7.結縁の儀

 儀式の間。

 厳かで神秘的なその空間に響くのは、最奥にある泉へと流れ落ちる水の音だけだった。


 参列席に座っているのは、お互いの家族と友人だけ……のはずが、ルーファスの仕えている第三王子──ヴィント・リエラ・アステリオン殿下が居るのを見て、思わず足が止まりそうになってしまった。

 ルーファスのエスコートがなければ、きっと立ち止まっていただろう。


 ヴィント殿下はにこにこと楽しそうに笑っていらして、ルーファスも知らなかったのか苦笑いを零している。

 足がもつれて転んでしまったらどうしよう。緊張からか、ルーファスの腕に掛けていた手に力が籠もってしまった。

 それに気付いたルーファスがわたしに顔を向けて、微笑んでくれる。その笑みを見たら、なんだかほっとしてしまって。

 思えばルーファスは、学院時代からこうやって微笑みかけてくれた。『大丈夫だ』と落ち着いた声で言ってくれると、本当に大丈夫な気がしてくるのだから不思議だった。


 だから──今回も大丈夫。



 泉の中央にはこの国を守護される女神様の像があり、その手の平からはとめどなく水が溢れ出していた。

 泉を背にして立っている、正装をした司祭様の前で足を止める。わたしのドレスのトレーンを美しい形に広げたミラが壁側へと移動した。


「これよりルーファス・ベルネージュと、サフィア・ドルチェネの縁を結ぶ儀式を行う」


 持っていた長杖で床をトン、と突いてから穏やかな声で司祭様が言葉を紡ぐ。長杖の先には青く輝く魔石と、いくつも重なる金環が飾られていて、動く度に金環がシャラリと軽やかな音を響かせていた。


「この結縁花ゆいえんかにそれぞれの名前を書くがよい」


 宣誓台の上には大きな花弁が一枚置かれている。その一枚でわたしの手の平と同じくらいの大きさがある花弁は、この儀式にだけ使われる特殊な花のものだ。


 用意されていたガラスのペンにインクを浸し、まずルーファスが名前を書く。

 彼からペンを受け取って、ルーファスの名前の下にわたしも自分の名前を書いた。


 自分には縁がないと思っていた儀式だからか、何だかドキドキしてしまう。また緊張しているのか、この雰囲気に気分が高揚しているのか。

 ちらりと隣に立つルーファスへと目を向けると、わたしの視線に気付いたのか彼もこちらを見て、微笑んでくれた。その眼差しが余りにも優しくて、誤解してしまいそうなくらいに甘い笑みを浮かべているものだから、恥ずかしさを誤魔化すようにわたしも微笑んだ。


「女神モルセラの名の下に、二人を夫婦として認める。永遠を共に、支え合い、愛を重ねられん事を」


 古の言葉で、司祭様が祝福の文言を紡いでいく。

 長杖でドン、と先程よりも強く床を突いたと思えば結縁花が光を放ち、その光がわたし達の左手薬指へと絡まった。

 じんわりと熱を感じた左手を顔の前に上げると、薬指の付け根に花の絵が描かれていく。


「それはマーガレットとラベンダー。二人の未来に沢山の幸せが満ちるように」


 白と紫の綺麗な花。

 これは夫婦になった事を示す証。女神様が夫婦と認めた二人に合った花を贈って下さるという言い伝えだ。

 両親、それから兄夫婦、ヘレンの指にもそれぞれ違う花が咲くように描かれている。それを知っていたのに……いざ自分の指に現れると不思議に想うのと同じくらいにドキドキしてしまった。


 マーガレットとラベンダー。

 可愛くて可憐なこの花達が、もっと好きになりそうだ。そっと右手の指先で花をなぞると、まだ熱が残っているようだった。


「サフィア、君と結婚出来て嬉しいよ」


 ベール越しにルーファスがわたしの頬に触れる。

 頬を一撫でするその指先が炎を宿しているかのように熱いのは、わたしの頬が熱くなっていたからかもしれない。


「わたしもよ。改めてどうぞよろしくね」


 そう言うだけで精いっぱいだった。眼差しが、声が、指先が、勘違いをしてしまいそうな程に甘やかだったから。



 儀式が終わって、参列していた人達からお祝いの言葉を頂戴した。

 ヴィント殿下は「第三王子の名の下に二人に祝福を。どうぞお幸せに」という言葉を下さった。

 この結婚は王族が認めたものであるという宣誓にも近い。それはきっと、ルーファスとわたしを守ってくれる──ヴィント殿下が参列して下さった理由に気付いたわたしは、ルーファスへと顔を向けた。

 ルーファスはいつものようにただ微笑んでいるだけだったけれど、きっと感謝していたのだと思う。


 ヘレンはずっと泣いていて、ホルシュ伯爵に宥められていた。泣きじゃくりながらの「おめでとう」が胸が詰まってしまうくらいに嬉しかった。

 家族の皆も幸せそうに笑っている。甥も姪も嬉しそうで、「サフィア姉さま、とっても綺麗!」なんて嬉しい事も言ってくれて。


 この結婚はわたしが思っているよりもずっと、沢山の人に祝われていたのだ。

 隣に立つルーファスが、わたしの腰に腕を回して抱き寄せてくれる。顔を上げるとルーファスも嬉しそうにしていて、何だか泣きたくなってしまう気持ちを抑えて、わたしも笑った。



 窓から見える晴れた空。

 薬指に咲くマーガレットとラベンダー。

 楽しそうに笑う大切な人達。


 もう迎える事のないと思っていた幸せな光景が目の前に広がっていた。

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