15.偶然が重なり合って

 王家の皆様からのご挨拶を頂戴し、歓談の時間が始まった。

 このあとはダンスもあるけれど……そういえば、ルーファスはわたしと踊るのだろうか。


 そんな事を思いながら、隣で赤ワインを楽しむ彼に目を向けた。

 わたしの視線にすぐに気付いて、微笑みかけてくれるのが……どうしてこんなに嬉しいんだろう。


「どうした?」

「わたしとダンスを踊る予定は?」

「ダンスに誘うのは、一般的にはエスコートをする側からだと思うが」


 口元に拳をあてておかしそうに笑う彼の様子に、はっとしてしまった。顔に熱が集まっていくのは、恥ずかしいからだ。

 そうだ、これだとダンスを誘っているみたいじゃない。そうじゃなくて、予定を聞きたかっただけで……。


「ち、違っ……」

「違う? 俺とはダンスを踊らないと?」

「そうじゃなくて……!」

「ではやはり先程のはお誘いか?」


 わたしの言いたい事が伝わらない程、察しの悪い人ではないのに。これは──確実に面白がっている。何と言えば揶揄われないですむのか。

 わたしとダンスを踊りたい? ……却下。

 他の人とダンスを踊る? ……これもだめ。

 もう、ダンスのお誘いをしていると思われてもいいんじゃないだろうか。


 内心でそう諦めていると、堪えきれないとばかりに、ルーファスが低い笑い声を漏らした。


「ルーファス、サフィアを揶揄いすぎよ。あなたがあまりにも楽しそうだから、周囲が驚き過ぎて固まっているわ」


 そんなわたし達の元にやってきたのは、呆れたように眉を寄せるヘレンとホルシュ伯爵だった。

 ヘレンは鮮やかなオレンジ色のドレスを着ていて、ホルシュ伯爵とお揃いの衣装だというのがすぐに分かる。いつも掛けている眼鏡には宝石のあしらわれたチェーンがついていて、シャンデリアの明かりを受けてきらきらと輝いている。


 ホルシュ伯爵は柔和な笑みを浮かべた、わたし達よりも少し年上の方だ。

 わたし達に挨拶をすると、ヘレンに何か耳打ちをして男性陣が集まっている場所へと向かっていく。きっと気を遣って下さったのだろう。


「ヘレンに会えて良かったわ。こんなにも沢山の人がいるから、今日は会えないかと思ってしまったの」

「ふふ、探したのよ。今日のサフィアもとても綺麗よ」

「あなたのドレスが素晴らしいからよ」


 飲み物を持ってホール内を歩いている給仕係を呼び止めて、ルーファスはヘレンに飲み物を取ってくれた。一緒にわたしのワインも新しいものと取り換えてくれる。


「サフィアと一緒に夜会に参加出来て嬉しいのは分かるけれど、浮かれ過ぎではないかしら」

「サフィアが可愛いのが悪い」

「周囲が固まって近付けないでいるじゃない」

「それこそ幸甚だね。俺達の時間は邪魔されたくない」


 はいはい、と呆れるヘレンの様子に思わず笑ってしまった。学院時代のやりとりと、そっくりだったから。


 軽口の応酬を交わす二人の声を聞きながら、先程取って貰ったグラスへと口を付ける。ワインを口に含んだ瞬間、桃の香りが鼻を抜けていった。

 桃を混ぜて作られているのだろうか。甘いのに後味は爽やかで、飲みやすい。


 ワインを楽しみながら周囲へとさりげなく視線を滑らせた。

 遠巻きにこちらの様子を窺っている女性達の姿が見える。

 わたしに敵意を向けている人もいるはずだけど……そう思って睨んでくる人がいないかと探してみたのに、皆が驚きを隠せない様子でルーファスの事を見つめていた。


 彼女達と同じようにわたしもルーファスへと目を向ける。

 軽いやり取りをしているルーファスは無表情だけど、これは別に珍しくない。いつものよそ行きの顔でもある。学院時代からよく見てきた表情だ。


 わたしの視線に気付いたルーファスが、こちらを見て微笑みかける。

 蕩けるように甘いその笑みも……最近のわたしはよく見ている表情だった。


「そのワイン、気に入ったのか?」

「ええ。甘くてとても飲みやすいの」

「それなら家でも取り寄せよう」

「またそうやってわたしを甘やかすんだから」

「可愛い妻の願いは、ささやかなものでも叶えたくなるんだ」


 紡がれる睦言に、顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。

 今は注目を集めているから、仲睦まじい夫婦という姿を見せるにはちょうどいい。その為だと分かっているのに──恥ずかしい。


 困るのは彼の甘い態度ではなく、それが嬉しいと思ってしまう自分の心だ。

 こんなに優しくされたら、本当に勘違いしてしまいそうになる。


「はぁ……二人が幸せそうなのは嬉しいんだけど、こんなに甘くなるとは予想外だったわ」


 ヘレンが呆れたように呟くけれど、その顔は笑み綻んでいる。

 わたし達の事情を知っているヘレンから見ても、幸せそうな夫婦に見えているのなら周りには契約結婚だなんて気付かれる事はないだろう。

 これもルーファスが頑張ってくれているおかげだ。


 楽団の奏でる軽やかな曲が、余韻を残して終わりを迎える。そちらに視線を向けると、指揮者がまたタクトを上に向けた。一息ついていた楽団員達もそれに合わせて楽器を構える。


 次の曲が始まるまでの、ほんの一瞬。

 音楽が途切れ、示し合わせたように歓談の賑やかさも波が引くように落ち着いた、偶然が重なり合った僅かな隙間。


「婚約を破棄された傷物のくせに、ベルネージュ侯爵に嫁ぐだなんて」


 その声は、決して大きなものではなかった。

 ただ、運が悪かったのだと思う。ほんの一瞬の隙間に重なってしまう事なんて滅多にない事だろう。

 幸いな事に、大広間全体に広がるようなものではなかった。ただ近くにいたわたし達にははっきりと聞こえてしまっただけで。


 隣に立つルーファスの機嫌が悪くなっていくのが分かる。ヘレンも険しい顔をしていた。

 

 それを口にした令嬢は、わたし達に聞かれている事に気付いたのか顔を赤くしている。側に居る友人らしき令嬢達は俯いていた。


 陰口を聞いてしまったわたしは、意外なほどに落ち着いていられた。

 面と向かって言われたなら言い返す事も出来ただろう。でもこれは、ただ運の悪かった事故のようなものだ。


 ルーファスの隣に立つと決めた時点で、敵意を向けられるなんて分かっていた事だ。

 これくらいじゃ傷付かない。


「……どこの令嬢だ?」

「ラーリフ伯爵家よ」

「そうか、覚えておこう」


 低い声で問うルーファスに返事をしたのは、同じくらいに暗い声をしたヘレンだった。

 短いやりとりでも、彼らが怒っているのが伝わってくる。ラーリフ伯爵令嬢の顔が青白くなっていった。


 楽団は次の曲を演奏している。明るい曲調の春を思わせるような調べだ。賑わいも戻ってきているのに、わたし達の周りだけ切り取られたように雰囲気が重い。


 さて、どうしたものか。

 わたしから声を掛ける事は出来ない。だからこの場を流す以外にないのだけど……。


「なんだ、ここだけ随分と空気が重いな」


 穏やかな声に、止まっていた時間が動き出したようだった。

 掛けられた声の方を見ると、そこにいたのは──ルーファスの上司である、ヴィント第三王子だった。

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