第12話 トウヤは悪いヤツ?
店長が怒っている。いつも太陽みたいにあたたかく、ニコニコしている表情しか見たことがなかったから。怒った色をした黒い瞳が胸を突かれたように印象的で、ドキッとした。
そんな店長を前にして、トウヤはふざけるように首をかしげ、鼻で笑っていた。
「アンタ、オレに勝てると思ってるの。ヒロキさんの強さを知ってるならわかってると思うけど、オレも相当に強いっすよ」
「脅されたって関係ありません。あなたは何しにここへ来たんですか、ヒロキくんと話をしに来たんじゃないですか? さっきは人通りがなかったから良かったものの、あんなところで騒いでいたら警察沙汰になってしまいますよ」
そうか、だから店長は自分とトウヤをここに連れてきたのか。
トウヤは店長の怯まない態度を見て、つまらなそうに口を引き結んでいる。彼にとっても意外だったのかもしれない。格闘に縁のない人間が怯むことなく、立ち向かってきたのだから。
「……店長、彼はトウヤって言います。僕の前の職場の後輩で悪いやつじゃないんです。トウヤ、僕は何を言われたって戻るつもりはない。僕は新しい生活を始めたんだ。このまま、ここにいたいんだ」
「でも先輩――」
さっきまで強気な態度を見せていたトウヤが急に怒られた子犬のようにシュンとしてしまった。
「だってだって、ヒロキ先輩、いきなりいなくなっちゃうんだもん。先輩が辞表出したって聞いて挨拶する間もなく、いなくなっちゃって……オレ、すごく焦って。だってオレ、先輩のことが好きなのに……」
トウヤはうなだれたまま、上目遣いでヒロキの方を見る。その姿はただ愛しい人を必死で追いかけたけれど、少しやんちゃをしてしまって怒られたという、本当に犬のようだ。
「探して追いかけて、やっと会えたのに。そしたら先輩ってば――」
トウヤは何かを言いかけて、今度は切れ長の視線をそばにいた店長に向け、細める。その様子は相手への敵視が丸わかりだ。
「先輩、オレあきらめませんから。先輩のことをあきらめませんからね!」
そう言うとトウヤは踵を返し、足早に部屋を出て行った。室内がシンと静かになる一方、その直後に店内から、にぎやかな声が聞こえてきた。
「あ、これおいしそうっ! これもおいしそう〜!」
トウヤのはしゃぐ声だ。どうやら店内にあるお惣菜か何かを見つけてテンションが上がっているらしい。トウヤはおいしいものが大好きなのだ。
「おばちゃん、これとー、これとこれ! お願いしまーす!」
パートのおばちゃんキクさんの「はいよー」という声が響く。どうやら何かを買ってスーパーの売り上げに貢献してくれたらしい。殺伐とした態度から一転、食いしん坊なトウヤの一面に思わず笑ってしまう。
(……全くもう、あいつは)
気が抜けたせいか、足の痛みもあって身体のバランスが崩れた。
ガクッとなった身体を支えてくれたのは慌てて手を差し伸べてくれた店長だった。
「だ、大丈夫、ヒロキくん、足痛いの? そこ座って」
店長が肩を支えながらキャスター付きのイスに座らせてくれた。
そして店長自身もしゃがむと、自分のズボンの裾をまくり、足の具合を確認してくれた。
「あ、店長、大丈夫ですよ!」
慌てて止めようとしたが店長は「ちょっと待って」と言って、近くにあるデスクの引き出しから箱を取り出した。救急箱らしいそれからは病院などでもらえる湿布の入った袋が出てきた。
「ちょっと冷たいかも、我慢してね」
店長は湿布のフィルムを剥がすと、自分の少し赤く腫れたすねにそっと貼ってくれた。
冷たい。冷たいけれど顔と胸が熱くなる。
「ヒロキくん、俺のこと……かばったでしょ」
しゃがんだまま店長がため息をついた。
「俺のことなんか、かばわなくてよかったのに……大事な足でしょ、ヒロキくんの場合は」
店長は湿布の上からそっと足をなでる。痛いのとんでいけと、あやしてくれるような前後になでる優しい手の動きだ。
「ダメだよ、俺のためにムチャをしたら。俺はそんなことをされるに相応しい人間じゃないんだから」
悲しげな店長のつぶやきだ。その意味を問おうかと思ったが店長が目を伏せ、そのままどこかに消えてしまいそうな様子を見せるから。切なくてそれは聞けなかった。
「大丈夫ですよ、店長。それより店長こそ、さっきトウヤの攻撃を受けようしましたよね。あれの方がムチャですよ。僕は蹴りが武器なようにトウヤは拳が武器です。当たりが悪ければ……」
トウヤの放った一撃。あれは店長を、というよりも自分の身動きを止めようと放たれたもの。死ぬほどのものではないけれど、それなりにダメージはある。
それを店長は身を持って受けようとしてくれた、自分を守るために……僕が店長のボディーガードなのに。
トウヤも店長が前に出てきたことで、寸でのところで攻撃を止めていたが。あれは彼なりの理性によるものだ。なんだかんだ言いつつも彼だってプロのボディーガードだ。何もしていない人間を殴り飛ばすなんてできないのだ、でも――。
「普通なら怖くて、あんなことできないですよ。店長ってすごいですね」
「すごくなんかないよ、ただヒロキくんが殴られるって思ったから助けたくって。後先なんか考えてなかったってやつだよ、俺はそれくらいしかできないから」
そう言うと店長は立ち上がり、やっといつものように笑ってくれた。
「それに彼は心底悪そうな人じゃないね。お惣菜も買っていってくれたみたいだし。ヒロキくんと離れてしまったのが、たださびしかったんだね」
そう言われ、トウヤの先ほどの怒ったり泣いたりしそうな顔が思い浮かぶ。確かに彼はただ自分のことが好きなだけなのかもしれない。異常な執着はあるにしても自分を慕ってくれる可愛い後輩なのだ……話せばわかってくれるだろうか。
けれど何をわかってもらうんだ?
自分は前の仕事で失敗をして、その失敗の責任を取るために辞表を出しただけだ。
それに関してはトウヤの許しを得る必要もないはずだ。言ったところでトウヤはどうすると言うのだろう。
静かに息を吐くと、店長は「ヒロキくん」と導いてくれるような優しい口調で言ってくれた。
「慕ってくれているんだから大丈夫だよ。自分がどうしたいとか、思っていることとか。口にしてみなければわからないんだからね?」
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