2、中学一年生

 中学に上がるころ、亮介は■■■■と遊ぶことがすっかり少なくなっていた。小さいころよく遊んだ番田ばんだ稲荷いなり神社の境内。けれど、山に登るのが面倒くさくなっていたし、男友達と同じように接するというわけにはいかなくなっていた。もちろん、小学生のころとは違う理由でだ。


 しかし、一番の原因は境内にあっただった。眺めがいいから岩に乗って遊んだりしていたけれど、大人に危ないからと注意されて以来、遊び場として足を運ぶのがどうしても億劫おっくうになってしまった。


 ――それに乗ったらいけん!!


 誰に注意されたのかは忘れてしまったが、その怒鳴り声は中学に上がっても忘れられなかった。


「遊び場なんてないんだよ。けど、そんなんじゃ亮介の羽は腐っちゃう。だから、東京に行きなよ」


 そうやって応援していてくれた■■■■。けれど彼女は、ある日を境に、そう言ってくれなくなった。二〇一一年三月一一日。自然の驚異が、あらゆるものを飲み込んでいく映像を目の前にして、誰もが言葉を失った。これは本当に日本なのか。どこか異国での出来事ではないのか。画面の向こう側に映る文字が「気仙沼」だったとしても、一向に現実味は湧かず、けれどもアナウンサーの声だけがやけにリアルで……背筋に悪寒が走った。


 黒い波が大地を塗りたくる。そんな、まるで作成意図の分からない映画に、亮介は生れてはじめて「おぞましい」という感情を知った。脳内の辞書には、その意味として、「虚構と現実の間で宙吊りになっては、心の置き場所が分からなくたって血の気が失せること」と記した。




 *****



 

 日本列島の下に巨大な怪物が潜んでいる。この日以来、誰もがそんなことを思うようになった。そして次は、首都直下地震。怪物は東京の真下で、口をあんぐりと開けている。だから「東京に行きなよ」というのは、つまり食われてこいということ。そんな無責任なことを言えるものだろうか。■■■■が東京に言及することは無くなったし、亮介も亮介で、東京に行く未来を描かなくなっていた。




 それに。

 相変わらず世界の広さは、自転車で行ける範囲だった。







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