39.いつも傍に
また紅茶を一口飲む。
お腹の辺りで広がるお酒の熱が落ち着いてから、わたしは口を開いた。
「怒らないで聞いていてよ? ええと……あと言われたのは、『結婚相手は碌でもない男だろう』とか『俺の元に戻ってきていい』とか『やり直そう』とか。……もう、怒らないでって言ったじゃない」
わたしの言葉を聞く度に、ルーファスの纏う気配が怒りに満ちていく。
苦笑いを零しながら彼の肩に頭を預けると、深い溜息をついたルーファスがわたしの肩を抱いてくれた。
「そのつもりでいたんだが。……俺が一緒に居たら、その場で殺していたかもしれない」
「あなたが居なくて良かったのかも。でもあなたがわたしの傍に居たら、そんな事を言う為に近付いてこなかったかしら」
「タイミングの悪さが嫌になるよ」
「誰のせいでもないわ。それに、あの人の事を見ても……わたし、心がちっとも動かなかったの。それを知る事が出来たのは、良かったのかもしれない」
わたしの肩から手を離したルーファスは、その手でわたしの持っていたカップを取り上げてしまう。それをテーブルに戻してから、わたしの体を両腕に包み込んだ。
ぎゅうぎゅうに抱き締められて、苦しいのに──嬉しい。
わたしも彼の腰に両腕を回して、自分からも抱き着いた。鼓動が聞こえるくらいに近付いて。
「君が夜会に出る時はもちろん、外出する時も傍に張り付いていたいくらいだ」
「ふふ、そんなの注目を浴びてしまうわ。そういえばね、今日お手紙を頂いたのよ」
「手紙?」
わたしを抱き締める彼の手が少し緩む。
それでも彼の胸に頭を寄せたまま、視線だけを上げると先程までの怒りが少し薄らいでいるようにも見えた。
「デラリア侯爵のお孫さん。アリス様っていうのだけど、夜会で一緒にスイーツを頂いていたの。そのお礼と、今度一緒にカフェに行きましょうってお誘い。とっても可愛いお友達が出来そうなのよ」
「それは良かったな。カフェもいいし、うちに招いてもいいし、サフィアの好きなように交流を深めるといい」
「ありがとう。それともう一通……学院で一緒だったエヴァを覚えている? 彼女、いまはオールセン伯爵家に嫁いでいるそうなんだけど」
ルーファスの赤い瞳が、思案するように宙に向く。思い出したのか小さく頷いた彼が、またわたしの事を視界に捉えた。
「彼女からお茶会のお誘いが届いたの。デラリア家での夜会でわたしを見かけたそうなんだけど、話しかけられなかったって。お話出来なかったから、お茶でもいかがって招待なんだけど……行ってもいいかしら」
「もちろん。ミラを連れていくのを忘れないようにな」
「ええ」
「ドレスは間に合いそうか?」
「ミラが手配してくれているし、ヘレンがメゾンのものをわたし用に仕立ててくれるっていうし、大丈夫よ」
「そうか。足りないものがあれば、遠慮なく頼んでいいぞ」
甘やかされているのを実感しながら頷いた。
思えば彼はいつだって、こうしてわたしの事を甘やかしていた気がする。
学院時代だって、わたしが引きこもっている時だって、契約結婚の時だって。
甘やかされて、心配されて、守られていたのかもしれない──ずっと。
それに気付いて、胸の奥で彼への気持ちが溢れていくのがわかった。
言葉でいくら伝えたって足りない。だから、わたしからぎゅっと抱き着いた。
わたしの気持ちを知っているかのように、ルーファスが笑み綻ぶ。その美しさに見惚れてしまうけれど、この表情を向けられるにはわたしだけだ。
そんな仄暗い独占欲を心の奥に隠したわたしの額に、ルーファスがそっと口付けた。
「君に渡したいものがあるんだった」
「渡したいもの?」
何だろう、と思いながら抱き着く腕をそっと下ろす。
彼と触れていた場所がまだぽかぽかと熱を残している。
ルーファスはソファーを離れると、本棚の隣にあるキャビネットへと向かった。その引き出しを開け、小さな箱を取り出している。
またソファーに戻りながら、彼は小箱を開けて中からブレスレットを取り出した。
細い銀鎖に、赤い魔石が輝く華奢なブレスレットだった。
「可愛い。これは……魔導具ね?」
「ご名答。魔力を流せば、君の居る場所の会話が俺にも聞こえるようになっている。もちろん魔力が流れないとそんな事にはならないから、安心してくれ」
「わたしに何か危険な事がおきたら、あなたに助けを求められるようにっていう事ね?」
「ああ。屋敷内で危険な目に遭うような事はもうないだろうが、外に出ると何があるか分からないからな。俺がずっと傍についていられたらいいんだが……」
「ふふ、ありがとう。これがあれば何も怖くないわ」
彼に向かって左手を差し出すと、ブレスレットの金具を外したルーファスがそれをわたしの手首に着けてくれる。着けているのを忘れそうなくらいに軽い。
華奢で美しいこのブレスレットが魔導具だとは分からないだろう。
「……君の元婚約者はまだ帰国していないらしい」
「そうなの? 何の用があって……」
もしかしたら、その用とはわたしだろうか。
「君だろうな」
自意識過剰かと口に出せなかったそれを、ルーファスは簡単に言葉にする。
「元婚約者は、君と別れてから何もかもがうまくいっていないようでね」
「そうなの?」
「浮気をして婚約破棄をつきつけるだなんて事を認めている人はいないという事さ。勤めている騎士団でも爪弾きにされているらしい。浮気相手とも拗れているみたいだ」
「どこでそんな情報を仕入れてくるのかしら」
「色々と伝手があってね」
教えてくれるつもりはなさそうだけれど、きっとその情報に間違いはないのだろう。
ロータルも想い人の事を悪し様に言っていたから。
だからって、わたしがロータルの所に戻るわけがないのだけど。
きっぱりと拒否する言葉を言ったけれど、それが真っ直ぐに届いていたかはあやしいところだ。
「サフィア、何があっても君の事は俺が守る。だからどうか、俺から離れないで欲しい」
「わたしはあなたの事が好きで、あなたもわたしを想ってくれている。それが分かった今、離れる理由なんてないもの」
どこか不安気に揺れていた赤い瞳が、ほっとしたように細められる。
そんな彼が愛おしくて、彼の左手をそっと取った。薬指に描かれたマーガレットとラベンダーに唇を寄せる。
「愛してるわ」
「君は……っ!」
どこか焦りを帯びたような彼の声に、目を瞬いた瞬間──わたしはソファーに横たわっていた。
覆い被さるルーファスの銀髪が、わたしの顔に触れそうになる程に、距離が近い。
「煽ってくれるな、本当に」
そんな言葉を形取った彼の唇が、わたしの頬に触れて唇へと移動する。
噛みつくような口付けから逃れる事なんて出来なくて。
彼の首に両腕を絡めて、引き寄せた。
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