第3話 森の泉


 目が覚めたら外が随分と明るくなっていた。ぼんやりとした頭でごろりと寝返りを打つとキアもどきが僕の頬を何度も叩く。寝坊したことを咎めているのだろう。


 こっちの事情なんぞお構い無しという様子が実に“キアらしいキアもどき”だ。


 キアもどきのデコを指で軽くはじいて衝撃に困惑して固まったキアもどきをいつも通り胸ポケットに放り込む。


 歌っていた癖に、まだ話す気は無いのか、それとも言葉を話せないのか。どちらかはこの際どうでもいい。


 時間は有限である。今僕は十二。十三になる頃には弟だか妹だかは産まれるだろう。“十四になったら”が誕生日が来たその日かもしれない。そう考えれば二年も無い。ましてや頭が回るとは言えない僕の両親はもっと前に出ていって欲しいと言うかもしれない、それこそ異分子を排除しようとする他の村の人によって考えを改めて。


「とりあえず、森に行こう」

「…」

 キアもどきは相変わらず無言だったが森の方であろう場所へ指をさして空いている手で僕の襟を引っ張る。襟が伸びるのでやめて欲しい…と思ったがどうせこの服も長く着ようとしなくていいのだと考えれば、すぐにどうでも良くなった。


 森の中は静かだ。何度か父さんに連れられて狩りに来たことがあった。罠のやり方など教えて貰えたが、その…父は狩りが得意では無いようで、畑を耕すのに向いた男であるとだけいえる。


 それでも知識は知識なので狩のやり方を思い出しながら森の奥へ足を進める。確か泉があるのだと聞いたことがあった。


 水は特別なものだ。生きる為には必ず必要で、失うと死んでしまう。だからなのか神殿には必ずと言っていいほど泉があり、その澄み具合がその土地が穢れてないかどうかの目安とされている。


 獣道を辿り時折罠替わりに穴を掘りながら森の奥に進むとキアもどきがくいっとまた襟を引っ張る。そちらへ視線を向けると……光がキラキラと見える。水面に反射した太陽の光なのだろう。それに向かってみれば案の定。


 キアもどきも役に立つことがあるらしい。別のポッケに入れていた干した木の実を与えるとちまちま食べ始めた。なんだかこういう動物居たよなぁと思いつつ、胸ポケットからキアもどきが落ちないように押さえて泉を覗き込む。


「……わからん」


 僕だってまだ十二の子供だ。泉の澄み具合なんて分からない。とりあえず濁ってないし、飲めそうではある。流れの神官様の話によれば水で人の本質を見ることができるらしい。ただ澄んだ水でないとだめだとも言っていた。


 流石にやり方は教えてくれなかった。それらしい事は話していたけど。


「その時が来ればわかる…かぁ」


 見たことは無いけど魔法というものが都会にはあるらしい。王都とか。大きな街で王様が住む城がある場所。


 流れの神官様は水を司る神の信者だから、運良く土を司る神官様とか来てくれないだろうか。水よりも分かりやすくしてくれると助かるんだけど。


 ちゃぷちゃぷと遊ぶように手で少し水面を叩いてみる…不意に、覗き込んだ水の中の何かと目が合った。

 確実に。目らしい目ではなかったけど。多分目だった。


 尻もちをついて座り込み、唖然と静かに光を纏う泉を見る。不思議そうなキアもどきが見上げてくるが、それどころじゃなかった。



「あれは…なんの生き物の…」


 恐る恐る引け腰になりつつ、また泉を覗き込む。もう目が合うことなく、何の変哲もない水があるだけだ。


 なんだか幻を見た気分になるが、僕はあれは確実に何か存在していたのだと確信できる。何せあまりにもよく出来ていて、幻というのは人の記憶の中にあるものしか表せない。それが例え滅茶苦茶に継ぎ合わせたものだとしても、個々は見たことあるはずで…。


 だがどう表現すればいいのだろう。目ではあっても目ではなく。そう、言いまとめると、あれは水だったのだ。


 うねるような水の流れが大きな瞳となってそこにいて、覗き込む僕の事を水の中の存在も覗き込んでいた…という感覚が正しい気がする。


 あまりに大きな瞳。揺らぐことなくこちらを見る強い意志。


 僕は、この村から旅立つまで、泉に通う事を決めた。誰かに言われた訳ではなく、泉の中の存在はもしかしたら僕に来て欲しくないかもしれないけれど。


 僕がそうしたくてそうする。キアの自分勝手さがいつの間にか移ってしまったのかも…、あるいは、僕もまた未知なものに心動く、他の子と同じだったのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る