GREAM
宵町いつか
第1話
1
「ねえ、作良知ってる?」
昼休み、購買で買った菓子パンを食べながらクラスメイトの
私はお弁当を食べながら聞いた。
「何が?」
「神様のお話」
いつも現実的な明袮がそんな非現実的なことを言うなんて珍しいな。
頭の片隅でそんな事を考えながら私は首を横に振る。
朱音は首を振る私を見て驚きの声を上げた。
「こういうの作良なら知ってると思ったんだけどなー」
すこし残念そうなニュアンスで明袮は言った。
確かに私はそういうものは好きだ。でもそれは漫画とかアニメの設定とかそういう現実に存在しないものに惹かれると言うだけで噂話だとかそんな曖昧なものはあんまり好きじゃない。
「で、その話ってなに?」
話の流れ的に聞いたほうが良いだろうと思って私は聞いた。
すると明袮は待ってましたとでもいう風に軽く前のめりになって話しだした。
「廃屋の神様のお話って知らない?
南崎高校の近くに廃屋あるじゃん?あの古びた一軒家の」
「ああ、あったね。ちょっと古いやつ」
言ってもそこまで古いものじゃなかった気がする。外観はまだよく在る洋風なものだし。ただ庭の雑草とか壁面の蔓とかが凄いだけで。
ちなみに私達は中高一貫なので中学を卒業すると自動的に南崎高校に入学する。中高一貫校にしては珍しく校舎が別々だ。
「んで、その廃屋の玄関に何かものを置くんだ。例えばスマホとか本とか何か自分の持ってるもの。
するとなんと神様がでてきてくれるんだよね!」
興奮した様子で明袮は続ける。
「出てきてくれた神様はね何でも願いを叶えてくれるんだって。ほんとにどんなものでも。
例えば頭が良くなりたいとか、好きな人と付き合いたいとか、あの子とともだちになりたいとか。
で、その願いを叶えてもらうためにもう一個何か差し出すの。等価交換だって言ってた」
神様を出すのも等価交換で願いを叶えるためにもまた等価交換って随分欲張りな神様だ。
私はお弁当のおかずをひとくち食べた。
「それが廃屋の神様のお話」
「なんかよく出来たお話だね。噂話にしては」
私が冷やかしの意味も込めて言うと明袮が不満そうに言った。
「いや、それが叶えてもらった人がいるっぽいんだよね」
へー。
「あっそ」
「信じてないでしょ?」
「もちろん」
そういうものは漫画やアニメの中だけにしてほしい。
そんなことを思いながら私はおかずを食べ進める。
等価交換って言ったってそんな人にとって価値が変わるものをどうやって判断するていうんだろう。この世は値段で決まらないもので溢れているのに。
小さな疑問が頭の中に生まれた。
「ふふっ」
無意識のうちにこの噂話を現実的に捉えてしまっている自分に思わず笑ってしまった。
自分にも乙女なところがあったじゃん、なんて思った。
「でも私、今叶えてほしい願いなんて無いから」
私は明袮に向かって言った。
「いいね。幸せそうで」
明袮もそう言ってにこりと笑った。
2
校門を出る生徒たちの波に揺られるようにして私は学校から出る。
今日は職員会議があるため全部活が休みなのでいつも以上に人が多い。
話しながらゆっくりと歩いている生徒を追い越し、足早に目的地に向かう。
家から離れていくバスに乗ってその時間を利用して英語のパラパラと単語帳を眺める。
disease、hurt、accept。
なんとなく心の中でつぶやきながら時間を潰す。
単語を唱えているとアナウンスが鳴った。
「鹿野総合病院前――」
私は単語帳を閉じ、バックに入れると同時に肩に提げ数人の乗客と共に降りる。
顔見知りになった受付のお姉さんに挨拶をする。
ロビーに置いてあるクリスマスツリーを横目で見ながら病室に向かう。
いつの間にかそんな時期になっていたんだな、なんて思いながら106の病室に入る。
病室は個室になっていて一つベットが置かれている。すぐそばに置いてある小さな机には花瓶と綺麗な花が挿されていた。
病室の主は私が来たことに気づいておらず、虚ろな視線で天井を見ている。
「お兄ちゃん」
私が声をかけると兄は寝たまま、こちらを見た。
「作良、今日も来たのか?」
兄はそう嬉しそうに言った。
ひどくかすれた小さな声だったが、いつもと同じような表情を浮かべているのを見て私はほっと胸を撫で降ろす。
