第20話 歓喜よ楽園の娘よ
「これ」
と、妹はタブレットを姉に差し出す。
みかんの汁はついていなかったけど、指のこすり跡はついていた。たぶん、みかんの油分だろう。
妹はわざと無愛想に言っている。でも、何か嬉しいことを隠しているのはその様子ではっきりとわかった。
「何?」
と言って受け取ったタブレットから、いきなり音楽が流れはじめた。
曲は、「歓喜の歌」というのか、ベートーベンの第九というのの合唱のメロディーだ。ただし合唱ではないし、何かポピュラーっぽくアレンジされている。
そして、たしかに場所はあまかプラザの前だ。二階の入り口のところがちょっとした広場になっている。入り口の上に大きい時計がある。その時計の下だ。
その場所をわりと引いた位置から撮っている。歩道橋の反対側から撮ったのだろうか。
そこに、ちょろちょろと走り出てくる、ポロシャツのようなシャツを着た子どもたち。
いや、子どもというには背が高い。「少女たち」ならば、言っていいだろう。
それに、よく見ると、着ているのもポロシャツではない。金色っぽい縁取りのついたシャツに明るいオレンジ色のスカート。スカートはプリーツ少なめで、わりと丈が短い。
このイベントのためにしつらえた衣裳だろう。たしか、あまかプラザの案内のおねえさんたちとかがこういう感じの服を着ていた。けれど、配色は同じでも、この服のほうが露出度が高い。
今日の夕方、しかも、場所は山に囲まれた平地の
これこそ!
寒くないか?
そんな
その子たちは、あまかプラザの入り口の前に横に距離を取って展開すると、きらきらとバトンを回しはじめた。
はい……?
いや、いいけど。
「第九でバトン、っていうのは、どうなの?」とは思うけど。
みんな背筋を伸ばして、笑顔で前を向いて、明るくバトンを回している。
営業スマイルというのとは違う。でも自然なスマイルとも違う。装った、整ったおすましスマイル……。
なんかアイドルっぽい。
みんながそういうスマイルを浮かべて演技しているということは、相当、練習したんだろうな。
まんなかのほうが背が高い子で、両端に行くほど背が低くなっている。
その右から二番めの少女のスマイルに、愛里はそこはかとなく違和感を感じた。
この子だけ、心のなかの嬉しさ、晴れがましさが、そのおすましのスマイルに表れている。
みんな頬が赤いのは、寒いからという理由もあるのだろうが。
この子だけは、やっぱりそれだけ嬉しさがすなおに表れた頬の赤さなのだろう。
顔を上げると、妹が、嬉しそうに、というより、ニヤついて、愛里を見ている。
「えっ?」
その笑いは、その右から二番めの少女の笑いと、誤差範囲内で同じだった。
すなわち。
右から二番めでバトンを回している、背は低いがスタイルのよい少女は
完全に脱ぽっちゃり。
それは、さっき水着を着たスタイルで確認したところだが。
いや、それ以前に!
「芳愛がバトントワリング?」
ちょっと声がひっくり返っていたかも知れない。
「うーん!」
「うん」という返事が長いのは、間延びしたのではなく、まして不満なのでもなく。
たぶん、妹の満足感の表れだ。
いろんな意味が山盛りになった満足感の。
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