第2話 親友の似姿
里中
私は彼女の名前通り夜空みたいな黒髪が羨ましいといって、彼女は私のおっとりしたそばかす顔が可愛いといった。
「
私が卑屈なことを言うたびに、真夜は慰めてくれる。素材が旨いだとか、自信ないけど頑張っておしゃれしてくるところがいいだとか、散々言ってくれた。真夜は付き合いが長くなってもレスポンスが良くて、クール系美人の癖にとても人当たりが良かった。
それが私に対してだけだと気付いたのは、高校に入ってからのことだった。友情とは少し毛色の違う感情に戸惑うばかりで、ついに答えを出すことはできなかった。
違和感を抱きはじめたきっかけは、情報の授業で自由課題が出されたときのこと。
「私たちのAIを作らない?」
「AIって……なんの?」
随分難しいことを言ってきたなと眉をひそめて聞き返した。あんまり手間がかかりそうなら面倒だなとも思った記憶がある。
「だから、私たちのAIだよ。お互いの人格を模造したバーチャルアシスタントAI、デバイスの音声案内とかできるやつ」
「ふぅん、便利な妖精さんになってくれるわけね。鍵の場所を教えてくれたり、遠隔操作でペットに餌をあげてくれたり、検索して音楽を掛けてくれたりする」
「ぜんぜん違うね。ヰ都が頼んだとして、私がそんなことすると思う?」
「しないね。デザート一品でも動かないだろうね。というか、私の方に真夜のAIを作るの?」
悪戯っぽい口元の彼女は魅力的で、ピンク色のグロスが艶っぽかった。男だったなら、ちょっとやそっとで落ちてしまっていただろう。なんせ、女の私でもドキリとしたのだから。
「交換っこ、おもしろいでしょ。私にヰ都の、ヰ都には私の。これでいつでも一緒にいられるじゃん」
真夜は自信たっぷりに言い切ったけれど、学生の、しかも素人のお遊び工作だ。大したものは作れないだろうと思っていた。しかし、彼女は想定よりもずっと用意周到で、明らかに課題の話が出る前から構想を練っていた。能天気な私にも察しがついてしまうぐらい。
真夜はAIを作るにあたって、私たちのライフログを使うことを提案した。
ライフログは、生まれたときに体に埋め込まれるマイクロチップを通して記録される、個人の生活記録である。健康管理、消費カロリーや食事はもちろん、GPSでの行動追跡、電子決済を通じた購買記録、脳内モニタリングによる感情の変化など。どこで、なにをしたかだけでなく、なにを、どう感じたかまで仔細に記録される。正真正銘の人生の記録。
当然、導入時には監視社会がどうのと問題になったが、病気の早期発見、犯罪発生率の激減、逮捕率は100%、体型維持から適正仕事の斡旋、税金申告等の事務手続きの超簡略化など。弊害よりも利便性の方が大きいと世論は判断したらしい。以来、全国民はマイクロチップで管理され、私たちはライフログ管理以前の生活を知らない。
真夜はこのライフログを、私たちの人格を形成するためのビッグデータとして、膨大な機械学習の糧とすることにした。ライフログから趣味嗜好、選択の傾向――考え方のクセをAIに学習させ、人格の大まかな枠を造り出した。
「あとは肌身離さず連れ歩いて、経験を積ませよう。昔は連れ歩いてモンスターを育成するゲームがあったんだって。ちょっと似てるよね」
「ペットじゃないんだから。連れ歩くっていってもさ、どうするの? ポケットには入んないよ」
「実はここに余っている収納があるのよね」
彼女は私の眉間を指先でノックした。しっとりした人差し指の腹が、かさついた私の肌に吸い付くみたいだった。彼女が示したのは頭蓋骨の中にある隙間のことだった。
「頭のチップって、そんなに容量あったんだ」
私たちのデコ――副鼻腔の隙間には、脳の活動をモニタリングするためのマイクロチップが埋め込まれている。定期健診のときに交換するのだが、鼻から細い管を入れて取り替えるために、息苦しいやら痛いやらで酷い目にあう。人によっては胃カメラより苦しいと言う人もいるぐらいだ。真夜のいう余分な収納とは、このチップの余剰容量のことを言っているのだろう。
「モニタしてデータを採るのが目的だからね。採ったデータは常時送信しているし、チップのスペックの割に持て余しているの。モニタのデータも活用できるし、一石二鳥でしょう」
「頭の中に入れて歩くって、変なカンジ」
「一ヶ月も一緒に生活していれば、ずっと似てくるはず」