「だって心配じゃん」
「何言ってんだよ。心配されなくても死ぬときは死ぬんだから」
兄は優しく笑った。
私はそれに曖昧な笑みで返す。
兄は癌だ。
見つかったときにはもう手遅れだった。
まだ高校生なのに死ぬのを決定づけられていた。
そのことを兄には言っていない。
言えていない。親も、私も。
ただ兄は分かっているようなそんな感じだった。
私はパイプ椅子に座り、兄を見る。
「ごめんな」
兄がなんとも言えない表情で言った。
「な、なにが?」
「いや、作良と一緒に買い物行こうって話してたじゃんか」
そんな話、めっちゃ前じゃん。
「してたね」
「行けないからさ。謝った」
「治ったら行こ。めっちゃ服とか買うから荷物持ちよろしく」
そう言って私は笑った。
すると兄もふわりと笑った。
「そうできたら……いいな」
「諦めたら駄目でしょ」
私は肩に手を乗せた。
「絶対高校生になった私の晴れ姿見せてやるんだから」
「俺よりも親に見せろよ」
兄が小さく声を出して笑った。
私もつられて笑う。
私は知っている。
兄が私が来る前に毎回鎮痛剤を打ってもらっていることを。
このすこしの時間のために。
こんなにも良い人なのに。
こんなにも優しいのに。
なんで。
それだったら私が苦しめばいいのに。
ゆっくりと時間が流れているようように感じていたのに、いつの間にか太陽が隠れ始めていた。
「もうそろそろ帰らなきゃ、怒られんぞ」
優しい声で兄は言った。
「……うん」
私は立ち上がって手を振る。
「また明日」
兄は仄かに笑ったあと、いつもみたいに言った。
「勉強しろよ。生徒会長」
その声に優しさが、小さな憧れが入っているような気がした。だから私はせめて笑顔でいようと思って、唇を引っ張った。
「もちろん」
私がそう言うと兄は満足そうな顔で頷いた。
私はそれを見届けて、もう一回「また明日」と言って病室から出た。
外はとても冷えていた。
3
家に帰るとまずハンバーグの匂いが襲ってきた。
「ただいまー」
誰にも聞こえないくらい小さな声で言い、二階にある自室に向かう。
足音で気づいたのか、背中に「おかえり」と、言葉が向けられた。
階段を上がって自室に入る。
扉を閉め、バックを床に投げつける。
このままベットに飛び込みたい気持ちを抑え、制服を脱ぎゆったりとした服に着替える。
そして布団にダイブした。
「あー」
枕に顔を埋め、呻く。
疲れた。
理由は生徒会長なんて肩書のせいでもあるし、私の人に頼られるとなんでもかんでも了承してしまう性格のせいでもある。
ただただ疲れた。
もう動きたくない。
暫くその状態で止まっていると下の階からお母さんの声が聞こえた。
「ご飯できたから手洗いなさーい」
「あーい」
間抜けな声で返事をする。
今、下に行ったところで夕飯が出ているわけではないので3分後くらいに下に行こうと決意する。
それくらいは許されるはずと信じたい。
そんなことを思った瞬間、母親の声が響く。
「さっさと来なさーい」
「あーい、わかったわかった」
私はぐっと腕に力を入れ、立ち上がる。
ぺたぺたと足音を鳴らしながら洗面所に向かい手を洗う。
そしてダイニングに行って席に座る。
テーブルには白米と味噌汁が置かれている。
私が座ったのを見計らったかのようなタイミングでお母さんがことんとハンバーグを置く。
「ハンバーグだー」
私が声を上げるとお母さんはテキパキと動きながら言う。
「作良、好きでしょ?」
「すきー」
予め置いてあった箸を手に取りハンバーグに切れ込みを入れる。
「あ、いただきます」
ひとくち食べる。
口の中で肉汁が爆発する。
舌をやけどしながら味わい、飲み込む。
「あっつーうっま」
私がそう言ってお母さんの方に親指を立てる。が、お母さんはこちらを見ずに言った。
「そう、良かった」
なんとなく親指立てたのが無駄なことだったかのように思え、すっとおろした。
お母さんは自分用のハンバーグをテーブルに置いて、席に座った。
「今日、どうだった?界斗」
「いつもとおんなじ。元気そうだったと思うよ」
「思うよって……」
お母さんが私の言葉に反応する。
「だってお兄ちゃん、私の前じゃ意地でも元気そうにするからそういうしかないじゃん」
