11.ハーブティーは甘く
わたしが結婚をして二週間が経った。
あと数日で新しい年を迎える事もあり、使用人達も準備で忙しそうにしている。でもその表情は楽しそうで、お屋敷の中は賑やかな雰囲気に包まれていた。
第三王子殿下に仕えるルーファスも忙しそうで、朝も早い時間に出ていくし、帰りだって遅い。
見送りも出迎えもいいよ、と言われているけれど……朝も夜もエントランスホールに足が向かう。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「ありがとう。いつも早起きさせてすまないな」
「ふふ、また言ってる。早起きは苦じゃないし、どうしても眠くなったら二度寝だってお昼寝だって出来るんだから気にしないで。それより……疲れているあなたが心配だわ」
「これも今だけだから大丈夫だ。じゃあ、行ってくる」
ルーファスはわたしの肩を抱き、こめかみあたりに口付ける。擽ったくて恥ずかしいけれど、朝も夜もこれが挨拶の恒例になっている。
初めての時は顔が真っ赤になってしまってルーファスに笑われてしまったけれど、慣れとは恐ろしいものだ。ドキドキはするけれど、それが顔に出たり大きく動揺するような事は無くなったように思う。
ルーファスがわたしから一歩離れ、床に向けて指を振る。
一瞬にして足元には魔法陣が描かれて、強い光が弾けたと思えば彼の姿は無くなっていた。
相変わらず、無駄のない美しい魔法展開だと思った。このお屋敷とルーファスの執務室は第三王子殿下の許可を得て幾つかの条件下のもとに繋げられているとはいえ、転移魔法というのは繊細な魔力操作と膨大な魔力が必要になるのだ。
それを指の一振りで魔法陣の展開をしてしまうなんて。魔力の残滓が消えていくのを感じながら、羽織っていた厚地のガウンを胸元で寄せ合わせた。
「奥様はこの後またお休みになりますか?」
「そうね……どうしようかしら。お茶を淹れてくれる? それを飲んでも眠たかったら寝る事にするわ」
「かしこまりました」
わたしの後ろに控えてくれていたミラにそうお願いすると、彼女は微笑みながら頷いてくれる。まだ五時だというのに、彼女は眠たそうな素振りを見せない。髪に寝ぐせのひとつもなく、お仕着せだって崩れていない。完璧な装いだった。
わたしの部屋に戻ると、ミラが早速お茶の用意をしてくれる。
カーテンの開けられた窓に近付いて外を見てもまだ真っ暗だ。等間隔で庭を照らす灯火の魔導具が真っ白な雪に明かりを揺らしている。
この部屋は暖められているけれど、窓ガラスは外の寒さを映してひんやりとしている。側に居るとぶるりと体を震わせる程に体が冷えてしまって、カーテンをしてからソファーに戻った。
「お部屋の暖房を強めますか?」
「いいえ、大丈夫。窓の側で冷えてしまっただけだから。今日はとっても寒い日になりそうよ」
ガウン越しに腕を摩るわたしの様子に、ミラが心配そうに眉を下げる。大丈夫だと笑って見せながら、テーブルの上に用意されたガラスのカップに目を向けた。
白い花が描かれた、底の広い丸みを帯びた可愛らしいカップからは花の香りが湯気と共に立ち上っている。
「ハーブティーね」
「はい。カモミールとオレンジ、ローズがブレンドされています」
「いい香りだわ」
カップを手にして口元に寄せる。大きく息を吸って香りを楽しむと、胸の深いところまでハーブの香りが満ちていく。
一口飲むとじんわりと体が温まっていくようだった。蜂蜜を落としてくれているのか、ほんのり甘くて飲みやすい。
「美味しい」
吐息交じりに声が漏れる。それを聞いていたらしいミラが嬉しそうに微笑んだ。
ミラはわたしが嫁いでからずっと、わたしと一緒に居てくれている。
そんな彼女から見て……わたしとルーファスはどう見えているのだろう。
ミラをはじめとした使用人達は、わたしとルーファスが友人関係にしかないという事を知っている。
でも最近の彼は……なんというか、甘いのだ。距離の近さもあって、友人相手だというのにドキドキして落ち着かなくなってしまう時もある。
そんなわたし達は、ちゃんと夫婦に見えているのだろうか。
「ねぇミラ……ルーファスってあんな人だったかしら」
「あんな、と仰いますと?」
「距離が近いじゃない? 優しいのはいつもの事なんだけど、何というか……甘い?」
「旦那様が女性とご一緒されているのを見る事は、私も初めてですので何とも……」
「そうか、それもそうよね」
ルーファスは徹底的に女性を避けてきた人だ。
わたしやサフィア、他の男性の友人達には穏やかで優しい面を見せるのだけど……近しくない女性達には微笑む事もしなかった。
「夫婦仲が円満だと見せる必要があるのは分かっているの。それなのにわたしが真っ赤になっていたり動揺していたりするといけないから、この近さに慣れる為の……そう、いわば訓練ね」
「訓練でございますか」
「ええ。だいぶ慣れて来たとは思うんだけど……ミラから見てどう思う? わたしはまだ挙動不審になっている? わたし達って夫婦に見える?」
「仲睦まじいご夫婦に見えますよ」
はっきりと言い切るミラの様子に、瞬きを繰り返してしまった。
彼女はこういう時に嘘を言わない人だって、短い付き合いながらも理解している。そんなミラが言ってくれるのだから、わたし達は夫婦らしいのだろう。
「じゃあもう訓練はいらないんじゃないかって、ルーファスに言ってもいいわよね」
「どうでしょうか。奥様は旦那様の距離が近い事は、お嫌ですか?」
「そんな事はないんだけど……」
そう、距離が近い事が嫌ではないのだ。
続く言葉を探す時間を稼ぐ為に、またカップを手に取った。まだ熱さの残るハーブティーを一口飲むと、体の奥が温まっていくのが分かる。
ルーファスに触れられるのも、距離が近いのも、蕩けるような眼差しを注がれる事も……嫌じゃない。ただ──
「……ドキドキするじゃない」
大事にされているようで、胸の奥がざわつく。心臓が落ち着かなくて、自分でも知らないふわふわとした感覚に陥りそうになる。
「ドキドキなさったら宜しいのかと」
「もう!」
じっとりと恨みがましい視線を向けてみても、ミラはくすくすと笑うばかりだ。
わたしは肩を竦めてまたハーブティーを口にした。蜂蜜が残っているのか、底の方にいけばいくほど甘味が強くてこれも美味しい。
「そういえば、ルーファスのところに送られていた釣書ってどうなったの?」
「奥様とご結婚されてからは届いておりません。以前は毎日、物凄い量の釣書が届いておりましたので仕分けるだけでユリウス様も苦労なさっておいででした」
「わたしと結婚した事で、ユリウスの負担が無くなったのなら嫁いできた意味もあるわね。まぁヴィント殿下がお祝いして下さった事が大きいのだと思うけれど」
「お言葉ですが第三王子殿下の祝福を頂く以前に、奥様とご結婚されたという事の方が意味があるのかと」
「わたしと?」
カップをテーブルに戻しながら問いかけると、当然とばかりに大きく頷かれてしまった。
ミラの砂色の髪が、顎の近くでさらりと揺れる。
「結婚しないと常々言ってらした旦那様が、結婚したいと思った唯一の女性ですもの」
それは契約結婚の相手に丁度良かっただけだと思うのだけど。
何だか胸の奥が少し痛んで、それを口にする事は出来なかった。
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