アノネ

 高校生になると友達は勝手にできるものだと思っていた。でも違った。最初に声をかけてくれた子も今では騒がしく数人の輪の中で他愛のない会話で盛り上がっている。もうクラスが確定してからかなり経つのに自分に友達と呼べる存在は一人もいない。家に帰ると親がいて、大音量で聞こえるテレビからのCMを恨めしく思いながら部屋で宿題に取り掛かる。それも宿題に取り掛かっていたのは最初の一月だけでそれ以降は画面の先の珍騒動を眺めているだけの日々になった。でも生きているだけで自分は恵まれているんだと思う。


 そんな生活が祟ったのか僕は追試やら課外が増えていった。部活に入る気力も対応力も無いので中学の頃強制で入れられた経験から僕は絶対入らないと決めていた。そうなると段々と好きじゃないこと、やりたくないことで時間が潰されるようになっていった。好きだった事はもう思い出せない。


 時間を確保するために課外をサボるようになった。追試は手渡しされるようになった。学歴などなくても生きてはいける、そう思うと高校すら価値が無い場所のように思えた。ストレスを溜めるだけの場所、他に表現の仕様が無かった。


 無性に家を飛び出したくなることもあった。何度も見る広告やコンビニに何故か苛立つ日もあった。でも自分なりに頑張って生を維持していた。いじめられない、それだけでも救いになった。学校には通えていたがやはり違和感はあった。そんなある日、


自分に存在価値が無いと気付いた


 生きているだけで邪魔をしている訳じゃないし誰かに迷惑がかかる、それもまた自分の存在を主張しているようで心地よかったので死ぬ気は起きていない。思春期ならそんなものだろうと達観している自分もいた。


 ある日、それに耐えられなくなった。愛が欲しかった。自分を見てくれる誰かが欲しかった。肯定されなかったらを考える度に気が狂いそうになった。親は仕事が忙しいのか帰ってくるたびに酒を飲み、お互い聞かせるようにして愚痴をこぼしている。数日ぶりに自分から口を開き、聞いてみた

「ねぇ、自分は二人の子供じゃなきゃ愛されなかったのかな」

父は

「当たり前だろ」

と答え、それ以上何か発されることは無かった。


 その日の晩、僕は課外をサボって購入したロープで首を吊った。溺れるような感覚だった。その後、棺桶の中の自分と泣く両親を上から眺めているときになってようやく生を感じた。


ただ一言話しかけられていれば違ったのかな

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