8.ベルネージュ侯爵家

 結婚式が終わった後は、ベルネージュ侯爵家での食事会が開かれた。

 お互いの家族だけを招待した食事会はとても賑やかで、終始温かな雰囲気に満ちたものだった。

 ルーファスのお母様とうちの母は、お互いに歌劇を観に行くのが趣味という事で意気投合したらしく、今度は一緒に出掛ける約束までしていた。ルーファスのお父様とうちの父もお酒の話で盛り上がっていたし、甥と姪は初めての結婚式がよほど楽しかったのか、ずっと目をキラキラと輝かせていた。

 


 ルーファスのご両親も、わたしと彼が契約結婚だという事は知らない。

 わたしの家族もそれを知らないから、何だか……騙しているような気がして申し訳ない気持ちも湧いてくる。


 貴族に政略の絡んだ契約結婚は珍しいものじゃない。

 わたし達もそれと一緒で、ただそれを家族は知らないだけ。


 ただ、それだけ。

 なのに……罪悪感が胸をよぎるのは、皆がこの結婚を喜んでくれているからかもしれない。

 家族がこの結婚の意味を知ったら、悲しんでしまうだろうか。恐ろしくて、その先を考える事が出来ないでいる。

 罪悪感を飲み込むように、ちびちびとワインを飲んでいたら酔いが回ってしまったみたいだ。



 *****


 食事会は早い時間にお開きとなった。

 ドルチェネ家の暮らす屋敷はここからそんなに遠くない。甥と姪が馬車の中で眠ってしまう前には帰れるだろう。

 ルーファスのご両親──お義父様とお義母様はこの屋敷に泊まるのだと思っていたけれど、街に宿を取っているらしい。領地から出てきたのだから、少し旅行気分を味わってから帰るのだとか。これもお二人の気遣いだって分かっている。



