20.引き裂いたのは、わたし?

 傷物。相応しくない。

 そんな言葉をいつかは向けられるだろうとは覚悟をしていた。

 先日の夜会が静かに……ではなかったけれど、まぁ大体は問題もなく終わった事が不思議なくらいだったもの。


 でもまさか最初の罵倒が、ルーファスの親戚筋からのものになるとは思わなかった。


「アイリス様、旦那様は奥様を悪し様に言われる事をお嫌いになります。この場でのお話は旦那様のお耳に入れる事になります事をご承知下さい」


 いつも穏やかなユリウスの、そんな険しい声なんて初めて聞いた。

 でもそのおかげで、我に返る事が出来たわたしはアイリス様と向かい合うようにソファーに腰を下ろした。


 ミラがわたしとアイリス様の前に紅茶を用意してくれる。

 カップを手にして紅茶を口に運ぶと、爽やかな渋みが鼻を抜けていく。いつもより少し濃い目に淹れられた紅茶のおかげで、頭がすっきりしたようだ。


「別にルーファス兄様に言われたって構わないわ。私は間違った事を言っていないもの」


 ソファーに座ったアイリス様は胸の前で腕を組み、顎をツンと突き出すようにしてわたしを睨んでいる。

 これは……わたしが何を言ったとしても、受け入れてくれる事はないだろう。


「ええと……わたしへの発言は置いておくとして。急にいらっしゃって、あなたはどちらさまかしら?」

「はぁ!? 私の事を知らないの!?」

「ご挨拶をしようとしたら遮られてしまったんですもの。こんな振る舞いをされたのは初めてで、それ相応の対応をさせて頂いても構わないという事なのかと思っていますわ」

「……私はデンドラム子爵が娘、アイリスよ。ルーファス兄様とは小さい時からずっと仲良しなの」


 どこか得意げに名乗るアイリス様は、付き合いの長さを自慢したいのだろう。

 親戚筋なら生まれた時からの付き合いだと思うのだけど……。

 わたしはまた紅茶を一口飲んでから、音を立てずにそれをソーサーへと戻した。


「それで、アイリス様はわたしに何のご用事ですの?」


 そう問いかけると、アイリス様がにっこりと笑った。顔立ちが整っているのもあって可愛らしい笑みなのだけど、何を言われるのかと身構えてしまう。


「ルーファス兄様と別れて頂戴」


 わたしの後ろに控えてくれるユリウスとミラが、怒気を発しているのが背中に伝わってくる。ちらりと肩越しに二人の様子を窺うと、恐ろしい程の無表情をしていた。


 またアイリス様に顔を向けると、受け入れられて当然だとばかりに微笑んでいる。

 零れそうになる溜息を飲み込んでから口を開いた。


「別れる事はありません」

「慰謝料が欲しいのなら私が払ってあげるわ。ルーファス兄様を自由にしてほしいの」

「ルーファスは元々自由だったと思いますが? 結婚するのもしないのも彼の自由で、彼の選んだ事ですもの」

「はぁ? あなたがルーファス兄様に結婚を迫ったんでしょ」

「それは誰から聞いたお話でしょうか」

「皆言ってるわ! 傷物になったあなたの行き先がないから、友人だったルーファス兄様が同情から娶ったって。あなた、社交界でいい笑いものなのよ」

「そうですか」


 中々に手厳しい言葉だけど、これは話半分に聞いていた方がいいだろう。

 胸の奥がちくちくと痛む事には気付かない振りをして。


「ルーファスが別れを告げてきたのなら、わたし達のこれからについて話し合うでしょう。でも部外者に何を言われても困ると言いますか……」

「部外者ですって!?」


 アイリス様はピンク色の瞳を三角に吊り上げながら、テーブルに身を乗り出した。バン! とテーブルに勢いよく両手をつくから、茶器がガチャンと音を立てる。カップから零れた紅茶がソーサーに溜まっている。


「私とルーファス兄様は結婚の約束をしていたのよ!」

「……は?」

「私達は婚約をしていたの! それに割り込んできたのはあなたなんだから!」


 わたしが、二人の間に割り込んだ?


「アイリス様、旦那様は──」

「使用人が口を挟まないで!」


 叫ぶような声に、身を竦めてしまった。

 動悸がする。眩暈がして、気持ちが悪い。


「あなただって分かるでしょ。想い合っていた恋人が、他の人と結婚する悲しみが。ルーファス兄様はあなたに同情して結婚をしただけ。本当の気持ちは私にあるって忘れない事ね!」


 またテーブルを強く叩いたアイリス様が席を立ち、大きな足音を響かせながら応接室を後にする。


「奥様……」

「……ユリウス、アイリス様をお見送りして」

「かしこまりました」


 何かを言いかけたようなユリウスが眉を下げて頭を下げる。足早に応接室を出てアイリス様を追いかけてくれた。


「奥様、アイリス様の言う事は……」

「ごめんなさい、部屋に戻るから……少し一人にしてくれる?」


 気遣うようなミラの声も、今は聞くのが辛い。

 立ち上がると、ミラは黙って応接室の扉を開いてくれた。


「ありがとう」と小さく告げて、自室への道を急ぐ。

 気持ち悪い。わたしが……不幸の種だったなんて。


 自室へ飛び込んだわたしは、その勢いのままベッドへと倒れ込んだ。


 考えたくないのに、あの冬の日・・・・・が鮮明に脳裏をよぎる。

 ロータルに婚約解消を告げられた、あの日の事を。


 幸せな結婚をするはずだった。

 想い、想われ、幸せを積み重ねていくはずだった。


 彼の想い人に引き裂かれた形になったのだもの、顔も名前も知らないその人の事を恨まなかったわけじゃない。

 でもわたしは……その人と同じ事をしていたのだろうか。


 ルーファスは婚約者が居るなんて、そんな事は一言も言っていなかった。

 わたしから結婚を迫ったつもりはないけれど……あの相談は、彼にそう思わせるだけのものだったのかもしれない。


 そのせいで、ルーファスとアイリス様を引き裂いてしまったのだとしたら。


 息がうまく吸えなくて、浅く短い乱れた呼吸だけが口から漏れる。

 頭がずきずきと痛むのは、息が吸えていないからだろうか。


 落ち着いて。こんな感情を抱えたまま考えたって碌なものにならないのだから。

 アイリス様の話は半分程度に聞こうと思っていたのだから、こんなに深く考え込まなくたっていい。

 そうだ、ユリウス達だってアイリス様は思い込みが激しいとか言っていたじゃない。

 自分に都合のいい考えばかりが頭に浮かんで、自嘲に溜息が漏れてしまった。


 ルーファスに聞けばいいだけの話だ。

 それに……もしアイリス様の言葉が本当だったとして。わたしはルーファスに想い人が出来たら離縁すると決めていたのだから、問題ない。


 そう、問題なんて何もない。

 それなのにどうしてこんなに苦しいのだろう。

 あの眼差しが、微笑みが、わたしに向けられないという事が……悲しくて、寂しくて、苦しい。


 わたしは意識してゆっくりとした深呼吸を繰り返した。

 ルーファスに聞きたいような、聞きたくないような。


 そんな気持ち悪さを抱えながら、窓の向こうに見える空が暮れていくのをじっと見ていた。

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