6.控室で

 結婚式の当日。

 冬には珍しく、すっきりと晴れた青空が広がっていた。雲もなく、雪の気配もない。

 寒い風が時折吹く以外は暖かな日で、屋根で溶けた雪が水滴となり、根雪となった氷を穿って穴を開けていた。


 神殿の控室には、わたしの他には支度をしてくれている侍女が一人と、それからヘレンがいた。

 先程までは家族も居てくれたのだけど、いまはもう参列席へと戻っている。家族皆が今日の式を迎えられた事を喜んでくれていた。この一年間、たくさんの心配を掛けてしまったから、きっと皆がほっとしてくれていると思う。


「いかがでしょうか」


 鏡台に向かって座っていたわたしは、侍女の声を受けて鏡へと目を向ける。

 長い黒髪は複雑な形に美しく結い上げられ、小さな真珠が編み目に埋め込まれるようにして飾られている。

 左、右、と顔を動かして髪型を確認していると、侍女が大きな鏡を使って、後ろ髪の様子も見せてくれた。綻びも無く、どこから見ても美しい仕上がりだ。


「とても綺麗だわ。ありがとう」

「サフィア様のお美しさを引き立てるお手伝いが出来て光栄です」


 にっこりと笑う侍女は、ベルネージュ侯爵家から来てくれている。

 ミラと名乗った彼女は手際が良く、髪結いも化粧も一人で行ってくれた。そのどれもが丁寧なのに素早くて、そこからも優秀な事が伝わってきた。


「旦那様にお知らせして参ります。少々お待ちくださいませ」


 そう言って腰を折ったミラは、控室を後にした。扉が薄く開かれているのは、警備の為だろう。神殿の兵士がこの控室の前にも立ってくれているから。


「サフィア、確認をするから立ってくれる?」

「ええ」


 促されるままに立ち上がる。

 結婚式のドレスはヘレンのメゾンで仕立ててくれた特注品だ。予約でいっぱいの人気店なのに、時間を作ってくれたヘレンには本当に感謝している。


 白を基調に銀糸で華やかな刺繍がされたドレスは、腰回りがぎゅっと絞られていて、腰で大きなリボンが結ばれている。それなのに幼く見えないのはスカート部分が長いトレーンになっているからかもしれない。

 開いた襟ぐりを飾るのは大振りのネックレスで、ダイヤモンドとガーネットがふんだんに使われた豪華なものだ。お揃いのイヤリングも耳元で光を映している。


 頭に載せられた真珠の髪飾りには薄いベールが留められている。この後にベールを下ろしたら、式が終わるまでは顔を隠すのが昔からのしきたりだった。


「うん、大丈夫。とても綺麗よ、サフィア」


 後ろでリボンの形を直しながら、そう言ってくれたヘレンの声が湿っている気がする。

 振り返ると眼鏡を取ったヘレンがハンカチで目尻を押さえていた。


「どうしたの?」

「なんだか嬉しくて……ごめんなさい、こんな晴れの日に泣いてしまうなんて」

「あなたには沢山心配を掛けてしまったもの。わたしの為に泣いてくれてありがとう。経緯が経緯だから、まだ心配させてしまうかもしれないけれど」


 少しおどけて見せると、ヘレンがくすくすと肩を揺らした。


「心配する事なんて何もないわ。だって、相手がルーファスだもの」

「刺される心配はしてくれないの?」

「ルーファスがそんな事を許すわけがないでしょう。いま社交界でどんな噂が流れているか知っている?」


 社交界で、噂?

 この一年間はずっと引きこもりだったし、結婚が決まってからの一か月も社交に戻る余裕がなかった。社交界ではいつも様々な噂が流れているものだけど、今は一体どんな話が中心になっているのだろうか。

 首を横に振ると、わたしのネックレスの位置を直しながらヘレンが笑った。


「ルーファスがサフィアを大切に想っているっていう話を色んな社交場で聞くのよ」

「……その噂、流したのはあなたじゃないでしょうね?」

「ルーファスよ。私はそれに乗っかって、噂を大きくしているだけ」


 悪びれもなく答えるヘレンに怪訝そうな目を向けてしまっても仕方がないと思う。


「ルーファスがそんな噂を流したのは、あなたの為よ。結婚願望がないルーファスの意識を変えるだけの素晴らしい女性で、彼女に危害を加えられるような事があったら、ルーファスは何をするか分からないってね」