すこしきつい言い方で私は言う。
お母さんは納得のいっていないような声で相槌を打った。
なんとなく重い雰囲気になったので逃げるように残りの夕飯を食べた。
気になるんだったら自分で行けばいいのに。
私はこころのなかでそう思った。
「ごちそうさま」
そう言って食器を流しに置き、自室にこもる。
ベットに体を投げ、そのまま目をつぶる。
嫌なことばっかりだ。
頭の片隅に黒点を落とす。
黒く染まった視界の中、ぼーっと考え事をしていると、そのまま私の意識はどんどん遠くなっていった。
4
窓から差し込む光で目が覚めた。
「う……ん」
小さく呻き、目を開ける。
反射的にスマホをとり、時間を確認する。
まだ7時になったばかりだった。
「うっわ、そのまま寝ちゃったのか」
幸い提出しなければいけない課題も無いし学校関連での支障はなかった。ただ精神的な方でかすかに影響するくらい。
「やらなきゃいけないことも出来ないとか生徒会長失格だろ」
だれもこんな私を見ていないはずだけど、いや見られないところだからこそなんだろう。よりしっかりしなければいけないような気がしてしまう。当たり前のことを出来ていないのに生徒会長なんてできるわけないのに。
朝から沈んだ気持ちになる。
ため息をついて、面倒だけど制服を持って脱衣所に行く。
せめてシャワーくらい浴びなきゃ。
私は服を洗濯機に入れ、シャワーを浴びる。
朝からのシャワーは気持ちよかったけど、上がったあと髪の毛を乾かしたりしなければいけないのが面倒だった。だから朝にはしたくなかった。
「あーめんど」
後ろ向きなことをつぶやきながら私は下着姿のまま髪を乾かす。濡れた髪のまま制服を着る気にはなれなかった。
髪の毛、切ったほうが楽だろうな。
でも冬に着るのは勇気がいる。だって首元が冷えやすくなるし。
5分ほどかけて髪の毛を乾かし、櫛を通す。
「よしよし、今日も可愛い可愛い」
珍しく両親とも居なかった。
机にはトーストとコーヒーが置いてあった。
私は座ってすっかり冷めたコーヒーに口をつける。
酸味が全身を駆け抜ける。
その後に申し訳程度の苦味が舌の上を転がる。
飲めば飲むほど苦味と酸味がバランス良くなっていく。
半分ほど飲んだところでトーストに手をつける。
何も味のついていないシンプルなトーストを一気に食べ、最後にコーヒーで流し込む。
「ごちそうさまでした」
食器を洗って、食洗機に入れる。食洗機なんていってもほとんど乾燥機能しか使われていないけど。
濡れた手を拭いて自室に戻る。
昨日寝落ちしたおかげで今日の準備をしていなかったから仕方なく。
ほんとは置き勉をしたい。ただうちの学校は暗黙の了解で置き勉をしてはいけないことになっている。デメリットしか無いのに。
がさごそとバックの中身を整理する。
私はため息をつく。
まだ朝なのにすべてのエネルギーを使い果たしてしまったようだった。
今日の準備も終わらせ、私はスマホを手にもつ。
数分前にお母さんからメールが入っていた。
『界斗に会いに病院に行ってきます』
珍しい、と思った。
お母さんが自分から病院に行くなんて。
入院してから初めてじゃないだろうか。
ほとんど主治医の先生に呼ばれたときにしかお母さんは行かなかった。だから今、ほんのすこし安堵した。会いに行っている、その言葉だけですっと心が軽くなった。
お母さんもやっと踏ん切りがついたのかなって。
私は『了解』と返信して、バックを担ぐ。
いつもより早く学校に着いて本でも読んどこう。ずっと家に居たってやることないし。
私は家の鍵を閉めゆっくりと通学路に着いた。
透明度の高い空気が痛かった。
5
学校が終わって私はバス停に向かう。
今日はどんな話をしようかなんてのんきなことを考えながら。
バスの振動に合わせて体が左右に揺れる。
「ねむ」
小さく零した言葉はころころと床を転がった。
寝ないように必死に窓から外を眺めているとスマホがブルっと震えた。
お母さんからのメールだった。
『もう終わりかもって』
それだけ書かれていた。
『何が?』
私は聞いた。
頭の片隅には嫌な考えが浮かんでいた。もうそれがすぐ目の前まで迫っている。
『界斗、佳境だって』
頭の中が真っ黒になった。
ほら、あたったでしょ?
