第30話 長女には向かない職業

 そこで愛里えりが待っていると、しばらくしてから

「まあ」

と、妹は言い直した。

 でも、やっぱりあまり言いたくなさそうだ。

 「お兄ちゃん、高校二年だから、大学選びって話をして。それで、お兄ちゃん、理学部に行ってプログラミングの勉強、とか言ったんだよ。でも、お父さんが反対して、お兄ちゃんはいまはコンピューターで遊ぶのが好きかも知れないけど、それが一生の仕事になんかできるはずがない、趣味にしておきなさい、とか言って、反対して」

 プログラミングが一生の仕事にできない、っていつの時代の話?

 妹は続ける。

 「じゃあ、って、お兄ちゃん、経済学部って言ったのね。そうすると、お父さん、お店の経営を学ぶために経済学部にしたのか、ようやく跡継ぎをしてくれる気になったか、って喜んで」

 「はい?」

 なぜ経済学部に行くと言っただけで?

 だいたい、経営学の授業は、愛里だって受けているのに。

 「お兄ちゃん、ああいう性格だからさ、そう言われても、違う、って言えなくて」

 引っ込み思案、または、自分の考えをはっきり言わない。

 小学校のころはそうでもなかったのだけど、中学校も上の学年になるにつれてそうなっていった。

 それで、いきなりぽろっと

「お店継がない」

とか重大発言をするから、かえって話が大きくなるのだけど。

 「じゃあ」

 いちおう確認する。

 「やっぱり、諫武いさむ、継ぐ気、ないんだ?」

 「まあ」

 妹の歯切れも悪い。

 「お父さんは喜んでその話するんだけどさ、その話が出るたびに、お兄ちゃん、黙っちゃって、話を変えようとするからね。たぶん、いやなんだろうな、って思って。でも、お父さんは上機嫌で、いや、いまはお兄ちゃんの将来の話してるんだ、って言って、お兄ちゃんはますますうつむいちゃう、っていう展開」

 やっぱり、諫武としてはその話はしたくないのだろう。

 憂鬱さのレベルが急に上がった。

 尾谷おだに一家のことはしょせんほかの家のことだった。

 困ったひとたちではあっても、他人だった。

 この話は愛里の弟のことだし、愛里自身の将来にも関係する。

 「で」

と愛里が言う。

 「お母さんはどう考えてるわけ?」

 「それがさ」

 芳愛よしえは愛里の顔を見る。

 「お母さん、最初は、お姉ちゃんには家政学部に行ってもらったんだから、跡継ぎはお姉ちゃんでしょ、って言ってたんだけどね。その」

 妹はそこで顔をそむけ、顔をそむけてから、横目で愛里を見る。

 いや。

 そんな色っぽい表情を作るふりはしてくれなくていいんだけど?

 その妹が言う。

 「お父さんが、だって、お姉ちゃんにお茶屋さんの主人が務まるか、考えてみろ、って言ってさ。お母さんは、最初は、務まりますよ、立派に、やる気はあるし、人当たりもいいし、って言ってたんだけど、そのあと、考え込んじゃって」

 何を考え込む必要がある?

 やる気はある。

 人当たりがいいかどうかは、自分ではわからないけれど。

 芳愛も、言いにくそうだ。

 しばらく黙ってから、言う。

 「それで、お母さん、たしかに、お姉ちゃんはお茶の味がわかるとは言えないからね、とか言っちゃって」

 それかっ!

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