「有難いけれど……それを受けてあなたはどんな風に話を広げているの?」

「サフィアはとても美しくて、優秀で、素晴らしい女性だって言うのを伝えているだけよ。ルーファスとサフィアは学院時代から仲が良くて、結婚するのも自然な流れだったのかもしれないってね」


 過大過ぎる評価に、困ったような笑いが漏れる。

 学院時代に優秀だったのは自分でもそう思う。社交界でもそれなりにうまくやっていたと思うけれど、それも一年前までだ。

 わたしは婚約を破棄して、傷がついてしまったのだから。その評価を払拭するだけの何かをするでもなく、ただ泣き暮れて過ごしていただけ。


 でも──だからなのだ。

 だから二人は、わたしの為にそんな話を社交界でしてくれているのだ。


「……ありがとう、ヘレン。あなた達にはいつも守られてばかりだわ」

「何の事かしら。私はただ、思った事を口にしただけよ」


 肩を竦めるヘレンの様子に、胸の奥が温かくなる。

 気持ちのままに、そっとヘレンを抱き締めた。彼女のドレスやわたしのドレスを乱さないように、そっと。

 ヘレンもわたしの背に両腕を回して、抱き返してくれた。


「幸せになってね、サフィア」

「ありがとう」


 これからするのは契約結婚で、わたしとルーファスの間に恋愛感情はない。

 でもきっと、お互いを思いやって穏やかに過ごしていく事が出来るだろう。


 それがきっと、わたしの幸せ。



 ──コンコンコン


 不意にノックの音が響いた。

 ヘレンと抱き合ったままでそちらを見ると、扉に手を掛けたままでルーファスが苦笑いをしながら立っている。


「ヘレン、サフィアは俺の花嫁だが?」

「抱き締めて欲しかったらあなたもそう言えばいいのに。嫉妬深い男は嫌われるわよ」


 揶揄うようなヘレンの言葉に、ルーファスはお手上げだとばかりに肩を竦める。

 それがあまりにも学院時代の頃と変わっていなくって、わたしは笑ってしまった。


「じゃあ私は参列席に行くわね。また後で」


 わたしから離れたヘレンは胸元のレースを軽く直してくれてから、足取りも軽く控え室を後にした。今にも魔法で浮き上がってしまうのではないかと思うくらいに、その背中も楽しそうだ。


「サフィア、とても綺麗だ。よく似合っている」

「ありがとう」


 わたしの前に立つルーファスも、わたしの衣装とお揃いの白地に銀刺繍が施されたジャケットとスラックスの姿だった。首元を飾るアスコットタイも白色だけど、留めるピンにはサファイアが使われている。それに気付いて何だか恥ずかしくなってしまう。

 そのサファイアは、わたしの瞳の色によく似ていたから。わたしだってルーファスの色であるガーネットを身に着けている。相手の色を身に着けるのは古くからのしきたりの一つで、別にこれは特別なわけでもないのだけれど。

 それでも……彼と結婚するのだと、改めてそう実感した。


「あなたも素敵よ。こういう正装も着こなしてしまうのは、さすがね」


 わたしの言葉に、ルーファスが微笑む。

 美形の微笑に目が眩んでしまうのではないかと内心で思う。胸の鼓動が早まっていくのは、式を目前に控えて緊張しているから?

 自分でもよく分からなかった。


「では行こうか」

「ええ。ルーファス、宜しくね」


 上げられていたベールをルーファスが下ろしてくれる。薄布は思っていたよりも視界を遮る事はなかった。差し出された腕に、手を掛ける。

 思えばこうしてエスコートをして貰うのも初めてだ。でも思った以上にしっくりくるのは、付き合いが長いからかもしれない。


 ルーファスと共に入室していたミラが、わたしの後ろに回ってトレーンを持ってくれる。それだけで歩きやすくなるのだから有難い。


 深く息を吐いて、大きく吸う。

 ぴっと背を伸ばしたわたしの様子に、ルーファスが低く笑ったのが聞こえた。



───────


本年もどうぞ宜しくお願い致します!

2023年が素敵な年になりますように!

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