲良くなり少しづつ外に出ることは増えたけど、六歳の誕生日にお願いされたのは、平民にとって高価な本だった。


 今後プレゼントもお祝いも要らないから。本が欲しいというエリク。仕方なく夫と狩の時に役立つように植物の図鑑にしようと大枚はたいて与えると、心底喜び、こもった時にすることが図鑑を見ることに変わった。


 何度も何度も、もう見たはずなのに見返して、飽きる様子もない。そんな様子に危惧した夫がエリクを連れて狩りに出れば、エリクは夫よりも獲物を狩ることが出来た。


 知らぬ間に流れ者の神官様に勉強を見てもらったり、言動が大人びていたり、他の子は泥んこになり遊び回るのにうちの子はそれを見ることも無くひたすら本を見ていた。


「うちの子は取り替えられたのかもしれない」

「…そんな事言わないで」

「だって考えてみろ…産まれた時も時期も問題ないのに、あんなにも俺達と違うじゃないか」


 どれだけキアちゃんが引っ張り出して遊び回っても、どれだけ夫が狩りに連れて行っても、細く筋肉がつきにくく。食事も美味しいという感情があまり無いのか、好きなものを聞いても特にない。


 神官様に、浮世離れしているが、頭のいい子と言われた時は誇らしかった。


 だけどキアちゃんが死んでしまったと聞いた時にすらエリクには動揺が見えず。更にはキアは死んでないと言い、どこかを見て話しているのを見かけた。



 …エリクが怖かった。確かに自分の手で育てたはずなのに、自分の子だと思えなくて。取り替えられ子は昔から時々生まれるという。精霊がうちの子とよその子を取り替える御伽噺。


 二人目の妊娠がわかった時、夫は私を抱きしめて、ただただ謝罪した。

 それを否定する言葉も生まれぬほど、私もあの子が怖かった。



 十四になったら家を出る様にと言えばエリクは怒ることもせず少し呆れたように受け入れた。それすらも怖くて仕方なくて。


 あの子は私達が捨てるとわかったら家に居る時間がめっきりと減った。キアちゃんももう居ないから、村にあの子を気にかける人もいなくて、少し後をつけた時、森に入って行くのが確認できた。


 危ないという権利すら私には無いのだから、そのままにしておけば、ケロリと何事もなく家に帰ってきて、それが毎日。

 森に通い、怪我もなく帰ってくる。危険なはずの森はあの子にとって危険では無いのだと。不気味さがました。



 それが数ヶ月たった頃。

 朝ごはんをとる時間に大荷物を背負い、私達に今日出ていくと口にした。


 まだ十二歳。十四でも早いのに。


「ま、まて、流石にそれは!」

「どちらにしろ、出てくんだし、早い方がいいでしょ?」


 夫が焦って止めるのを私はぼうと見つめることしか出来なかった。いつから決めていたのだろう。


 私達があの子を突き放した日だろうか。

 森に通い始めた日だろうか。


 それとももっと前から出てくことを決めていたのか。


「エリク?」


 遠くなる背中に声をかけても振り返らない。随分と久しぶりに口にしたあの子の名前。捨てたのは私達だ。


 自分の子なのに怖がって。自分の子なのに信じれなくて。


 自分の子なのに、捨てたの。


 なのにどうして私達が捨てられた様な気がするのだろう。


 要らないものを捨ててしまったのか、無情にもあの子の部屋は空っぽで。最後に私たちに向けた言葉がずっと忘れられない。


「普通に生きれなくて、貴方達の愛に応えられなくて、ごめんなさい」


 何度も何度も聞こえる。まるで責めるみたいに。少しも言葉は責めてなかったのに。自分が悪かったのだと悲しげにしていたのに。


 唯一残されたベッドに腰掛けてお腹を撫でる。随分と大きくなったお腹の子の性別はどちらかは分からない。せめて、生まれる時まで居てくれれば良かった。


 もしかしたら守るものが出来れば変わるかもと本当に少しだけ思いもしていた。だけどあの子に出ていくように告げた時から本当にもう終わってしまっていたのかもしれない。



 私たちは天才なんて要らなかった。だって持て余すだけだから、普通の、平凡な子でよかった。


 だけど、あの子は今のお腹の中の子のように私の中で育った子に違いなかった。なら取り換えられたとしても私の子だったはずなのに。


 エリク。いい子すぎるほどいい子だった。


「ごめんなさいというのは私達なのに…」


 あの賢いエリクならこの気持ちもこの涙が止まらない理由もわかったのだろうか。


 もう、遅いけれど。


 

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