第5話 廊下の奥

 音は一階からだ。

 一気に体が冷える。

 内側から水着にしみた汗がすーっと冷たくなる。水着から出ている首筋や肩のところも冷たくなる。

 愛里えりは迷った。

 このまま部屋に戻って様子を見ようか?

 しかし、二階の部屋は換気窓が廊下側にあって、そこから室内の光が漏れる。電気を消さなければ隠れ通すことはできない。真っ暗にしたところで、エアコンの音でここにだれかがいるのはわかってしまう。

 それに、たとえば猫が侵入したとか、棚に不安定に置いてあった何かが落ちたとかいうことなら、そうやって隠れているのはばからしい。

 状況がわからないのに隠れるのは、愛里のしょうに合わない。

 愛里は、そっと階段を降りて一階の様子を見に行くことにした。

 さっきの音は、どこかのドアが閉まった音、または、ドアか床かに何かがぶつかった音のようだった。

 悪の何者かだったとき、どうしよう?

 自分の部屋に戻り、ドアに鍵をかけ、それでも相手が入ってこようとしたら、窓から逃げよう。

 窓の下は一階のベランダの屋根だ。そこからべば隣の畑に降りられる。

 ちょっと高いし、下がよく見えないまま跳ぶのは怖いけど、大けがをすることはない。

 そのまま畑の向こうの家に助けを求めに駆け込めばいい。冬の夜中に水着の女が助けを求めれば、びっくりして戸を開けてくれるだろう。

 そう覚悟を決めて、音を立てずに階段を降りるのを実行する。

 まんなかを踏むと、階段の板がきしんで、ばん、と音がすることもある。

 だから端のほうを踏んでゆっくりと下りていく。

 音はさせなかったつもりだ。

 階段を降りて、階段を支えている柱に身を隠し、奥のほうを窺う。

 洗面所のほうの電気がついている。

 やっぱりだれかいるのだ。

 愛里はふーっと息をつく。胸の底で、心臓が、思ったよりゆっくりと音を立てているのに気づく。

 自分は慌ててない、と思う。

 それでいっそう落ち着くことができた。

 水を流す音がして、しばらくすると、どん、がらがらがらと、たてつけの悪いトイレのドアが開く音がした。

 ひとの家に大晦日おおみそかに侵入してトイレに入るとは。

 愛里はごくっとつばを飲む。

 がらがらがら、どん、と今度はトイレのドアが閉まる音だ。

 この緊迫した場面で、緊張感がない。

 そう感じたのが愛里の油断だった。

 相手はトイレと洗面所の明かりを消し、廊下が闇になる。

 ……と思ったとたんに、相手は廊下の電気をつけた!

 大晦日の深夜の侵入者のくせに、なんて大胆な!

 「あー」

 相手はぼんやりした女子の声で言った。

 「おねえちゃん、おかえりなさい……」

 そして、どん、と足を止めて、さっきより緊張感を高めた声で言う。

 「……って、お姉ちゃん、なにやってるの?」

 愛里の妹、芳愛よしえは、水着を着ている姉を、口を少しだけ開けてじっと見ていた。

 そう!

 この表情。

 愛里には絶対にできない、甘えた表情ができるのが、この妹のずるいところだ。

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