24.デートのお誘い

 ある日の夕方。

 学校での勤務を終えたわたしは、迎えが来るのを待っていた。

 今日も子ども達は可愛かった。「サフィア先生」と駆け寄ってくる子ども達の明るさに、こちらも元気を貰えるようだった。


 もうそろそろ馬車が到着する時間だろう。ミラと一緒に控室から玄関ホールまで出た時だった。


「ベルネージュ先生」


 声を掛けられて振り返ると同僚の先生がこちらに向かって歩いてくる。

 

「マルベック先生もお帰りの時間ですか?」

「いえ、僕はもう少しかかりそうです。ベルネージュ先生の今日の魔法授業を拝見させて頂いたのですが、流れるような魔法式の構築に感動しました!」

「まぁ、ありがとうございます」


 今日は初期魔法を教える授業があった。

 子ども達は既に習得しているものだけれど、練度を上げればもっと緻密な魔法操作が出来る事を教えていたのだ。

 魔法について褒められるのは、過去の努力を認められているみたいで恥ずかしいけれど嬉しく思う。


「僕にもぜひあの魔法構築を教えて頂けないかと!」

「もちろん構いませんわ。ですが今日はもう迎えが参りますので、また次の勤務日でも?」

「それなら僕が送っていきますよ! ベルネージュ先生に魔法を教えて貰えるなら時間が遅くなっても構いませんし!」


 勢いよく詰められる距離に思わず後退ってしまいながら、次の機会を提案した。ミラがわたしの後ろから、隣に移動したのが分かる。

 わたしの背後にあるドアが開いて、冷たい風がうなじを撫でた。


「その後は食事を一緒に──」

「──させるわけにはいかないな」


 マルベック先生の声を遮ったのは低い声。わたしの腰に腕が回って抱き寄せられる。

 見上げる形に振り返ると、そこに居たのは不機嫌そうに眉を寄せたルーファスだった。


「ルーファス、今日も迎えに来てくれたの?」

「ああ。君との時間はいくらあっても足りないからな」


 彼だって忙しいだろうに、こうして迎えに来てくれるのが嬉しくて笑みが零れる。

 距離の近さに弾む鼓動が伝わっていないようにと、願いながら。


「貴殿はマルベック子爵家の令息だったか」

「あ、え……と、そうです」

「既婚女性を食事に誘うのは感心しない」

「……申し訳ありません」


 マルベック先生の顔色が悪くなっている。

 先生は下心があって誘ったわけではなくて、ただ魔法に興味があっただけだと思うのだけど。


「貴殿に邪な考えがあったとは考えていない。子ども達がよりよい学習を出来るように、これからもサフィアの良き同僚として共に励んで頂きたく思うよ」

「は、はい!」


 ほっとしたようにマルベック先生の顔が明るくなる。

 二人のやり取りにわたしも息をついてしまった。これからも同じ職場で働くのだから、出来れば関係を崩したくはない。この学校で働く先生方は皆、良い人達ばかりなのだから。


「では行こうか、サフィア」

「ええ。マルベック先生、さようなら」

「ベルネージュ先生もお疲れ様でした」


 外に出ると小雪がちらついている。

 日が暮れ始め、外灯のオレンジ色の明かりが雪を照らす。

 ユリウスがわたし達に傘をさしてくれて、ルーファスの手を借りて馬車の中に入った。


 ミラはユリウスと共に馭者台へと移動した。その場所も雪が入り込まない構造になっていて、暖房が効いている。


 暖められている馬車の中で、わたしはルーファスと並んで座っていた。

 距離の近さに慣れたような、慣れていないような……。このドキドキする感覚は、慣れとかそういうものではないのだろうと分かっている。


「今日もお疲れ様」

「あなたもお疲れ様でした。迎えに来てくれてありがとう」

「さっきも言っただろう? 君との時間はいくらあっても足りないって」


 優しい眼差しに胸の奥が温かくなる。それと同じくらい、締め付けられるように胸が苦しい。


「ありがとう。でも今日はいつもより時間が早いじゃない?」


 今日、わたしが退勤したのは午後三時過ぎ。いつもは四時頃だ。

 わたしが四時に退勤する時にルーファスが迎えに来てくれるのも早くに仕事を切り上げてくれていると思ったのに、今日はそれよりも早い。


「ヴィント様に追い立てられてね。『渡したチケットで劇場に行ってこい』と。感想を聞きたいみたいだ」

「夜会で頂いたチケットね」

「そう。君が疲れていないなら、このまま劇場に向かうのはどうだろうか」

「ええ、もちろん行きたいわ。でも……このまま? 支度をしに、お屋敷に戻らなくちゃ」


 自分の姿を見下ろしてみる。

 学校に行く日は落ち着いた色のデイドレスを着る事にしている。今日は臙脂色のドレスを選び、装飾も首を覆う同色のレースくらいで形もシンプルだ。生地も仕立ても上質なものではあるけれど、舞台を見に行くには相応しくないものだろう。

 アクセサリーも金の髪飾りをひとつしているだけだ。


「劇場の貴賓室を借りてある。支度に必要なものは運び込んであるし、ミラが居れば問題ないだろう?」


 確かに、と思った。

 ミラもこのまま劇場に来てくれるのだろう。ドレスや化粧道具があるなら、お屋敷でするのと変わらないくらいに支度をしてくれるのも間違いない。


 それならわたしが心配する事は何もなくて、笑みを浮かべて頷いた。


「ええ、問題ないわ」

「食事も手配してあるから、今日はこのまま劇場で楽しもう」

「ふふ、デートみたいね」

「デートだろう?」


 冗談めかした言葉に、予想外の甘い声が返ってくる。

 わたしの髪先を指に絡めて唇を押し当てる。


 顔がかあっと赤くなるのが自分でも分かった。

 何も言えずに、ただ口を開けているだけのわたしを見て、おかしそうにルーファスが笑う。


 ああ、もう。

 また心が「好きだ」と叫んだ。

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