「サフィア、今日は疲れただろう」

「そうね……少しだけ。あなたもお疲れ様」


 皆を見送って、エントランスの扉が閉まるとふぅと深い息をついてしまった。それを見ていたルーファスが少し笑う。


「今日はゆっくり休んでくれ。この屋敷の者は皆、俺達の事情を知っているから心配しなくてもいい」

「そうなの?」


 エントランスホールに整列していた使用人達が微笑みながら頷いてくれる。

 この事を知っている人達は、この屋敷にはいないのだと思っていた。だから気を抜いてはいけないし、偽りながら生活しなければならないのだと。

 ほっと安心して、肩から力が抜けてしまった。


「この結婚やこれからの生活については、明日にでも話をしよう。使用人の紹介も明日だ。食事の席では随分と飲んでいただろう? 体は辛くないか?」

「ありがとう。体は大丈夫なんだけれど、少し飲み過ぎてしまって眠たくなってきているの」

「そうだと思った。眠たそうな顔をしてる」


 そう言いながらルーファスの手がわたしの頬に触れ、親指が目元をなぞっていく。温かな手の平に包まれて、頬が熱い。


「サフィア付きの侍女だけ先に紹介しよう。──ミラ」


 ルーファスが名前を呼んだのは、結婚式の前にわたしの支度をしてくれた侍女だった。

 一歩前に踏み出した彼女は腰を折って美しい礼をする。


「あなたが付いてくれるのね。これから宜しくね」

「はい、どうぞ宜しくお願い致します」


 ミラは砂色の真っ直ぐな髪を顎のラインで整えている。黒い瞳が印象的な美しい人だった。

 彼女は今日の装いも完璧に仕上げてくれたし、物腰も柔らかくて話しやすい。きっとこれからわたしを支えてくれるだろう。


「部屋は用意してあるが、何か不足があれば言ってくれ。遠慮はしないように」

「何から何までありがとう。家から侍女を連れてくる事が出来なかったから、ミラを付けてくれるのも助かるわ」

「ドルチェネ家に俺達の結婚事情が知られるのはまずいだろう? 俺の為でもあるから君が気にする事じゃない」

「ふふ、ありがとう」


 結婚するにあたって、侍女を連れて行ってもいいと父からは言われていた。

 わたしに長く仕えてくれていた侍女も、ついてきてくれるつもりでいたらしいが……わたしはそれを断ったのだ。

 わたし達が納得しているとはいえ、契約結婚だと知ったらその侍女も心配してしまうだろうから。何かの折に家族に知られてしまうような事も避けたい。


「ではまた明日。おやすみ、サフィア」

「おやすみなさい。ルーファスもゆっくり休んでね」


 わたしの言葉にルーファスが微笑んでくれる。その優しい笑みに安心しながら、わたしはミラの案内で部屋へ向かう事にした。



 わたしの部屋は東棟の二階にあった。ルーファスの私室もこの同じ東棟の二階にあるらしいけれど、わたしの部屋とは離れているらしい。もちろん夫婦の寝室もない。


「こちらでございます。ご実家から運ばれたものは明日、ご確認下さいませ」


 ミラが開けてくれた扉から中に入る。

 廊下も寒くはなかったけれど、部屋からは暖かな風が流れてくる。既に部屋を暖めてくれていたようだ。


 白い壁をよく見れば、同じ色で浮き上がるような花が描かれていて可愛らしい。

 家具は明るい茶色で揃えられていて、青いファブリックが映えている。落ち着いた色合いながらも可愛らしいその部屋を、わたしは一目で気に入ってしまった。


「素敵なお部屋ね」

「奥様は花が好きだと、旦那様が壁紙をお選びになりました」

「ルーファスが? 素敵な壁紙を選んでくれたお礼を言わなくてはいけないわね。ファブリックの色も、この家具の色もわたしの好きなものだわ」


 家具やファブリックの色は、結婚前の打ち合わせでルーファスに聞かれていたものだ。

 わたしの好みの色合いを見事に選んでくれていて、彼は学院時代からセンスが良かったのを思いだす。

 ローテーブルに飾られている花は色鮮やかな赤いシンビジウム。

 侯爵家には大きな温室があって、冬でも様々な花が楽しめるという。近いうちに温室も見せて貰おう。



 湯浴みと寝支度を済ませた後、枕元に魔導具のベルを置いてミラは部屋を後にした。

 丁寧に髪を乾かして貰った事もあって、わたしの意識はもう半分ほどが眠りの中に落ちてしまっている。

 本来ならば結婚をした今日の夜は、初夜という事になる。当然ながらわたしとルーファスの間にそんな時間が訪れる事はないのだけれど。


 大きなベッドの上掛けの中に潜り込む。

 ベッドも温めてくれていたのだろう。足元に魔導具の魔力残滓が感じ取れる。


 温かくて気持ちがいい。

 ふぁ……と大きな欠伸を漏らしてから、ふかふかの枕に頬を擦り寄せた。


 左手を顔の前に翳してみる。

 ベッドサイドのテーブルでほんのりと光る魔導ランプの明かりが、薬指に咲くマーガレットとラベンダーを照らし出した。


 この指に、花が咲く日が来るだなんて。

 隣国にこの結縁花の文化はないから、わたしが元婚約者のロータルとそのまま結婚をしたとして、こうして女神様に花を頂く事はなかったのだ。


 そうだ、ロータルの事も久し振りに思い出した。

 自分でも驚くくらいに、彼の事を何とも思わなくなっている。


 彼に恋をしていた。その気持ちは偽りじゃなかった。

 恋をして愛を育んで、二人で幸せになるのだと思っていた。でもそれはもう──過去の事だ。

  

 眠気が押し寄せてくる。

 もう目を開けていられなくて、最後の力を振り絞って魔導ランプに向かって指を振った。炎が消えるように、部屋が暗闇に包まれる。



 その日にみた夢は、満開の花が咲き乱れる美しいものだった。

 わたしに微笑みかける人の顔は逆光ではっきりと見えない。ただ、触れられた頬が熱を帯びていったのだけは覚えている。

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