第3話 誰かの記憶と気付いた事実

 言われるがままに私が席に着くと、モワモワと湯気の立つカップが目の前に置かれた。


「さ、食べようか」


 男も私の対面にある椅子に座ると、お祈りをする為か手を合わせる。

 それを見て、異民族のようだけど宗教は一緒なのかしらと若干ホッとしかけたが……。


「いただきます」


 その一言を口にするのみで食事を始めたことにガックリときた。

 やはり異民族は異民族。

 最後の心のよりどころである宗教も違うということなのだと実感する。


「ん? なに?」


 食事をしていた手を一旦止め、男は自分をジッと見た後にあからさまに落ち込んでいた私を不思議そうに見てきた。


「な、なんでもないわっ」


 慌てて返事をし、取りあえず話をするよりも食事が先かと私も食前のお祈りをした――小声で。

 もしここでいつもの様にするのは憚られたから。

 とはいえ、私がそんなことを気にするほどのことはなかった。


「う~ん、イイ。今日のコーヒーはちょっと豆を変えてみたが……これも美味いな。また特売になってたら買おう」


 終始がこんな調子で私にさほど興味関心をもってないようなのだ。

 だから一先ずはとフォークを手に取ってはみた私だがドキドキとして落ち着かず、こんな見知らぬ男を目の前にしてサクサクと食事をすすめることはできなかった。

 私は男にバレない様に小さく深呼吸をして速まる鼓動を鎮め、まずは見慣れた料理からと柔らかそうな曲線を描いて皿にドンと鎮座したオムレツにフォークを刺してみる。


 固まりきってないからかプルリと揺れる卵、その上にかかった初めて口にする赤くてドロリとしたソースは甘くて濃い。

 まるで今収穫したばかりかのようにシャキシャキとした葉もの野菜と、香ばしく焼かれた初めて見る形の四角いパン。

 飲み慣れたミルクの味の混ざった茶色い飲み物は若干の苦味と香ばしさの残る初めての味で……。

 一口食べてみればどれもあり得ない程に鮮度が良く、上等なものだといえる品質だった。


 狭いし他の住人もいないようだし……なによりも使用人も見当たらないのに庶民ではないということなのだろうか。

 自分の知る常識と照らし合わせてみてもチグハグで何も分からない――分からない、何も。

 およそ貴族では無いように見えるこんな小さな家。

 庶民であっても金持ちの商人であるならば貴族の家に匹敵するぐらい大きな家に住むのがセオリーであるはずだけども……。

 それでもこれだけの食事を用意できるのならそれなりの金持ちということかもしれない。


 そんな風に考えを巡らせながら食事をしていると、私よりも早々と食事を終わらせようとしていた男が飲み物を口にしながらこちらを見つめてきていた。


「なぁ……美咲ミサキ。今日は日曜日だから良いんだけど……やけにゆっくりと上品に食べているな。まるでどこぞのお嬢様でも乗り移ったみたいに」


 そう言われて私は驚き、パンをのどに詰まらせそうになった。

 むせてゲホゲホと咳き込んでしまっていると男は立ち上がり、背後に来ると私の背中をトントンと叩きながら話を続けた。


「あぁ、もう……。どうしたんだよ。今日は寝起きからおかしいぞ?」


「ミ……ミ……」


「ん? 水か?」


 咳のせいでうまく言葉を喋れずにいると勘違いをされ、男はバタバタ台所側へと行ってコップに入った水を持ってきた。


「はい」


「ち……ちが…………う……」


 ノドに引っかかったパンくずでも取れたのか、咳が次第に治まってくると息を整えてもう一度私は男に話しかけた。


「ミサキって……どなたですの?」


「……? 自分の名前だろ? まだ寝惚けているのか?」


「――っ! 私!?」


 目を白黒とさせた。


「私は……。私はヴィヴィアンヌ・ルイゾン・ド・ブロイよ! そのはず……なのよ?」


 この男に自分のことを『ミサキ』と呼ばれたことに困惑した。

 ミサキ――みさき――……美咲っ!?

 その名前が何度も何度も木霊し、頭の中でグルグルと渦を巻いて激しい眩暈を起こす。

 ぐらりと歪む視界に耐えられずに私は机につっぷした。


「――っ!? ど、どうした?」


「め、めまいが――」


「大丈夫か? 最近、仕事忙しいみたいだし……疲れがたまっているんだろう。今日は変な言動してばかりだし、もう今日は寝ていた方が良い」


「えっ――えぇ…………」


 激しい眩暈のせいで思考も鈍った私は朝食もそこそこにして言われるがまま、この男に支えられてベッドへと戻った。

 横になった頃には眩暈もなぜだか急激に治まって思考能力も戻ってきた。


「僕、朝食の片付けとかリビングの掃除とかしてるから……何かあったら呼んで」


 コクリと私が頷くと、男はドアを閉めて先程の食卓のあった部屋の方へと帰っていく足音がした。


「ミサキ――私は……美咲?」


 天井を見上げてボーっとしながら名前を呟いた。

 あの男に『美咲』と呼ばれたことで頭に衝撃が走り、私の知らない記憶がいっきに流れ込んできたのだ。

 この体の持ち主は『美咲』という名前であり、あの男は美咲の夫ということとか……。

 それらの記憶から私がその『美咲』に成り代わってしまったという事実に気が付くのに時間はかからなかった。

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悪役令嬢、外の世界に転生す。~私、これを機会に心を入れ替えますわ~ 3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ) @blue_rose_888

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