薄々気付いていたが、真夜は自由課題の提出に間に合わせる気がさらさらない。課題はきっかけ作りの言い訳だったのだろう。周到な準備といい、気の長い計画といい、気心の知れたはずの真夜に薄気味悪さすら感じたものだ。理解が及ばなくなることほど怖いことはない。
頭の中にAIを入れてからの一ヶ月は何事もなかった。課題の未提出で補習を食らったのは私だけで、真夜はしれっと別のものを提出していた。そのことに文句を言ったら、「ごめん」とケーキをくれたけれど、それでなだめられると思われているみたいで不満だった。
私は真夜に対して小さな不満を募らせていくようになった。
真夜はルックスも要領もよくて、男子だけでなく女子からも慕われていた。私の方は彼女みたいに器用な真似ができなくて、人付き合いも閉鎖的。劣等感を抱く私に、相変わらずべったりの真夜。意識しなくても周りの視線が痛かった。真夜は気にかけた素振りもなく、時間の無駄だと切り捨てる。
彼女は強く、私は弱い。
小さな齟齬が積み重なって、ある日、私は暴発した。
今まで喧嘩なんてしたことなかったのに。でも、怒ってみて気付いたことは、私たちは違い過ぎて、喧嘩するレベルにいなかったのだということ。
「ヰ都はミキヤ君が好きなんだね」
「えっ、どうしてそんなことを言うの」
彼女が唐突に私に告げた名前は、私にとっても寝耳に水の事態だった。確かに嫌味のない性格の彼に好感は覚えていたが、好きだと自覚したことはなかった。だって、私なんかじゃ釣り合うはずがないと思っていたから。
「うん、分析したらそうなったの。ヰ都の視界にミキヤ君が入ると、脳が活性化するんだ。彼に視線を送る回数も増えているみたいだし、性欲も感じるでしょう。例えば、昨晩だってひとりでシてたときなんかの反応をみるに、彼のことを想像して――」
「やめてよッ!」
私はたまらず叫んだ。クラッキングだ。彼女は私の脳をモニタしたデータを自分のデバイスにも共有して盗み見ていたのだ。健康に関することならいざ知らず、脳モニタのデータはプライベートな情報だ。公的機関でも手続きを踏まなければ開示されない。彼女のストーカーまがいの行動に恐怖と怒りで涙がこぼれた。信頼していた親友に裏切られた気分だった。
「え、どうして泣くの? ご、ごめんね……あ、ケーキ、じゃだめか。ミキヤ君と付き合えるように、仲を取り持ってあげよっか?」
彼女は私がなぜ怒ったかさえわからないようだった。おろおろして、物で機嫌をとろうとしてくる彼女に正直イラついたし、失望した。私たちはこんなに長く一緒にいて、お互いのことなどなんにもわかっていなかった。
この事件のせいでAIのことなんて、すっかり頓挫するはずだった。しかし、無神経にも真夜は次の日、何事もなかったかのように話しかけてきた。
「おーい、ヰ都! できたよ、私たちのAI」
私は話したくもなかったが、私の中にもそのAIがまだあるのだと思うと、話さないわけにもいかない。私の頭を覗いていたくせに、どうして人の気持ちがわからないんだ。尖りそうになる感情を呑み込んで、真夜に向き合った。
『当ててあげようか? ヰ都が思っていること』
不思議な感覚だった。声が聞こえるのに、どこから聞こえたのかわからなかった。強いて言うなら、耳の傍で囁かれているような。
『今、私はあなたの意識に語り掛けています。なんてね』
「真夜、どういうことなの! 話と違うじゃないっ」
「ううん。違わないよ。最初っから、お互いのAIをインストールするって話だったでしょ」
私はすっかり騙されていた。私の頭に入っていたのは、最初から真夜のAIだったのだ。インストールされた時には、もうAIはほとんど完成していた。一か月間AIが行っていたのは、客観的な視点からの修正に過ぎなかった。第三者情報を汲み取ることで、他人から見た自分への齟齬を減らしていた、のだそうだ。つまり、完成度を高めるために必要としていたのは、私からみた真夜の情報。
「まあ、そう怒らないで。あなたのなかの私はきっと役に立つから」
憤慨する私に、彼女は自分のAIの利点を説いて説得しようとした。どちらにせよ、自分では追い出す方法も知らない私は、彼女の居候を呑むしかなかった。
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