28.隠されて

 ルーファスと目が合わせられない。

 あの優しい眼差しを向けられるのが辛いから。

 それが自分に向けられているという事に、罪悪感を抱いてしまうから。


 いつも通りに過ごせていると思う。

 見送りも出迎えも、夕食の席も。ミラは時々気遣わし気な視線を送ってくるけれど、ルーファスに言わないでくれているらしい。


 夕食後の時間は、サロンで本を読む事が増えた。

 ルーファスも一緒に居てくれるけれど、本を読んでいるわたしに話しかけたりしない。彼も本を読んだり、仕事をしたり……二人それぞれ、思い思いの事をしている。


 本に逃げるのは申し訳ないと思うけれど……こうでもしないと、夕食後は部屋に閉じこもってしまいそうだから。


「顔色が悪いが……体調を崩していないか?」

「大丈夫よ。あなたの方こそ疲れた顔をしているけれど……」

「少し忙しいんだが、俺は問題ない。君は無理をしていそうで心配なんだ」

「ふふ、具合が悪くなったらすぐに言うわ。あなたに隠すなんて出来ないもの」

「そうしてくれると有難い」


 ああ、お願い。

 優しくしないでほしい。これ以上、彼に心を寄せてしまう事のないように。


 胸の奥がずきんと痛む。

 おかしな話だ。契約結婚なんだから、愛を求めるわたしの方が間違っている。

 彼は契約を果たしてくれている。わたしもそうしなければならない。


 でも……ルーファスはわたしの友人で、大切な人だから。

 出来るなら彼の恋が叶えばいいと思う。偽善のようだけど、切ないけれど、でもこの気持ちも本当の事。



 *****


 次の日、ベルネージュ家を訪ねてきてくれたのはヘレンだった。

 ドレスのデザイン画を見せてくれるという事で、それも凄く嬉しいんだけれど……彼女とお喋りをするというのも楽しみだった。


 今日のお茶会場所は温室の中。穏やかな陽射しが降り注いで、心地よい温度に保たれている。

 テーブルに掛かっている白いクロスの端には、わたしが鳥を刺繍した。一輪の花を口にくわえた赤い鳥。


「ごきげんよう、サフィア。とても素敵な温室ね!」

「いらっしゃい。わたしのお気に入りの場所なの。あなたも気に入ってくれたら嬉しいわ」


 ユリウスがヘレンを案内して、下がっていく。ミラもコーヒーやお茶菓子を準備した後、一礼を残して去っていった。テーブルの上には魔導具のベルが置いてあるから、何かあれば来てくれる。

 温かなコーヒー、生クリームと苺の添えられたシフォンケーキ、仄かに漂う花の香り。そのどれもに心が弾む。


「デイドレスの新作デザインが出来たから、サフィアに見て貰いたいと思ったの。マーメイドラインのスカートが可愛いと思っているんだけど、どうかしら」


 席に着いて早速、ヘレンが大きなバッグから何枚ものデザイン画を取り出して見せてくれる。

 様々な色で描かれた新しいドレスは、見ているだけでわくわくしてしまった。


「ヘレンの言う通りね。マーメイドラインが素敵だわ。このフリルもとっても素敵。袖は……膨らんでいるのね。それって結構前の流行りじゃなかった?」

「そうなの。でもこのスカートラインにはこの袖が似合うんじゃないかと思って。また流行らせるのもいいじゃない?」


 そう言って片目を閉じて見せるヘレンは自信に満ちていて、きらきらと眩いくらいに輝いている。彼女はいつだって真っ直ぐで、自分の好きな事を曲げなくて……わたしはそんな彼女に憧れていた。


「サフィアは自分が着るなら、どのドレスがいい?」

「そうね……この淡い紅色のドレスかしら。袖のレースも、襟元の刺繍も素敵だから」

「じゃあこれをサフィアの為に作るわ。これを着てルーファスとデートして、新しい流行を作るのを手伝って頂戴」

「ふふ、ありがとう。お代はちゃんと請求してね。お友達価格じゃなくて、正規の値段を」


 そう言っても、ヘレンはただ笑うばかり。

 デザイン画をファイルに挟んでからバッグにしまったヘレンは、まだ湯気の立っているカップにたっぷりのミルクを注いだ。勢いよく沈んだミルクが、花咲くようにカップの中で混ざっていくのが綺麗だと思った。


「ねぇ、ヴィント殿下に招待された舞台を見て来たんでしょう? どうだった?」

「とっても素敵だったわよ。何を言ってもネタばらしになってしまうから言えないんだけど……また見たいと思うくらいに美しいお話だったわ」

「いいわねぇ。チケットは取れたんだけど、まだ先の公演日なの」

「それは待ち遠しいわね。でも楽しみな時間が長いのも、わくわくするかもしれないわ」


 カップを口に寄せながら、わたしは小さく頷いた。

 お砂糖もミルクも入れていないから、爽やかな苦味が口に広がる。後に残る酸味は花を思い浮かばせるような華やかさで、とても美味しい。


 舞台の事を話していて、また……あの夜の事を思い出してしまう。

 ルーファスに、初恋の人がいると耳にしてしまったあの夜の事。


 そうだ。

 もしかしたらヘレンはそれを知っているんじゃないだろうか。

 わたしは気付けなかったけれど、ヘレンはよく周りを見ているし、些細な変化にも気付く程に繊細な人だから。


「ねぇ、ヘレン」

「なぁに?」


 一口サイズに切り分けたシフォンケーキにたっぷりのクリームを纏わせながら、ヘレンが首を傾げて見せる。

 わたしはカップをソーサーに戻してから、口を開いた。指先が少し震えているのは、怖いからかもしれない。


「……ルーファスに初恋の人がいるって、知っている?」

「え? どうして──」

『──それを』


 ヘレンの唇がそう動いた事に気付いてしまった。

 胸が苦しい。やっぱり、そうだったんだ。


「どうして、そんな事を思うの?」


 言いかけた言葉から、また次の言葉を繋いでヘレンが笑う。その眉が困ったように下がっているから、それ以上を掘り下げる事なんて出来なかった。


「そんな噂を聞いてしまったの。わたしは気付かなかったけれど、あなたなら何か知っているかと思って」

「そうなの。私も知らないわ。だって学院時代は女の影一つなかった男じゃない?」

「ふふ、そうよね」


 ヘレンは間違いなく何かを知っている。

 でもそれは……きっとわたしには言えない事なのだ。


 隠されたという悲しみよりも、聞く事が恐ろしかった。

 

「学院といえばね、このお屋敷で私についてくれている侍女も学院の侍女教育学科にいたんですって」

「そうだったのね。私達はあまり学舎から出なかったけど、今思えばもっと色々他の学舎を見たりしても良かったかもね」

「ええ。でもあの頃は本当に魔法が楽しかったから」

「今もでしょ。学校でも魔法を教えているんでしょう?」

「そうなの。わたし、サフィア先生って呼ばれているのよ」


 話が変わっていく。

 自分で聞いておきながら、それにほっとしたわたしはシフォンケーキに添えられている苺をフォークに刺して口に運んだ。

 大好きな苺。この温室でも育てられていて、もう少し実が大きくなったらわたしも収穫のお手伝いをさせて貰う予定だ。


 でも……今日の苺は少し酸っぱくて、何だかそれにもまた胸が痛んだ。

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