37.お茶会は甘い香り

 ルーファスと想いが重なって、なんだか心がふわふわする。

 嬉しくて、幸せ。

 夕方にはまたルーファスが帰ってくるのに、そわそわしてしまって落ち着かない。早く会いたい、なんて恋に浮かれてしまっているみたいで恥ずかしいと思う。


 サロンでお茶を飲みながら、わたしは自分の唇にそっと触れた。

 まだ、口付けの温もりが残っているみたいだ。胸の奥が切なく疼いて、顔が赤くなるのを自覚した。


 これじゃいけない。

 今日はヘレンと会うのだから、こんなだらしない顔を見せるわけにはいかないもの。


 自分にそう言い聞かせて深呼吸を繰り返すけれど、わたしを見るミラがにこにこと笑っているから、まだわたしの顔は緩んでいるのかもしれない。


*****


「ごきげんよう、サフィア! 今日はお招きありがとう!」


 約束の時間になって、ヘレンが屋敷を訪ねてくれた。

 サロンで彼女を出迎えたわたしは、自分の隣に座るよう促した。学院時代もよくこうやって、二人並んでお喋りをしたものだ。


 ミラはテーブルにお茶の準備をして、サロンを後にする。

 いつものようにテーブルに置かれた金色のベルが、暖炉の火に照らされて煌めいた。


「急なお誘いだったのに、来てくれてありがとう」

「ううん、誘ってくれて嬉しいわ。それに……何かいい事があったんでしょう? 顔を見たら分かるわ」

「え? 嘘でしょう?」


 指摘に顔が赤くなるのが分かる。頬に手を当ててみても、その手だって熱い。魔法で冷やそうかなんて本気で考えていると、ヘレンがくすくすと笑っている。


「なんだか幸せそうなの。見ているこっちまで、にこにこしてしまうくらいにね」


 そう言うヘレンも、言葉通り嬉しそうに笑っている。眼鏡の奥でヘーゼルの瞳が細められた。


 わたしはテーブル上のカップを取って口に寄せた。今日は桃の紅茶が用意されている。桃の甘い香りがふんわり立ち上る。

 一口飲むと、何も足さなくても充分に甘くて美味しい。ガラスのポットには、カットされた桃が紅茶に沈んでいて、まるで花のようにも見えた。熱を保つ魔導具の上に置いてあるから、ほどよい温度で長く楽しめるのも嬉しい。


「あのね、わたし……ルーファスの事が好きになってしまって」

「うんうん」

「それでね、色々あって……昨日、ルーファスもわたしの事を好きだって言ってくれて……」

「やっと言ったのね!」

「ヘレンは知っていたの?」


 わたしと同じようにカップを手にして紅茶を楽しんでいたヘレンが、大きな声をあげる。それにびっくりしてしまったけれど、彼女が本当に嬉しそうに笑っているものだから、つられるようにわたしも笑ってしまった。


「私は学院時代から、ルーファスがあなたを想っているのを知っていたのよ」

「そうだったの? じゃあ、ルーファスの初恋の人の話をあなたに聞いた時に隠したのは……」

「あの時はごめんなさい。あなたが不安に思ったのも分かっていたんだけど、ルーファスが何も言わない以上は私からも口に出来なくて」

「それはそうよね。いいの、わたしこそ言いにくい事を聞いてしまったから」


 花の描かれたソーサーに揃いのカップを戻す。わたしはカンパニュラ、ヘレンのカップには青い薔薇が描かれている。


「私、あなた達が契約結婚をするって話を聞いた時に言ったでしょう。ルーファスにとってもあなたにとっても、きっとこれで良かったって」

「確かに言っていたわ。あなた……もしかしてこうなる事が分かっていたの?」

「サフィアの気持ちを計り知る事は出来なかったわよ。でもあの男が貴方に振り向いて貰う為に努力をするだろうとは思っていたし、それが叶うといいなとは思っていたわ。もしそうならなくても、ルーファスはサフィアを一生大事にする事は分かっていたし、あの時は……これが最善なんじゃないかって思っていただけよ」

