38.お手紙

 夕方近くになって、天気が非常に悪くなってしまった。

 分厚い雲から降り始めた雪は、次第に風を伴って強くなっている。


 ヘレンは馬車ではなく転移で帰るという。彼女も優秀な魔法使いなのだから、転移魔法もお手の物だ。

 またね、と可愛いウィンクをしてヘレンの姿は淡い光の中に消えていった。


 今日はずっとお喋りをしていた。

 楽しくて夕方になるのがあっという間だったくらいに。


 いま流行っているドレスのこと。新しく出来たカフェのこと。

 多少のゴシップと、ヘレンが最近見たお芝居のこと……。


 充足感に包まれて、わたしはサロンのソファーに深く座り直した。

 ポットにはもう少し紅茶が残っている。まだ温かいそれをカップに注いで飲んでみるけれど、少し渋みが出てきている。


 それを飲みながら、ぼんやりと窓向こうの景色を見ていたら、サロンのドアがノックされた。

 返事をすると銀トレイを持ったユリウスが入室してくる。


「奥様、お手紙が届いております」

「お手紙?」


 わたしに、手紙。

 手紙を送ってくれるような親しい友人もいないのだけど……と、そんな事を考えて少し物寂しくなってしまう。


 銀トレイに載せられていた手紙は二通。

 一通は学院時代の同級生。もう一通は──先日の夜会でご一緒したデラリア侯爵のお孫さん、アリス様からだった。


 早速アリス様からの手紙を開けてみると、可愛らしいけれど丁寧に書いて下さったのが分かる字が並んでいた。

 先日の夜会で、一緒にスイーツを食べたのがとても楽しかったとのお礼のお手紙だった。今度一緒に、カフェで苺スイーツを食べましょうとお誘いも頂いている。


「ユリウス、わたしにお友達が出来そうよ」

「それはようございました」


 嬉しくて報告すると、ユリウスもにこにこと微笑んでくれる。

 早速お返事を書きたいところだけど、もう一通の手紙も確認しよう。


 そう思って、手紙を開く。

 同級生からのお手紙は、お茶会へのお誘いだった。


 同級生であるエヴァはオールセン伯爵家に嫁いでいるらしい。

 先日のデラリア家での夜会でわたしを見かけたのだけど、お話が出来なかったから是非お茶でも……との内容だった。


「お茶会……どうしようかしら」

「お出掛けになる際のデイドレスなど、すぐにご用意できますが」

「ええ、ありがとう。オールセン伯爵家に嫁いでいる同級生からのお誘いなの。ルーファスに聞いてみるわね」


 アイリス様がわたしの部屋を荒らしてしまったので、いま、わたしは客間のひとつを使っている。この機会にわたしとルーファスの部屋を隣にするべく、改装工事も進めるらしい。

 ドレスやアクセサリーなどもミラがすぐに手配をしてくれたおかげで、出掛けるのに困る事はない。

 ヘレンもメゾンのドレスをわたし用に直してくれると言っていたから、甘えようと思っている。


「でもわたしとオールセン伯爵夫人って、そんなに交流があったわけじゃないのよね。大人になったら付き合い方も変わるのかしら」

「お互いご夫人になられたのですし、また違ったお付き合いが出来るのかもしれませんね」

「そうね。いい機会だから交友関係も広げようかしら。ちょっと部屋に戻って、お手紙のお返事を書いてくるわ」

「かしこまりました。ミラを呼びますか?」

「ええ。前の部屋の引き出しから、レターセットを持ってくるようお願いしてくれる? 無事だったらの話だけど」

「かしこまりました。もし使えないようでしたら、新しいものをご用意致します」


 手紙を纏めて持ったわたしは、ユリウスに見送られてサロンを後にした。

 お手紙の書き出しはどんなものにしようか。そんな事を考えながら部屋に向かうわたしの足取りは軽かった。


*****


 お返事を書いて、ルーファスを出迎えて、夕食を頂いて──わたしはルーファスの私室にいた。


「ねぇルーファス、この本も借りていい?」

「もちろん。そのシリーズの新作なら図書室にもあるぞ」

「これを読んだら、次は図書室に向かうわ」


 ルーファスの部屋には大きな本棚がある。

 専門的な難しいものもあれば、娯楽小説も並んでいる。ちぐはぐにも見えるけれど、なんだかルーファスらしい本棚だと思った。


 わたしの部屋にあった本はもう読めなくなっているものもあった。

 読み途中だった推理小説があったのにと夕食の席で零したら、なんとそれをルーファスも持っていたのだから驚きだ。

 でも元々、学院時代にルーファスが読んでいたのを見て、わたしもそのお話に興味を持ったのだから、彼がそのシリーズを揃えているのも当然なのかもしれない。


 続きが気になっていた本が読める。嬉しくて本を胸に抱いていると、ソファーに座るルーファスが手招きをしてくる。

 誘われるままに彼の隣に座ると、抱いていた本を取られてテーブルへと置かれてしまった。

 そのテーブルには紅茶が用意されている。湯気に混ざってお酒の匂いがするのは、先程彼がブランデーを垂らしてくれたからだろう。


「サフィア、君に嫌な事を思い出させてしまうんだが……」


 わたしの肩に片腕を回して抱き寄せながら、言いにくそうに彼が言葉を紡ぐ。

 それだけでわたしは分かってしまった。夜会の、ロータルの話をしようとしているのだと。


「夜会の事ね?」

「ああ。ヘレンに君が絡まれたと聞いて、気が気じゃなかった。君が嫌でなければ、何を言われたのか教えて欲しい」


 何を言われたのか。

 ……あの時ロータルが口にしていたのは、わたしの理解が追い付かない不可解な事ばかりだった。それをルーファスに聞かせたら、彼も嫌な気持ちになってしまうんじゃないだろうか。


 わたしのそんな逡巡を目にしたルーファスが、わたしの事を強く抱き寄せる。


「俺が嫌な思いをするとか、そういう気遣いは不要だ。君が言われた事を俺にも共有してほしい」


 乞い願う声は、わたしの事を案じているように固い。

 彼の胸元に頭を寄せながら視線を上げると、心配そうな赤い瞳と目が合った。


 誤魔化しも、隠す事も、彼には出来ない。

 聡い彼はそれに気付くだろうし、無用な隠し事は彼の事を傷付けるだけだ。


 だからわたしは、口を開いた。


「えぇと……色々言われたんだけど、まずは『俺との婚約が破談になって、やけになって結婚したのか』だったかしら。まだ家にいるのか聞かれたから、結婚したと伝えたらそんな事を言われたんだけど……」


 それから、と続けようとしたけれど叶わなかった。


 赤い瞳が静かな怒りを湛えている。

 苦笑いを漏らしたわたしは、寄り添っていた体勢から体を起こした。紅茶のカップをひとつ取り、彼に渡す。自分のカップも同じように持って、一口飲んだ。


 喉が熱い。お酒はそのまま胸に落ちて、ぽかぽかと体を温めている。

 この熱が治まったら、また次の話をしよう。そう思いながらまた紅茶を口にする。


 ルーファスも同じように紅茶を飲んで、少し落ち着きを取り戻しているようだった。

 彼は……わたしの事になるとすぐに感情を露わにする。


 大事にされているからだ。それを実感したら、顔が熱くなったけれど……これはきっとお酒のせいじゃなかったと思う。

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