第2話 私が知らない『自分』

「えっ? 誰!?」


「誰って……寝惚けているのか?」


 思わず叫んでしまった私の問いかけに小首を傾げて問い返された。

 誰だか正体不明の男はツカツカと私の目の前までくると額に手を置き、もう片方の手を自分の額に置いて何かを確かめだす。


「う~~ん? ひとまず熱はなさそうだな……」


 私は男にやられたその行為になんとも恥ずかしくなってサッと手を振り払い、赤くなった顔を隠すように俯いた。


「な、なにをっ!」


「本当に今日はどうしたんだ? 寝起きに変な笑い声なんかあげちゃって……妙な夢でも見たのか?」


 チラリと目線を上にやると私の反応がおかしいとでも言いたげに眉根を寄せ、訝しんでいる。

 庶民であろう男が貴族令嬢たる私に対して無礼な……。

 例え私がすでに追放された罪人の身分であろうとも、その辺の庶民よりは上であるはずだという自負のある私はプルプルと震える手をグッと握って気合を入れるとキッと睨んだ。


「まぁいいや。起きたなら着替えてから食卓に来いよな」


 私が顔を上げた時には男は廊下の方へと向き、手をヒラヒラとさせて部屋を出ていっている。

 なぜか親し気な者に向けるようなよく分からない対応をされ、ポカンとしてしまった。

 だがこのままだとらちがあかず、私はあの男と話をする為に渋々言われた通りにすることにした。


「まったく……馴れ馴れしいにもほどがあるわ」


 ブツクサと文句を言いつつも着替えを探して部屋中の扉や引き出しを開けてまわる。

 着替えの準備なんて、いつもなら侍女がしてくれていること。

 しかも勝手もしらない他人の家で初めて自分一人で着替えるだなんて……。

 そんなことを思いながら一方の壁一面に設えられた大きな扉を開けるとそこはクローゼットになっており、ハンガーにかけられた幾つかの服を発見した。

 ついでにラッキーなことにその扉の裏が姿見になっているのを偶然見つけ――。


「なっ――――っ!!」


 私は思わずギョッとする。


「――?」


 目にした衝撃はその一言に尽きた。

 鏡に映る自分ではない誰か……しかも明らかに異民族の顔立ち、瞳の色、髪の色。

 もしかしたらカツラなのかと思い、頭をワシワシと探ってみるとこれが地毛の様で……。


「ダークブロンド――いや、ほぼ黒に近いかしら? 瞳も暗い茶色だし……。どういうこと?」


 私は混乱を極めた。

 まるで予言書の様な本。

 庶民のようでいて庶民のようでない佇まいの部屋や人。

 着慣れたドレスとも、数度かしか見た事は無いが一般的庶民が着るという簡素な服とも違う、見たこともないようなシンプルなデザインの服。

 これらを見て『外国だから』と説明するにはあまりにも現実離れした数々の事に加え、自分の容姿の変化には夢を見ているかのような気持ちになったのだった。


「えっ? どういうことなの??」


 ますます今の自分が置かれた状況が理解できずに立ち尽くしていると、遠くから先程の男の声が聞こえてきた。


「おーい。まだか~?」


 その声にハッとして立ち尽くしている場合ではないと頭を横に振るう。

 どれを着ていいのやら分からない私は適当に目に付いた服を数点引っ張り出し、急いで目の前にある服に着替えることにしたのだった。

 でも初めて見る形の服……着る前にまず今着ている寝間着の脱ぎ方が分からない。


「前にボタンがたくさん――こういう時は普段、侍女にやってもらっていたけども……」


 でも今は自分一人で着替えなければならず、侍女がしていたことを思い出しながら四苦八苦しつつようやく脱ぐことができた時にはすでに少し疲れ始めていて……。


「次は外に出る用の服ね。これ……で、いいかしらねぇ」


 ベッドの上に放り出していた幾つかの服をじっと眺めて考え、自分一人でも着れそうな服を1つ選んだ。


「フリルもリボンもない、ストンとしたシンプルなデザインのドレス(?)なら、何とか着れるでしょ。ボタンや複雑な留め具もないことだし――うん」


 私はベッドに選んだ服を広げて置き、裾の方から潜り込んでいくカタチで服を着た。

 何とか編み出したこういう方法でなければ服の着替えもできない自分を改めて認識して少し落ち込む。


「これからは何でも一人でやらなきゃ……ね」


 着替えた私はあの本を手に持ち、ドアを開けて廊下に出た。

 そこは驚くほど狭く、短い――。


「やっと出てきたか……。いつも通り温かいカフェオレでいいか?」


 声のした左を見ると開け放たれたドアの先にさっきの男が手に持った黒い液体の入ったポットをクイっと持ち上げ、私に話しかけてきた。


「え、ええ……」


 私は呼ばれるままにそちらの部屋へと移動すると明るい日差しが奥まで射し込むキッチンが目に入り、その狭いキッチンを区切るようにして存在するカウンターに隣接して小ぶりなテーブルセットが置かれていた。


「ん? 椅子に掛けたら? 朝食が冷めるよ?」


 そう言われてテーブルの上を見ると焼かれた小麦の香ばしい匂いが漂うパンと新鮮な緑色の野菜が目立つサラダ、それにオムレツやカリカリのベーコンが乗った大きな白い皿が2つ置いてあるのだった。

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