第14話 店長について

 その質問には、どう答えたらいいものかと一瞬考える。ヒデアキに聞かれたこと――それは自分もいつしか考えたことだから。

 この町に小さい頃、来たことがないかなと。

 でもそれは覚えがないのだ。覚えていないだけで、もしかしたら来たことはあるのかもしれないけれど……。


 だから自分の答えは「わからない」となった。幼い記憶は曖昧で本当に覚えていないから。

 そうか、とヒデアキは言うとハンドルを握る手に少しだけ力を入れた。


「……あとお前に聞いてみたいことがあってさ、別に答えたくなかったら答えなくてもいいんだけど。お前ってさ、あいつのこと、好きだったりすんのか?」


 その質問には大きく心臓が跳ねる。あいつと言われて頭に浮かぶのは、あの人しかいない。ヒデアキの指すあいつというのも、あの人物であっているのだろう。


 好きだったり、すんのか?

 それにはなんて答えたらいいんだろう、それを正直に答えたらどうなるのだろう。

 わからないけれど、ごまかす意味もないから。

 少し間を置いてから、ヒロキは喉に力を込めて「好き、だよ」と小さく言った。


「ふーん、そっかぁ」


「うん……」


「へぇ〜……」


 ヒデアキはあっけらかんと返事をしただけで、そこから先の言葉を続けようとしなかった。その間は車の走行音と小さい音量のラジオの音だけが流れ続けた。景色に目を向けてみたがヒデアキの言葉の意味が気になってムズムズしてくる。

 たまらずこちらから「それがどうしたの」と聞いてしまった。


「あ、いやいや悪い。別にやめとけとかそういうことを言うつもりじゃねぇんだ。ただ、あいつの幼馴染としては、あいつのことをお前に少し教えといた方がいいのかなと思ってさ」


「……店長のこと?」


 それは聞いてみたいと思った。店長と出会って約二ヶ月が経つ。店長とは良好な関係を築いていけていると思っている。ルームメイトとしてもスーパーの店長と従業員としても。ボディーガードとしては、今さっきちょっと失敗してしまったけれど。店長からそこそこ信頼をされている、と自惚れにならない程度に自負はしている。


 しかしそれだけ、でもある。自分はまだまだ店長について知らないことが多い。少しずつ出身校はどこでとか店長の部活は家庭科部だったとか。

自分は進学校で勉強ばかりで、部活をやる時間は父親から与えられなかったとか。そういうのは少しずつお互いに打ち明けてはいるけれど。


 それはまだまだお互いのことを深く知るまでには至っていない。それは自分にも理由があることはわかっている。

 まだ自分だって全てを彼に打ち明けてはいないのだから。


 窓からの景色が木々や空、次々と移り変わっていく中、ヒデアキは世間話をするように言った。


「あいつさ、好きなやつがいるんだよ」


 ……えっ、という言葉だけが出たが、ヒロキは言葉を失った。頭の中で瞬時に「好きなやつ」という言葉が何度もスクロールされていく。

 好きなやつ……好きなやつ。


「あいつ、小さい頃にすごく印象的に出会ったやつがいてさ。その子のことを今でもずっと好きでいるんだよ。たった一度しか会っていないし、小さい頃だし、そんなやつのことなんか忘れていいじゃんって言ったこともあったけど。あいつにとっては自分を変えるきっかけになったと言ってもいいくらい印象的だったらしくてな。今でもずっとそいつが好きみたいなんだ」


 ヒロキは震えてしまいそうな声をゆっくり吐きながら、気持ちを落ち着かせようと窓の外に目を向ける。


 きれいな緑の世界だ、日が当たってあったかそうだ――あったかい店長の笑顔みたいだ。

 目に映る景色はあたたかいのに胸の中がちょっとだけ寒くなっていく。

 ずっとそいつが好き、という事実が自分の心に冷たい風を吹かせているようだ。


「ダサい話かもしれねぇけど。あいつ今まで誰とも付き合ったことがなくてさ。ずっとずっと、そいつのことを想ってんだよな。どこの誰かも知らねぇ、会えるかもわかんえねぇやつのことをさ。けれどお前にちょっと似てるかもしれない。だからお前が昔、この町にいたことがあるんじゃないかってさっき聞いたわけ……もしかしたらと思ったんだけどよ」


 もしかしたら。自分は店長と昔出会っていたのではないか。その可能性はゼロじゃないかもしれない、でも思い出せない、そんな前のこと……。


 けれど昔のことを一個だけ思い出したことがある、どこかで日本舞踊の披露のために訪れた場所で泣いていた少年がいた。友達にいじめられたらしくて、ちょうどそばにいたその友達を自分はテコンドー技使って思い切り蹴っ飛ばしたんだ。


『ウジウジするなよ。無理してでも笑ってるほうがいいんだよ』


 泣いている少年に自分は何の気なしにそんな言葉を放っていた。

 それと関係があるのか? でもあの少年はすごく泣き虫だった、店長みたいな笑顔なんてなかったよ。だから違うだろ、この記憶の少年と店長は関係ないだろ……?


 わからない、はっきりとわからないから、自信はない。

 けれどもしあの少年が店長だったら?

 あの時、もし出会えていたら。


 そしてもし、それが店長じゃなくて……出会えていなかったら。

 店長はその子のことがずっと好きだ。

 だから今ここにいる僕は店長のことが好きだけれど……一途な想いを抱いている店長が自分を見てくれるということはなくて。このまま何事もないままに日々は過ぎていくだけで。


 抱いたこの恋はかなわないのかもしれない。それで自分はいいのか? これ以上は望んではいないのか? 自分の本心は?


 自分は店長の――ヨウのそばにいたいな……。


 考え込んでいると、ヒデアキが「あのな」と言葉を続けた。


「あともう一つお前に伝えたいことがある」


 今度は何だろう。胸の苦しさに耐えながらヒデアキの言葉を待っていると、彼は小さくため息をついた。


「また、あいつにとっては情けない話かもしれねぇんだけどな……」


「う、うん……なに?」


 嫌な事柄だろうか。緊張する、手に汗握る。

 だがヒデアキが言ったのは緊張よりも予想外のものだった。

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