25.それは、嫉妬

 劇場の裏口に馬車がつけられる。

 裏口とはいえ扉が大きいのは、搬入口でもあるからなのだろうか。


 既に待っていた劇場職員に貴賓室へと案内される。居室の他にもう一部屋あって、ミラと一緒にそちらを覗くと支度部屋のようになっていた。

 そこにはドレスとアクセサリーが準備されていて、ミラも満足そうだった。


「サフィア、先に軽く食べよう」


 声を掛けられて居室に戻ると、正方形のテーブルに料理が並べられていた。

 馬車を任せてきたユリウスが給仕をしてくれたらしく、今はグラスに白ワインを注いでいる。


「これも手配してくれたのね」

「席に着いてからだと、食べるのも億劫になってしまうかもしれないから」

「ふふ、そうね。それに少しお腹が空いていたから嬉しいわ」


 席に座り、祈りを捧げる。


 今日は勤務日だったから、いつものようにおやつを食べる事が出来なかった。昼食はしっかり頂いたのだけど、おやつを食べるのがもう習慣になってしまっているのかもしれない。

 少しの空腹を訴えるお腹にそんな事を考えていると、向かいに座るルーファスがグラスを掲げた。

 わたしも同じようにグラスを掲げて乾杯をする。


 ワインはよく冷えていて、甘さは少なく後味はさっぱりしている。口いっぱいに広がる葡萄の香りが爽やかで、飲みやすいワインだった。

 用意されている食事は、セロリとタコのサラダ、ひよこ豆のトマト煮、ラムのグリル、牡蠣のオイル漬けには薄く切られたバゲットが添えられている。


 まず手が伸びたのは、大好きな牡蠣だ。煮ているからぷっくりと膨らんだそれを口に入れると、微かににんにくの香りがした。溢れる旨味に思わず吐息が漏れてしまう。

 添えられているバゲットにオイルを浸して食べると、やっぱり美味しい。


「サフィア、先程の事なんだが」

「先程?」


 ラムのグリルを切り分けながらルーファスが声を掛けてくる。何かを迷うような、言い淀むような様子が珍しい。


「マルベック子爵令息に食事に誘われていたが、ああいう話はよくあるのか?」

「いいえ、今回が初めてよ。今日は魔法の授業があったのだけど、それを見ていらしたんですって。魔法構築に感動したなんて言って下さったの」

「確かに君の魔法構築は美しいからな」

「ふふ、ありがとう。それで魔法を教えて貰えないかって、そういうお話だったのよ」

「そうか……」


 ひよこ豆をスプーンで掬って口に運んだ。とろりとしたトマトが豆に絡んで食べやすい。ほくほくとしたひよこ豆は甘くて、トマトの酸味と相俟ってとても美味しかった。


 それを食べながら、彼が何を言いたいのか考えてみる。

 マルベック先生が食事を、なんて口にしたのは魔法を教えて貰う為だ。先生に下心がない事は分かっているけれど……でも、知らない人から見たら不貞と思われるかもしれない。

 誘う先生も、断らないわたしも疑われておかしくないのだろう。


「ごめんなさい。既婚者の振る舞いとして相応しくなかったわね」

「いや、君は応えていたわけじゃない。あの令息もすぐに理解してくれただろうし、問題だとは思っていないんだが……。少し、いや……少しじゃないな。妬いた」


 妬いた。

 ルーファスの言葉を心の中で反芻する。


 妬く……ということは、わたしに対して、好意を抱いてくれているという事だろうか。

 そんな事を考えていたら、顔が赤くなっていくのが分かる。


 それをワインで誤魔化しながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。


「あの……」

「すまない、困らせたいわけじゃないんだ」

「ううん、困ってなんていなくて。その……ええと、何て言ったらいいか分からないんだけれど」


 グラスはいつの間にか空いてしまっている。誤魔化す為にはもう使えない。グラスをテーブルに戻してからルーファスへ目を向けると、その赤い瞳が不安に揺れているように思えた。


「あなたが他の方に誘われていたら……わたしも同じように思うわ」

「……サフィア?」

「他の方を誘っているのを見るのも、その……嫌だと思う」


 そう、嫉妬する。

 彼が誘われるのも嫌だけど、誘うのなんてもっと嫌。


「それは……」


 どこまでこの心を零していいのだろう。煩わしく思われたくない。

 彼が何かを言いかけているのに気付いていたけれど、この雰囲気を吹き飛ばすように食事へ集中する事にした。


「ねぇ、このトマト煮すごく美味しいわ。ラムはどう? 食べやすい?」

「……ああ、臭みが消えていて美味いよ。牡蠣のオイル煮は侯爵家うちから持ってきたものなんだが、口に合ったかな?」


 ラムのグリルを切り分けて口に入れる。

 彼の言う通りに臭みがなかった。ハーブの香りがほんのりと抜けていくから、そのおかげだろう。柔らかくてとても美味しい。


「じゃあお屋敷に帰っても、このオイル煮が食べられるの?」

「ああ。厨房でサフィアは牡蠣が好きだと言ったら、オイル煮以外にも用意すると張り切っていたぞ」


 このオイル煮だって美味しいのに、他にも?

 そんな贅沢いいんだろうか。浮足立つ心のままに笑みが零れた。


「嬉しい。厨房に何か差し入れしようかしら」

「美味そうに食べているだけでも彼らは喜ぶと思うが。だが使用人達に差し入れをするのも悪くないな」


 差し入れは何がいいだろう。

 そんな事を考えたり、楽しいお喋りをしながら食事をしていたら、お酒を飲んだ事もあってすっかりお腹がいっぱいになってしまった。

 飲みやすいからワインのお代わりも考えたけれど、これから舞台を見る事を思えばやめておいた方がよさそうだ。



 食事を終えたわたしは、別室でミラに支度をして貰った。

 食べ過ぎたからコルセットが苦しくなったらどうしようと思ったのだけど、今日はそこまで締め付けないでも大丈夫なドレスらしい。


 オフショルダーの黒いドレスは重ねられたレースと銀の刺繍が美しい。パニエを着ていないのにふんわりとしたスカートは腰から足首まで流れるように綺麗なラインを描いている。

 髪は複雑な形に結い上げられた。顔横の髪は編みこまれてうなじで纏められ、大きなガーネットがあしらわれた花を飾っている。

 イヤリングもネックレスにもガーネットが使われて、華やかな装いに仕上がっていた。


「今日もお綺麗です」

「ありがとう。このドレスいいわね、とっても素敵」

「旦那様が奥様の為に、新しくご購入されたものでございます」

「そうだったの? ルーファスってやっぱりセンスがいいのね」


 わたし以上に、わたしに似合うドレスが分かっているのではないだろうか。

 そんな事を思うと、胸の奥が温かくなってくる。わたしを理解してくれる事がこんなにも嬉しいなんて。


 緩んでしまう頬を触っていると、それを隠す為の扇をミラが渡してくれた。

 有難く扇を開いたけれど、鏡の中のわたしは幸せそうに微笑んでいるのは隠せそうになかった。

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