「あなたの思う通りになったって事ね」

「私がそうなればいいなと思っていたのは、あなた達が幸せになる事よ。二人とも、私の大切な友人なんだもの」


 そう優しく笑うヘレンの様子に、なんだか目の奥が熱くなる。

 涙を堪えたくても、昂る気持ちに押し出されるように、浮かんだ涙は頬を伝った。


「ごめんなさい。何だか嬉しくて」

「やだ、あなたが泣いたら私まで泣いちゃうじゃない」


 そう言いながら、眼鏡をずらしたヘレンも指先で涙を拭っている。二人で泣いている今の状態が何だかおかしくて、わたし達は顔を見合わせて笑って──そして、やっぱりまた泣いた。



「そういえば、ルーファスに夜会の事を教えてくれてありがとう」


 涙も落ち着いて、また紅茶を一口飲んでからわたしは話を切り出した。

 彼女がルーファスに知らせてくれたから、昨日彼は早く帰ってきてくれたのだ。まだ夜会の事について話が出来ていないけれど、帰ってきてくれたおかげでアイリス様の件も片付いた。


「あなたはきっと、帰ってきてから伝えようとしているんじゃないかと思って」

「その通りよ」

「あの男にとって一番大切なのはあなたなんだから、苦しい時とかは頼ったらいいのよ」

「ふふ、そうね。これからはそうするわ」


 わたしの返事に満足そうに頷いたヘレンが、テーブル上に用意されたお茶菓子に手を伸ばす。

 今日も苺だらけのお茶菓子だった。タルト、シュークリーム、パイ、ケーキ、ムース……どれも食べやすいくらいの大きさで、全種類を食べる事が出来るように配慮されている。


 ヘレンが選んだのはケーキ。

 小さな四角に切り分けられたケーキはクリームと、チョコレートの二種類がある。どちらも上に艶めく苺が飾られていて可愛らしい。


「それに、夜会の時も。わたしとロータルの間に入ってくれてありがとう」

「いいのよ。もっと早くに気付けたら良かったんだけど……」

「ううん。まさか彼が来ているだなんて思わなかったもの」

「そうね。でもあなたもとても立派だったわよ。毅然として凛としていて、とっても美しかったわ」

「ありがとう。ロータルに会ったら、みじめだった自分を思い出してしまうんじゃないかと思っていたの。でも……意外とそんな事はなくて。彼はもうわたしの中で過去の人になっていたのね」

「そうよ。あなたが世界を取り戻した時、きっともう過去の事だと思えるようになったんだわ」


 あの冬の日。

 世界が色付いて、くぐもっていた音がはっきりと聞こえるようになったあの時。


 きっとわたしは生まれ変わったのだ。

 過去を過去だと整理して、前を向いて歩き出せたあの日の事をきっとこれからも忘れない。


「もう元婚約者に会う事もないだろうけれど、もし万が一、何かの拍子で会ってしまう事があったとしても。あなたなら大丈夫よ」

「ええ、わたしもそう思えるわ」

「まぁそんな事はルーファスが許さないと思うけれど」


 お皿にタルトを取りながら、わたしは首を傾げた。


「あなたの目に映るのは、自分だけでいいって思っているのよ。あの男は」

「なぁにそれ」


 くすくすと笑いながらも、ルーファスのあの美しい赤瞳に自分だけが映っている事を想像してしまった。くらりとしてしまうくらいに魅力的な想像で……自分の瞳に彼だけが映るのも、悪くないんじゃないかと思ってしまった。


「……あなた達が幸せそうでなによりだわ」


 わたしの心を読んだように、ヘレンが呆れたように笑う。でもその笑みはいつものように優しくて。

 わたしはお皿をテーブルに戻して、ヘレンの肩に頭を預けた。

 学院時代もよくこうして寄り添いながら、お喋りを楽しんだものだ。


 ヘレンもわたしの頭に自分の頭を寄せてくる。


「大好きよ、ヘレン」

「ルーファスには内緒にしておくわ。私達が相思相愛だって事はね」


 冗談めかすヘレンに、わたしも笑った。

 ヘレンがいてくれて良かった。また涙が浮かびそうになって、瞬きでそれを誤魔化した。


 お茶会は、まだこれから。

 部屋の中は桃と苺の甘い香りで満たされていた。

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