第21話 ダメだった…
スーパー“太陽”へ向かう帰り道で自分はあることに気づいてしまった。
それはちょっと前に店長が『田舎は閉鎖的で噂が広まるのが早い、悪い噂も良い噂も』という言葉だ。
商店街の端を陣取っているお話好きな主婦二人が小声で会話をしているのが聞こえた。まるで後ろめたいことで話すかのように声を潜め、周囲にたまにチラチラと視線を向けている。
自分は耳がいいから多少の声で話をされても内容を聞き取ることができる。以前のようにスマホを見るふりをしてゆっくりと歩きながら、ヒロキは耳をすませた。
「そういえばスーパーの店長さん、また何か騒ぎがあったらしいですね」
「またですか、あの人は昔からなんだかんだと騒ぎを起こしますよね。お人柄はとてもいいのに」
「そうゆう運命なんじゃないですか。だってお父さんのこともありますしね、色々、本当に不憫なお人ですよ」
お父さん……その単語がとても引っかかる。
店長のお父さん。
そういえば少し前に店長の話を聞いた時「親父はいない」と言っていた気がする。離婚したか、すでに他界してしまったのか思い、詳しくは話を聞かなかったが、そうではないんだろうか。
「あの子が悪いんじゃないんでしょうけどね、ご両親のこともあるから本当にかわいそうでしたわね」
「でもあの子がおじいちゃん、おばあちゃんのお店を継ぐなんて思いませんでしたね。問題を起こしてすぐに閉店するかと思ってしまいましたけど頑張ってますからね」
「でもいつまた騒ぎを起こすかと思うと怖いですよ……一度起こしたことってまた起こす可能性も高いでしょうし」
会話を欠かさずに聞いていたが、自分が足を進めたことで会話はそこで終わった。
これ以上聞いても心がもやもやするだけだと思った。噂なんか気にしてはダメだ、店長から直接聞いた方がいい。それが事実だとしても事情をしっかり本人から聞くのと、他人から流れてきた話を聞くのとでは受け止める気持ちの重さが違うから。
店に戻ると店長は「おかえりー」といつもと変わらない笑顔で出迎えてくれた。
その笑顔に心安らぐ一方、店長の過去には『一体何があったのか』という疑問が心の中でせめぎ合っている。
とりあえず今は仕事がある。まだお客さんもいるから作業を進め、明るく接客をしていかなくては、と仕事に専念した。
そうこうしているうちに、いつしか訪れた夜の時間。店長とともに閉店の後片付けをして、ともに家路につき、ヒデアキからもらったお弁当――今日は生姜焼き弁当をいつものようにおいしくいただいてから。
リビングにあるガラステーブルの前に横並びに座り、テレビを見ながらヒロキは問いかけた。
「……あの、店長。店長のこと、聞いてもいいですか?」
その質問がくることは予想済みだったのだろう。隣に座る店長は少し間を置いてから「いいよ」と言った。
……いいんだ。
質問していいのか、たずねた自分が動揺してしまったが、今日のことを聞く前にまず己のことをちゃんと話しておこうとヒロキは心の中で大きくうなずく。まずは僕から話さなきゃ。
自分は父から斡旋された民間の警備会社に勤めていた。自分で言うのもなんだが実力はなかなのもので責任者という、しっかりとした立場を任されていたのだ。
けれどある時の依頼で、自分は警護対象となった人物を守れないというミスを犯した。警護対象者は命までは取られなかったにせよ、仕事に関わる大きな深手を追ってしまい、彼は表舞台から姿を消すことになってしまった。
しかしその事実は世間には知れ渡ってはいない。それは父が隠蔽したから、父が己の立場を利用して裏工作をしたからだ。
それをきっかけに自分は父に用意された人生が嫌になり、この美月町に逃げてきた。何をやりたいとか、なんの目的もなかった。
けど初めてやりたいと思ったのがこの店長と共に、このスーパーで仕事をしていきたいということだ。