頭の中の私が冷静に告げる。
知ってたでしょ?もう決心してたんでしょ?踏ん切りは着いていたはずでしょ?
頭の中がとてもうるさかった。
「んなもん、できるかよ」
私はつぶやいた。
どんどんバスは家からも学校からも離れていく。
どんどん、どんどん。
病院さえも遠のいていく。
いつの間にか終着点に着いていた。
もう太陽は沈んでいた。
帰りのバスが来るまで私はバス停の椅子に腰掛けている。。
なにも踏ん切りなんてついてなかったじゃないか。
一番そばに居て一番私が何も分かってなかったじゃないか。
お兄ちゃんが隠していたんじゃない。
私が気づかないふりをしていただけなんじゃないか。
この弱虫め。
私はどんどん真っ黒な思考に侵されていった。
6
バス停に冷たい風が吹き付ける。
かじかんだ手で私はメールで明袮に神様のことを聞いていた。
『あのとき言ったのやれば良いはずだよ。玄関に物置いたらカミサマ出てくるからその人に対価支払えば願いが叶うっていう』
『ありがとう』
『んー。役に立つならなにより』
そこで話を切ろうとしたが、私はなんとなく疑問をぶつけた。
『なんでカタカナでカミサマって書いたの?神様じゃないの?』
「あれは神様なんてものじゃない。ただ他に形容するものがないからそういうしか無いの。ただ私にとっては縁結びの神だったよ。絆を結んでくれた優しいひと」
やけにその文章に熱が籠もっている気がした。ただ同時にそれ以上は踏み込めない力も感じた。
私はなにも返信せずにスマホをしまう。
さあ、明日早速行こう。
お兄ちゃんが死ぬ前に。
7
とても空気が澄んでいた。
白い息が口から漏れる。
私はバックを担ぎ直していつもと違う道を歩く。
やけに冷静な自分が居た。
なにやってんだよ。ただの噂に踊らされて。
馬鹿らしいね。みっともない。
頭の中でうるさいくらい正論をぶつけてくる。
「っ……うっさい」
無理やり自分を押し付ける。
今はそんな正論なんかいらないんだよ。
うるさいんだよ、黙ってろ。
頭の中がしんとなる。
いや、うるさすぎてもう耳が聞こえなくなったのだ。もう心の鼓膜が破れてしまった。
ただ無心でt突き進む。
ただ一つの目的の為に。義務的に。
それは突然現れた。
住宅街を抜けたすぐ先に、歪な状態で廃屋があった。
私は廃屋の前で立ち止まる。
念のため辺りを見渡し、誰も居ないことを確認する。
一歩、足を進める。
飛び石から外れないようにして玄関を目指す。
玄関から室内に入ると空気が変わった。
刺々しいような、人を傷つけてしまう空気を纏ってそれでいてどこか優しいものに。
部屋の中は何もなかった。
というより部屋と言って良いのかわからないほど何もなかった。
内装はもちろん壁も床もなかった。
私は目の前に中学の頃に買った英単語帳を置く。
こんなもので出てくるか分からなかったけど。
何も起こらなかった。
いくら待っても何も。
「はあ」
無駄足だったじゃないか。
聞こえなくなったはずなのに声が聞こえた。
だからうるさいんだって。
私は思考を断ち切るように廃屋から出ようと後ろを向く。
「――え?」
目の前に本が積み重なっていた。
漫画本や小説、雑誌など数多のジャンルの本が。
ぐるりと辺りを見渡す。
本がまるで家の壁のようになり、使い古された家具や小物がどんどん部屋の中を満たしていく。
異様だった。
この廃屋だけ別世界だった。
声が聞こえた。
「やあやあ、こんにちは」
丁度高校生のような男の声だった。
私は声のした方を向く。
古着を着こなした男が居た。
ただその顔は楽しそうに歪んでおり、手には真新しいライトノベルを持っていた。
すべてが異様だった。
その男の着こなす古着が、笑顔が、ライトノベルがその世界から浮いていた。
「どうも」
男は恭しく頭を下げる。
「……カミサマ?」
私が恐る恐る言うと男は首を振った。
「カミサマなんて大層なものなんかじゃないさ。
ただ僕は世界だ。
そして君だ。
ただそれだけの存在さ」
芝居がかった声で男は言う。
手に持ったライトノベルの影響を受けているのだろう。癪に障る声だ。
「あ……そう」
私は素っ気なく言う。
男は驚いたように言った。
「なんだ?興味なさそうだね。
