34.想いを零して

 応接室にて。

 ソファーにはわたしとルーファスが並んで座り、彼の腕はわたしの腰にしっかりと回っている。

 向かい合うソファーにはアイリス様とデンドラム夫人が座っていて、彼女達の背後には二人の衛兵が見張りの為に立っていた。


「ルーファス、一体何のつもりかしら」


 デンドラム夫人は不機嫌さを隠す事なく、ルーファスとわたしを睨みつけている。

 隣に座るアイリス様は、もう髪から水は滴っていないけれど相変わらず濡れたままだ。この部屋は暖かいから風邪をひく事はないだろうけれど、やりすぎてしまったかと……ほんの少しだけ申し訳なく思ってきた。


 アイリス様はぽろぽろと涙を零している。

 庇護欲をそそるような美しい姿だけど、ルーファスも衛兵達も彼女を気遣う事は一度もなかった。


「何のつもり、ですか。犯罪者を捕えただけですが、何か問題でも?」

「犯罪者!? 馬鹿な事を言わないで頂戴!」

「アイリスは出入り禁止にしたはずですが、まぁそれは今回限り不問にしましょう。叔母上と一緒という事で、妻に拒む事は出来なかった……というだけなんですが。罪というのはベルネージュ侯爵家の女主人の部屋を占拠し、部屋を荒らし、価値ある品々を破壊した事です。これらを罪と言わず、何と呼ぶおつもりですか」

「別に怪我をさせたわけじゃないもの、いいでしょう」


 デンドラム夫人が盛大な溜息をつく。ルーファスが小さく舌打ちをしたのが、距離の近いわたしにははっきりと聞こえてしまった。


「いいわけないでしょう。叔母上は馬鹿ですか」

「ルーファス! 口を慎みなさい!」

「慎むのはあなたの方です、シビル・デンドラム。ベルネージュ侯爵家はデンドラム家に対して賠償金と慰謝料を請求します」

「何ですって!?」

「あなた達はベルネージュ夫人である俺の妻を侮辱した。アイリスがだめにしたドレスやアクセサリー、それから部屋の修繕費も請求するのは当然でしょう」

「あのね、わたくしはサフィアさんをベルネージュ夫人と認めないの。お部屋をだめにしてしまったのも、アイリスちゃんの可愛いヤキモチじゃないの」


 デンドラム夫人はまるで子どもに言い聞かせるかのように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。アイリス様は泣きながらもその言葉に同意して、うんうんと何度も頷いていた。


「……あなたに認められなくとも、サフィアがベルネージュ夫人である事に変わりはありません。俺はサフィアを愛しています。他の誰もサフィアの代わりなんて出来ないし、何があっても俺はサフィアを手放さない」


 こんな時だと言うのに、睦言に鼓動が跳ねてしまう。

 これが本当の気持ちなのか、それとも契約結婚を持続させるためのものなのか。それはもう、考えられなかった。


「叔母上、あなたをベルネージュ侯爵家から除籍とします」

「はぁ!? 何を言っているの!」

「俺はベルネージュ侯爵。現当主です。あなたはベルネージュ侯爵家に相応しくありません。デンドラム子爵に離縁されたとしても、戻る家はありませんので承知しておいてください」

「そんな、兄様が許すわけないわ……」

「聞いていましたか? 俺が、現当主です」


 ルーファスが本気で言っている事に、デンドラム夫人も気付いたのだろう。その顔色は蒼白となって、浅く短い呼吸を繰り返している。

 いつの間にか泣き止んでいたアイリス様は、わたしの事をきつく睨んでいた。


「あなたのせいよ! あなたがベルネージュ家に来るから、私達は不幸になったんだわ!」

「いえ、わたしは関係ないかと。わたしではない誰かが嫁いできたとして、あなた達は同じ事を繰り返したでしょう」

「君じゃない誰かなら、この家に嫁いでくる事はないんだが」

「もう、今はそういう話をしていないわ」


 腰をきつく抱き寄せられて、先程よりも彼にくっついてしまう。問題なのは、恥ずかしいのは別として、わたしがそれを望んでいるという事なのかもしれない。

 わたしの髪に頬を擦り寄せながら笑うルーファスの姿に、アイリス様が目を見開いた。


「こういう結末を迎える事になったのは、あなた達がそれを選んだのです」

「だって……私は、ルーファス兄様のお嫁さんに……」

「それだって断られ続けていたでしょう。人を好きになる気持ちは尊いものですが、押し付けるのは好意でなくて執着です」


 アイリス様に向かってそう言葉を紡ぐと、隣のルーファスが低く呻いた。

 何かおかしなことを言ってしまっただろうか。……偉そうだったかもしれない。多少の気恥ずかしさを空咳で誤魔化すも、もうアイリス様はわたしの話を聞くつもりはないようだった。

 ピンクの瞳からまた涙が溢れている。でもそれは……先程までのものと違うように思えた。わたしがそう、勝手に思っているだけかもしれないけれど。



 あの後。

 急いでやってきたデンドラム子爵によって、デンドラム夫人とアイリス様は連れていかれた。

 この後に二人がどうなるかは分からない。子爵は気の毒になるくらいに蒼褪めた顔をしていて何度もルーファスに対して謝罪の言葉を口にしていた。

 賠償金は請求する事になる。でも慰謝料はいらないと、ルーファスを介してそれを伝えて貰った。その代わり、もう関わりたくないと。


 賠償金額を見た子爵は気の毒になるくらいに顔色を悪くして、従者に支えられて何とか立っているような状況だった。



 子爵家の馬車を見送って、さて、諸々の手配を……と思ったのに。

 わたしはルーファスに抱き上げられてサロンへと連れてこられていた。


「ルーファス? お義父様へ事情を説明しないと……」

「後でいい。それよりも君と話す方が大事だ」

「帰ってきたら話をしようって、そう言っていたものね」


 サロンのソファーにぴったりとくっついて座る。距離を取ろうとしても、しっかりと腰を抱かれていてはそれも叶わない。


「サフィア、分かっているだろう?」


 ……分かってる。

 その話ではなくて、わたしが離縁に同意するという誓約書の話だろう。


 誤魔化そうとしても、やっぱり無駄だった。


「どうしてそんなものを用意する事になったのか、教えてほしい」


 願う言葉を口にしながら、拒む事なんて許さないだろう。

 わたしを見つめる赤の瞳から逃れられずに、わたしはゆっくりと口を開いた。


「……あなたが、愛する人と一緒になりたいと思った時……わたしの存在が枷になってしまうと思って。あなたが離縁したいと思っても、わたしがそれを阻む事のないように……自分に言い聞かせる意味で持っていたのよ」

「どうしてそんな考えに至るんだ」


 深く溜息をついたルーファスは、わたしの事を腕の中に閉じ込めた。

 今までにないくらい、きつく、強く。

 ぎゅうぎゅうに抱き締められて苦しいのに、幸せな気持ちが胸いっぱいに広がっていく。


 好き。

 ルーファスが好き。

 本当はずっと彼と一緒に居たい。彼の隣に居るのは、わたしだけであってほしい。

 これからもずっと。


 胸が切なくて、目の奥がじんわりと熱くなった。


 


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