12.二人の食事
新年を数日後に控えた、ある夜の事。
わたしとルーファスは家族用の小さな食堂に居た。こぢんまりとしているけれど、二人、もしくは一人で使うにはちょうど良い大きさだ。
大食堂には大人数が座れる長いテーブルが用意されているけれど、この部屋のテーブルは正方形で二人分の食事が並ぶとテーブルがいっぱいになってしまう程。
でもわたしはこのテーブルでとる食事が好きだった。
白ワインで満たされたグラスを傾ける。華やかな香りを大きく吸い込んでから口に含んだワインは、ほんのりと甘くて飲みやすい。
ふぅと零した吐息には酒精が濃く混じっている。
そんなわたしの様子を見ていたのか、テーブルに向かい合って座るルーファスが低く笑う。彼の手にも同じようにワイングラスがあって、明かりを映してきらきらと輝いているようにも見えた。
「美味しい」
「良かった。それを聞いて両親も喜ぶだろう」
テーブルに置かれたワインの瓶には、白いラベルが貼られている。
ベルネージュ侯爵領産のもので、今年に作られたワインだと書かれていた。
新しいワインが美味しく出来たと、ルーファスのご両親が送ってくれたのは先日の事。ルーファスはずっと忙しくしていて、一緒に食事を取る事が出来なかったから、このワインもお預けになっていたのだ。
ルーファスは先に飲んでいて構わないと言ってくれた。でも折角だから一緒に飲みたい。そんな気持ちで待っていたのだけど、待った甲斐のある美味しいワインだった。
「最近はずっと一人で食事をさせてしまっていただろう。すまなかった」
「忙しかったんだもの、謝らなくていいのよ。あなたも明日からは新年のお休みよね? 今年もお疲れ様でした」
「ありがとう。休暇中に急な呼び出しがない事を心から祈るばかりだ」
「ふふ、そうね」
またグラスを口元に寄せて一口飲む。飲みやすいけれど、中々に強いお酒のようだ。飲み過ぎないように注意しないといけない。
そんな事を思っていたら、ユリウスがワゴンを押して食堂へと入ってきた。
その後ろにはミラも控えていて、二人でテーブルに食事を並べてくれる。わたしとルーファスの食事の時には一品ずつ食事が出てくるスタイルではなく、前菜からデザートまでが全て並ぶ。
今日のメニューは鴨のコンフィ、蕪のソテー、オレンジとにんじんのラぺ、トマトと魚介のスープ、白パン。デザートには苺のタルトが用意されている。
「今日も美味しそう」
手を組み、恵みへの感謝を捧げる。
ベルネージュ侯爵家の料理はどれも美味しい。うちの実家の食事も美味しかったけれど、負けずとも劣らぬほどに美味しいのだ。
まずにんじんのラぺを頂く事にした。
フォークにとって口に運ぶと、爽やかな酸味が口いっぱいに広がった。砕いたクルミの食感が楽しい。ピリッとした辛みは黒コショウだろうか。……これはワインが進む味だ。
「サフィアが希望していた教師の職だが、学校での教師枠を紹介できそうだ。それでいいかな?」
「もちろんよ。ありがとう、ルーファス」
「どういたしまして。実際に働くのは年が明けてからになるから、もう少し先なんだが」
「分かったわ。何か準備しておく事はあるかしら」
「教材となる魔導書を取り寄せるように手配してある。届いたら目を通しておくといい」
「ええ。きっとわたし達の時とは変わっている事も多いのでしょうね」
学校となると、生徒は平民になるだろう。貴族子女が通うのは学院と分けられている。
魔法学といっても細分化されているから、自分が何を教えるかはまだ決まっていないだろう。できる事なら得意としている水魔法がいいけれど、こればかりは働いてみないと分からない。
それでも、教壇に立てるのは嬉しい事だった。
わくわくとする気持ちが抑えられず、顔が緩んでしまう。そんなわたしの姿に、ルーファスはおかしそうに肩を揺らした。
「楽しそうで何よりだ」
「あなたのおかげよ。でも心配しないでね、あなたの妻であり侯爵夫人という肩書に恥じる事はしないわ」
「それは心配していない。侯爵夫人といえば……君に一緒に来て貰いたい夜会があるんだ。他の夜会なら欠席しても構わないんだが、一つ欠席出来ないものがあってね」
「王家主催の新年祝いの夜会でしょう?」
「ああ」
新しい年を迎えると、王家が主催する夜会が開かれるのは恒例の事だ。
特別な理由がない限り、この国の貴族当主は全て出席する事となっている。難しい場合は代理を立てる事もあるけれど、それも滅多にない事だ。
「もちろん参加するわ。あなたと仲睦まじい夫婦だと、対外的にアピールしておかないと」
「頼もしいな。でも何か不愉快な思いをしたらすぐに俺に言うように」
「まぁ多少はするでしょうけれど、刺されなければ何でもいいわ」
令嬢方の憧れであるルーファスと契約結婚とはいえ夫婦となっているのだ。嫉妬ややっかみなどがないわけもなく。
わたしは一度婚約を破棄しているわけだし、この結婚を面白く思っていない人は多いはずだ。そんな人達から悪意が向けられるだろうけれど……まぁ別にそれは大して気にしていない。
「君に危害が与えられる事を、俺が許すわけないだろう」
眉をしかめたルーファスが、低い声でそんな事を口にする。
確かにルーファスはわたしを守ってくれる。それは分かっている。
わたしは鴨のコンフィを切り分けながら、一つ頷いた。
鴨肉の皮目は香ばしい焼き色がついていて、ナイフを入れるとぱりっとした感覚が伝わってくるほどだった。それなのに赤身の部分はしっとりとナイフが沈んでいく。
一口食べてみると、柔らかな食感に目を瞬いてしまった。噛むほどに溢れる肉の旨味と、オイルの甘味が相俟ってとっても美味しい。
「そうね、あなたとはぐれないようにしなくっちゃ」
「離すつもりはないから安心してくれ」
「あなたに負担をかけてしまうわね。……魔導具の持ち込みは?」
「禁止」
「魔法は?」
「禁止」
「そうよねぇ」
ばれない程度の魔法ならいいだろうか。怒れる令嬢が近付いてきたら、足元に水を撒いて転ばせるとか。風で髪型を崩すとか──
「どれも禁止だ」
「……別に悪い事なんて考えていないわよ?」
知らん顔で白パンを手にしたわたしは、それを小さく千切って口に入れた。
チーズの塩気がある。練り込まれているのだろうかと断面をよく見てもよく分からなかった。でも美味しい。
「夜会が開かれる大広間には魔力を検知する魔導具が設置されている。すぐにばれるぞ」
聞いておいてよかった。
内心でほっとしていると、それさえも読んだようにルーファスが笑う。ワイングラスを傾けた彼は、一気に白ワインを飲み干してしまった。
「ドレスはヘレンに頼むといい。君のデザインに合わせて俺も仕立てるから、好きに選んでいいぞ」
「あなたの好みも入れなくちゃ」
「それなら青を使ってくれ。君の瞳のような、明るい青を」
甘く微笑むルーファスに、鼓動が跳ねる。胸の奥がぎゅっと締め付けられる感覚に息を飲んだ。
「……ヘレンに相談してみるわ」
そう言うのが精いっぱいだ。
それ以上何も言わなくて済むように、千切ったパンをまた口に入れた。
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