やりがいがあるし、誰かと触れ合うことができた時、いつも心があたたかくなるのだ。
足の不自由な高齢者の家に行った時は「ありがとう」と言ってくれると自分を必要としてくれるのが感じられて嬉しくなった。
そういう必要とされることを続けていきたいなと思った。
だがすんなりと思うようには進めそうにはない。父がタカヒロを使って自分を連れ戻そうとしているからだ。
しかし自分はそれに屈したくはない。なんとかタカヒロを説得して事態を収拾しようと思っている。ダメだと言われても今度はこちらから絶対に打ちのめしてやる。
自分のことは、そんなところだ。
話し終えると店長は「ヒロキくん、ケガだけはしないでね」と心配そうに笑った。
どんな障害があったって大丈夫だ。タカヒロにボコボコにやられても、それでも店長が好きだから。今の自分の気持ちはまっすぐだから……この気持ちは内緒だけれど。
「でもヒロキくんがそこまでこうして俺と仕事をしたいと思ってくれているのって、すごく嬉しいよ……ありがとう、ヒロキくん、これからもよろしくね」
よろしく、これからも。店長のつぶやくその言葉は未来を約束してくれているようで、飛び跳ねたいぐらい嬉しくなった。店長だってあんなひどい目にあったのに。店長は、なんでこんなにも優しいんだろう。
好きでもない自分のことを、なぜこんなにも受け入れてくれるのだろう……なぜ、店長?
嬉しさとさびしさの板挟みになったような心境で口をつぐんでいると、店長がふぅっと深呼吸をした。
上がった肩が吐く息とともにゆっくりと降りていく。店長は目を閉じると、穏やかに笑う。
「今度は俺のことを話そうか。俺の話を聞いて、ヒロキくんがやっぱり『元の生活に戻る』って決めても俺はヒロキくんを嫌いになったりしないから。でもヒデ以外に言うのは初めてだから、うまく話せるかな」
「大丈夫です、静かに聞いてますから。店長の思いつく言葉で、しゃべってみてください」
店長は「わかった」と言うと、また少しの間黙ってしまった。
その間、ヒロキは小さい音量で流れているテレビの画面を見つめた。ニュースがやってはいるが
店長の方に耳が向いているから、全くニュースの内容は頭に入ってこない。画面で文字だけを目で追うと『春が近づいている』という季節の情報はやっていた。
寒い冬が終わり、次は春。あたたかい時期がもうすぐ来るんだ。
僕はその時、どこに向かえるのかな。
「……俺は今でもダメだけど昔はもっとダメなやつだったんだ。何がダメって、意気地がなくって泣き虫で。何をやってもうまくいかなくて親父にもよく怒られていた。けど性格だからそんなすぐに立ち直るっていうわけにはいかないんだよね。小学校の頃はなんとかなったけど、中学になったら色々余計に考えるようになっちゃってさ。そんなことばかり考えて、自分はダメな存在で生きている価値がないとかヤケになっちゃってね」
ヒロキは黙って唇を噛みしめる。
そんなことはないと思う、その笑顔でどれだけの人が救われたことだろう、自分もだけど。
だから全然ダメなんかじゃないのに。
力いっぱい否定をしたいが今は黙って店長の言葉を待つことにした。
「俺がまずやったのは中学の頃……自殺未遂。くだらないことなんだけど悩んでるうちに自分がよくわからなくなっちゃって、世の中に自分なんかいらないと思うようになって、知らずに足が動いていて、遮断機が降りている踏切に歩き出していたんだ……線路のそばでカンカン音が鳴っているのに全然気にしていなくて」
ただ心の苦しみを抱えたまま、線路の真ん中に立って呆然としていた。そばにいた人たちが何か叫んだり、止まっていた車がクラクションを鳴らしていたり、周囲がガチャガチャとうるさかった……と店長は言った。
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