なんで君が僕のところに来たか、自分ではよく分かってるはずだろ?」
男はニヤリと笑う。
「あなたは私の願いを叶えてくれる?」
私は疑問を投げつける。
男は力強く頷いた。
良かった。
この人は私の願いを叶えてくれるらしい。兄のように嘘はつかないらしい。
「対価を差し出せばいくらでも叶えよう」
やはりドラマのセリフのように言った。
それでも良かった。
「私の寿命をあげる。
だから私のお兄ちゃんの病気をなかったことにして」
男は怪訝そうに言う。
「治してじゃなくてかい?」
「うん。なかったことにして」
男は目を見開いて聞く。
「それまたなんで?」
「決まってる。お兄ちゃんにはすこしでも楽しい時間を過ごしてほしいの。だから病気のあった時間なんていらない」
「……随分勝手だね」
「きっとお兄ちゃんはそう願ってる」
私は真剣に言う。
男は小さく笑った。
「いいだろう。面白い。
こんな人間がいるから私はこれをしてるんだ。最高じゃないか。なかなか骨のある馬鹿が、傲慢な馬鹿が来やがった」
ひらりひらりと男はその場で踊った。
踊りながら言った。
「君の寿命80年分を使って君の兄の病気をなかった事にしてやろう」
言い切ると同時にぴたりと動きを止め、私に手をのばす。
手のひらには小さな宝石がはめ込まれたペンダントがあった。
「これは契約書だ。君が壊そうとするか君の契約が破棄されたときにこれは壊れる。
今回の場合君のお兄さんが死んだ時かな。だってこれは一種の蘇生だもの。君の兄を死の運命から、死から救った、死から逃れたんだから。死を超越させたんだから」
男は楽しそうに言う。
「ささ、さっさとこれを持って行きな。目を開けたら君の望んだ通りの世界に成るだろう」
私はペンダントを受け取る。
男はひらひらと手を振る。
「ありがとうございます」
私は礼をして、後ろを向く。
いつの間にか本がなくなり、そこだけぽっかりと空間が空いていた。
後ろから笑い声が聞こえた。
「ああ、可哀想に。
彼女は捨ててしまった。ああ、可哀想に」
と。
8
自室の天井が見えた。
「え?」
私はベットから起き上がり、辺りを見渡す。
何故かパジャマだった。
間違いなかった。自分の部屋だ。
ただ私の知っているときと違うところがあった。
例えば一年前に捨てたはずの机があった。
二年前に捨てたはずのCDがあった。
なんで?
頭の中でぐるぐると疑問符が回る。
その時、ドアがノックされた。
「作良、入るぞー」
間延びした、聞き慣れた声。
ガチャリと音がなり、お兄ちゃんが入ってきた。
「……なんで?」
なんで家にいるんだ?
え?
なんで?
……お兄ちゃんはずっと元気だったじゃん。
「どした?」
怪訝そうにお兄ちゃんは私を見つめている。
私は首を横に振る。
「ううん。なんもない。
変な夢見てた」
私がそう言うとお兄ちゃんは安心したように言った。
「そっか。ちなみにどんな夢?」
「お兄ちゃんが死ぬ夢」
私の言葉を聞いてお兄ちゃんは笑った。
「なんだそれ」
私もつられて笑った。
ゆっくりと幸せな時間が流れていた。
私はぐっと伸びをした。
「早く行くぞ」
そんな私をみてお兄ちゃんは言う。
「どこに?」
私が欠伸をしながら聞くとお兄ちゃんが呆れたように言った。
「買い物行くんだろ?」
あ……そうだった。
一緒に買い物行くんだった。
「うん、行く」
「さっさと準備しろ」
お兄ちゃんは笑って部屋から出ていった。
私はパジャマから私服に着替える。
スカートを履いた時、ポケットに重さを感じた。
ポケットに手を突っ込んでみるとひんやりと冷たい物に当たった。
疑問に思いながらそれを取り出す。
鉄で作られていて宝石の付いているネックレスだった。
まるで夢に出てきた物と同じ物のような……。
「ふふっ」
自然と笑みがこぼれた。
馬鹿馬鹿しい。
そんな事があってたまるか。
私は頭の中で思いながらネックレスを首から下げ、見えないように服の下に隠す。
跳ねるように階段を降りて洗面所に向かう。
何を買おうか。
好きな服でも買おうか。
化粧品でも買ってみようか。
そんな幸せな、キラキラとした悩みを抱えながら。
〈了〉
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