第11話 環境と体感

 今度は普通に電気をつけて二階に戻る。

 早く着替えないと、と思って、自分の部屋の向かいの部屋の戸を開ける。

 部屋の電気をつける。

 「あ」

 そこに並んでいたはずのたんす……。

 愛里えり芳愛よしえの女物のたんすと、お父さんと諫武いさむの男物のたんすが別々にあり、あとお母さんと愛里と芳愛のフォーマルやお出かけ服のクローゼットが別にあったのだが。

 いま、そこに並んでいるのは、本棚。

 本棚ばかり。

 その本棚のあいだに、小さい机があって、その上に大きいモニターのパソコンが置いてある。机の前には、高校までの教室で使っていたような、小さめの木の椅子が置いてある。

 本棚にあるのは、お茶の木の栽培法、病害虫の本、草花の図鑑、植物学の辞典、なぜか猫の写真集、あと「肩の力を抜けばお金はもうかる」とか「人が集まる商店街、集まらない商店街」とか「会社に不祥事が起こるとき」とか、そのほか経営の本とか。

 水色とピンクのカバーのついた新しめの本から、渋い茶色に変色した紙箱に入った、百年前ぐらいの本まで……。

 そういえば、諫武と芳愛が一階に移ったということは、二階は、愛里の部屋以外はお父さんとお母さんの部屋ということだ。

 つまり、ここはお父さんの書斎だ。

 たしかに、本を置いて、パソコン作業をする専用の部屋がほしい、ということは、お父さんは言っていたけれど。

 感心している愛里を寒さが襲う!

 「うわっ」

 とりあえず、と思って、向かいの自分の部屋に退却する。

 暖かくてほっとする、と思ったのも、短い時間のあいだだけだった。

 うわーっ!

 暑い……。

 部屋の温度が二八度とかなのだろう。

 でも、夏、ほんとうに水着を着ていたころは……。

 いや、いまでも水着はほんとうに着ているのだけど。

 夏に泳ぐ目的とかで水着を着ていたころは、二八度でこんなに暑いとは感じなかったはず……。

 人間って、環境で体感が慣れるってほんとうなんだ、と実感する。

 さて、どうしたものか。

 とりあえずベッドに腰を下ろす。

 やっぱり、洗濯かごに入れた服をもう一回着ようか、と考える。

 考えていたところに、扉を叩く音がして

「お姉ちゃん」

と呼ぶ妹の声がした。

 立って扉を開けてみると。

 まだ水着姿のままの妹が廊下に立っている!

 まっ赤な水着を着て、寒そうに体を縮めている。

 「芳愛ねえ」

 愛里が言う。

 「せめてさっき着てた半纏はんてんぐらい着て来なさいよ」

 「あっ。ああっ。そうだった」

 ……声まで、とても心細そうになっている。

 「でも、お姉ちゃん、着る服、二階になかったでしょ?」

 気がついて姉を追ってきてくれた、けなげな妹!

 「うん」

 その妹に対して、われながら機械的で無情な反応だと思うけど。

 「お姉ちゃんの服、一階だから。階段の向こうの納戸なんどのところだから」

 そう言って、妹は腕を握って姉を廊下に引っぱり出す!

 姉のために早く服を見つけてあげなければ、という思いはありがたいのだが。

 自分も廊下の寒い空気に水着姿をさらしている自己犠牲精神はよいと思うのだが!

 寒いところから暑いところに入って、ようやくその暑さを実感し始めたところで、また氷点下に近い寒さに逆戻り……。

 ……寒暖差が体に悪い、という事実を、いま愛里は実感している。

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